ジェオックス・TMC
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ジェオックス・TMC Geox-TMC | |
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チーム情報 | |
本拠地 | スペイン |
創設年 | 2004年 |
解散年 | 2011年 |
種目 | ロードレース |
格付け | プロフェッショナルコンチネンタルチーム |
自転車 | フジ |
首脳陣 | |
GM | マウロ・ジャネッティ |
過去のチーム名 | |
2004–2007 2008 2008 2009 2010 2011 |
サウニエル・ドゥバル=プロディール サウニエル・ドゥバル=スコット スコット=アメリカン・ビーフ フジ・セルベット フットオン・セルベット・フジ ジェオックス・TMC |
ジェオックス・TMC(Geox-TMC)は、スペインを本拠とする自転車競技、ロードレースのチーム名である。
沿革
[編集]- マウロ・ジャネッティ率いる、サウニエル・ドゥバル=プロディール(Saunier Duval-Prodir)[1]として結成。
- ミゲル・アンヘル・マルティン・ペルディゲーロがクラシカ・サンセバスティアンを優勝。
- レオナルド・ピエポリ、コンスタンティノ・サバリャがブエルタ・ア・エスパーニャで区間優勝。
- UCIプロチームとして承認される。
- レオナルド・ピエポリがジロ・デ・イタリアで2度区間優勝。
- デヴィッド・ミラー、フランシスコ・ベントソが、ブエルタ・ア・エスパーニャで区間優勝。
- ジロ・デ・イタリア
- 区間優勝 イバン・マヨ、レオナルド・ピエポリ、リカルド・リッコ、ジルベルト・シモーニ
- 山岳賞 レオナルド・ピエポリ
- レオナルド・ピエポリがブエルタ・ア・エスパーニャで区間優勝。
- フアン・ホセ・コーボがバスク一周で総合優勝。
- リカルド・リッコがジロ・デ・イタリアで2度区間優勝。
- ツール・ド・フランスを目前にして、サウニエル・ドゥバル=スコット(Saunier Duval-Scott)[2]に名称変更。ところが、そのツール・ド・フランスにおいて、チームの存在そのものを揺るがす激震が走る。
- 第12ステージスタート直前となる7月17日、リカルド・リッコに、第4ステージ終了後に尿検査で採取されたサンプルからCERA陽性反応が出たという、フランス・アンチドーピング機関の話を受け、リッコはフランス警察当局に勾留され今大会から除外。この事にかんがみ、チームを大会そのものから撤退するを決意したため、参加選手全員がリタイアすることになった。さらに、リッコのドーピング問題が解決に至るまで、レース活動そのものを一時休止することを決めたが、チーム結成時よりメインスポンサーとなっていたサウニエル・ドゥバルがこれを契機に撤退。さらに、リッコと当初はドーピング違反容疑に止まっていたレオナルド・ピエポリの2人を解雇した上で同年8月、スコット=アメリカン・ビーフとして再出発することになった。
- しかし同年10月、レオナルド・ピエポリにもCERA陽性が発覚したことを受け、スコット=アメリカン・ビーフ(Scott-American Beef)も撤退を決めた。
- フジ・セルベット(Fuji-Servetto)[3]として再始動。
- 前年までクイックステップに在籍し、同チームがステファン・シューマッハーと契約した (同年のツール・ド・フランスでのドーピングが発覚した為に白紙撤回) ために再契約されなかった名選手であるパオロ・ベッティーニとの契約を画策した。しかし、ベッティーニが2008年の世界選手権の期間中に引退を発表したために頓挫した。
- また、引退したベッティーニをフロント入りさせる計画もあったがこれも頓挫した[4]。
- フアン・ホセ・コーボがブエルタ・ア・エスパーニャで区間優勝。
- フットオン・セルベット・フジ(Footon-Servetto-Fuji)[5][6]に改称。また、2009年までコンテントポリス・アンポという自転車チームのサブスポンサーとなっていたスペインの鋳造メーカー、アンポ(Ampo)が資金を援助することになった[7]。
- しかし、若手主体のチーム構成へと陣容が変化した (前年から引き続いて契約した選手は24名中4名のみで新人を多く雇った結果、チーム平均年齢は24.4歳となった) ため、UCIプロチームライセンスは維持できたものの、チーム力がプロフェッショナルコンチネンタルチームとあまり変わらなくなったことが原因で成績が振るわず、アンポは同年限りで資金援助を打ち切ることを決めた。
