コンラト2世シヴィ
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コンラト2世シヴィ Konrad II Siwy | |
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オレシニツァ公 | |
在位 | 1366年 - 1403年 |
出生 |
1340年頃 |
死去 |
1403年6月10日 |
配偶者 | アグニェシュカ・チェシンスカ |
子女 | コンラト3世 |
家名 | シロンスク・ピャスト家 |
父親 | オレシニツァ公コンラト1世 |
母親 | エウフェミア・ビトムスカ |
コンラト2世シヴィ(Konrad II Siwy, 1340年頃 - 1403年6月10日)は、オレシニツァ、コジュレ、ビトム半国の公(在位:1366年 - 1403年)、シチナヴァ半国の公(在位:1396年 - 1403年)。オレシニツァ公コンラト1世の一人息子、母はコジュレ=ビトム公ヴワディスワフの娘エウフェミア。灰公(Siwy)の異称で呼ばれた。
父が1366年に死ぬとその遺領をすべて相続した。コンラト2世の治世についてはよく知られていない。1377年、コンラト2世は同名の息子コンラト3世を共同統治者とした。1397年には、ジャガン=グウォグフ公ヘンリク8世よりシチナヴァ半国を遺贈されている。
1354年2月23日、チェシン公カジミェシュ1世の3女アグニェシュカ(1338年 - 1371年4月27日)と結婚し、一人息子をもうけた。
- コンラト3世(1359年頃 - 1412年12月28日)
参考文献
[編集]- SILESIA
- Complete Genealogy of the House of Piast
- Chronological Dates in Stoyan
- KONRAD II 'DER GROE HIRRE' (OLEŚNICKI, SIWY)
先代 コンラト1世 |
オレシニツァ公 コンラト3世と共同統治(1377年より) 1366年 - 1403年 |
次代 コンラト3世スタルィ |
コジュレ公 コンラト3世と共同統治(1377年より) 1366年 - 1403年 | ||
ビトム公(半国) コンラト3世と共同統治(1377年より) 1366年 - 1403年 | ||
先代 ヘンリク8世ヴルベル |
シチナヴァ公(半国) コンラト3世と共同統治 1397年 - 1403年 |