- イタリアの靴メーカーであるジェオックスと、スペインのカンタブリア州に所在する変圧器メーカーであるTMCがスポンサーとなり、当名称に改変。同年シーズンにあたり、カルロス・サストレ、デニス・メンショフという、グランツール総合優勝経験者の獲得に成功した。
- しかし、UCIプロチームのライセンスを土壇場になってUCIから却下[8]され、プロフェッショナルコンチネンタルチームに甘んじることになった。加えて、同年のツール・ド・フランスのワイルドカード枠からも外れた[9]。
- ブエルタ・ア・エスパーニャでコーボが総合優勝した。
- 10月20日チームの解散を表明。
2011年陣容
[編集]- 2011年2月15日更新[10]
- ゼネラル・マネジャー - マウロ・ジャネッティ
選手名 | 国籍 | 生年月日 | 前年所属チーム |
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トマス・アルベリオ | イタリア | 1989年3月31日 | 新人 |
マウリシオ・アルディラ | コロンビア | 1979年5月21日 | ラボバンク |
ダビ・ブランコ | スペイン | 1975年3月3日 | パルメイラス・リゾート=タヴィラ |
マティアス・ブレンドレ | オーストリア | 1989年12月7日 | |
ジャンパオロ・ケウーラ | イタリア | 1979年5月23日 | |
フアン・ホセ・コーボ | スペイン | 1981年2月11日 | ケス・デパーニュ |
ダニエーレ・コッリ | イタリア | 1982年4月19日 | チェラミカ・フラミニア |
マルコ・コルティ | イタリア | 1986年4月2日 | |
ダビ・デ・ラ・フエンテ | スペイン | 1981年5月4日 | アスタナ |
アルカイツ・ドゥラン | スペイン | 1986年5月18日 | |
ファビオ・フェッリーネ | イタリア | 1990年3月29日 | |
シャビエル・フロレンシオ | スペイン | 1979年12月26日 | サーヴェロ・テストチーム |
ノエ・ジャネッティ | スイス | 1989年10月6日 | |
ダビ・グティエレス・グティエレス | スペイン | 1982年4月2日 | |
ディミトリ・コゾンチュク | ロシア | 1984年4月5日 | ラボバンク |
マルコ・クンプ | スロベニア | 1988年9月9日 | アドリア・モービル |
デニス・メンショフ | ロシア | 1978年1月25日 | ラボバンク |
マッテオ・ペルッキ | イタリア | 1989年1月21日 | 新人 |
ダニエーレ・ラット | イタリア | 1989年10月5日 | カルミオーロ - NGC |
カルロス・サストレ | スペイン | 1975年4月22日 | サーヴェロ・テストチーム |
ラファエル・バリュス | スペイン | 1987年6月25日 | |
マルセル・ヴァイス | スイス | 1986年6月25日 | サーヴェロ・テストチーム |
脚注
[編集]- ^ サウニエル・ドゥバルは、フランスの給湯機器メーカー。プロディールはスイスの文房具メーカー
- ^ スコットはスイスの自転車メーカー
- ^ フジは旧日米富士自転車で、アメリカの自転車メーカー。セルベットはスペインのハンガー及びハンガー掛け等のメーカー。
- ^ 『Chiclissimo No.12 別冊付録』、20頁。
- ^ フートン・セルベット・フジともいう。
- ^ フットオンは、スイスのヘルスケア関連企業
- ^ AMPO signs on as sponsor with Footon-Servetto - cyclingnews.com 2009年12月13日付記事
- ^ UCI announce 18 ProTeams for 2011 - cyclingnews.com 2010年11月22日付記事
- ^ Tour de France selects 22 teams - cyclingnews.com 2010年11月22日付記事
- ^ Cycling Archives Geox - TMC
外部リンク
[編集]- 公式サイト (英語・イタリア語・スペイン語)