ズラトコ・ユヌゾヴィッチ
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レッドブル・ザルツブルクでのユヌゾヴィッチ (2019年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Sladdi | |||||
ラテン文字 | Zlatko Junuzović | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストリア | |||||
生年月日 | 1987年9月26日(37歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 ロズニツァ | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | レッドブル・ザルツブルク | |||||
ポジション | FW / MF | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994–1999 | SK Kühnsdorf | |||||
1999 | VST Völkermarkt | |||||
1999–2005 | グラーツァー | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2007 | グラーツァー | 71 | (9) | |||
2007-2009 | アウストリア・ケルンテン | 53 | (7) | |||
2009-2012 | アウストリア・ウィーン | 82 | (21) | |||
2012-2018 | ブレーメン | 188 | (21) | |||
2018-2022 | レッドブル・ザルツブルク | 81 | (9) | |||
代表歴 | ||||||
2006 | オーストリア U-19 | 2 | (1) | |||
2007 | オーストリア U-20 | 11 | (4) | |||
2005-2008 | オーストリア U-21 | 15 | (3) | |||
2006-2017 | オーストリア | 55 | (7) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年6月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ズラトコ・ユヌゾヴィッチ(Zlatko Junuzović, 1987年9月26日 - )は、ユーゴスラビア出身のオーストリア人元サッカー選手。元オーストリア代表。ポジションはフォワードおよびミッドフィールダー。[1]
来歴
[編集]生い立ち
[編集]旧ユーゴ(現セルビア)のロズニツァ出身。5歳のときにボスニア紛争の影響により一家でオーストリア・ケルンテン州キューンスドルフへ移住した。12歳のときに親元を離れグラーツへ移り、グラーツァーAKのユースチームでプレーするようになる。その後両親もグラーツへ移住し、ユヌゾヴィッチをサポートした。[2]
クラブ
[編集]2005年17歳でグラーツァーAKのトップチームに昇格し、2007年の夏、当時新設されたSKアウストリア・ケルンテンに移籍。2009年の夏にはFKアウストリア・ウィーンに移籍した。2010年12月にはオーストリア年間最優秀選手に選ばれた。[3]
2012年1月、ドイツ・ブンデスリーガのヴェルダー・ブレーメンと3年半の契約を結んだことが発表された。ブンデスリーガデビューは2月5日のSCフライブルクとのアウェー戦。2014/2015シーズンでは6ゴール15アシストを記録し、リーグ2位のアシスト数だった。[4] またユヌゾヴィッチは「フリーキックの名手」[5][6]と呼ばれ、このシーズンの6ゴールのうち5本は直接フリーキックによるものだった。[7]
2015年2月13日、ブレーメンとの契約を2018年6月末まで延長した。[8]
2018年夏、ブレーメンとの契約が満了し、レッドブル・ザルツブルクへフリーで移籍。[9] オーストリアへ戻った。2021年6月までだった契約は、2020年12月18日に2022年6月まで延長された。[10] 2022年3月、レッドブル・ザルツブルクは同年6月末で切れるユヌゾヴィッチとの契約を更新しないと発表。当初は現役を続ける意向を示していたが、6月10日、クラブを通じ、今シーズン限りで引退し、レッドブル傘下FCリーフェリングのアシスタントコーチに就任すると声明を出した。[11]
代表
[編集]U-19に招集されて以降、各年代で選出されている。A代表デビューは2006年3月1日のカナダとの親善試合。2007年7月には2007 FIFA U-20ワールドカップメンバーに選ばれ、オーストリアは4位入賞した。
UEFA EURO2016の代表メンバーでもある。
2017年10月13日、11年間で計55試合に出場した代表チームからの引退を発表。[12] 最後の試合は2017年6月11日の2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選対アイルランド戦だった。
所属クラブ
[編集]- グラーツァーAK 2005-2007
- SKアウストリア・ケルンテン 2007-2009
- FKアウストリア・ウィーン 2009-2012
- ヴェルダー・ブレーメン 2012-2018
- レッドブル・ザルツブルク 2018-2022
個人成績
[編集]代表での得点
[編集]# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
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1. | 2011年10月7日 | バクー | アゼルバイジャン | 1–4 | 1–4 | UEFA EURO 2012予選 |
2. | 2012年6月1日 | インスブルック | ウクライナ | 1–0 | 3–2 | 親善試合 |
3. | 2012年9月11日 | ウィーン | ドイツ | 1–2 | 1–2 | 2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
4. | 2013年3月22日 | フェロー諸島 | 4–0 | 6–0 | ||
5. | 2015年3月27日 | ファドゥーツ | リヒテンシュタイン | 0–4 | 0–5 | UEFA EURO 2016予選 |
6. | 2015年9月5日 | ウィーン | モルドバ | 1–0 | 1–0 | |
7. | 2016年3月29日 | トルコ | 1–0 | 1–2 | 親善試合 |
タイトル
[編集]- レッドブル・ザルツブルク
- 個人
- オーストリア・ブンデスリーガ年間最優秀選手 : 2010-11(FKアウストリア・ウィーン)[13]
- オーストリア年間最優秀選手 : 2010[3]
脚注
[編集]- ^ “Zlatko Junuzovic - 選手プロフィール 21/22”. www.transfermarkt.jp. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “ドイツから母国オーストリアへ…ユヌゾヴィッチがザルツブルク移籍を決めた理由/独占インタビュー | Goal.com”. www.goal.com. 2021年7月15日閲覧。
- ^ a b “Österreichs „Fußballer des Jahres“ heißt Zlatko Junuzovic | Goal.com”. www.goal.com. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “SCORER LIST ブンデスリーガ 14/15”. www.transfermarkt.jp. 2021年7月15日閲覧。
- ^ Murray, Trevor (2015年11月20日). “10 players with the highest free kick conversion rate” (英語). www.sportskeeda.com. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “Qoly編集部が選んだ、世界の隠れた名フリーキッカー20人【Part3】”. Qoly. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “Zlatko Junuzovic - 全てのゴール”. www.transfermarkt.jp. 2021年7月15日閲覧。
- ^ co.,Ltd, FromOne. “ブンデス屈指のキッカー、MFユヌゾヴィッチがブレーメンと契約延長”. サッカーキング. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “ブレーメン主将ユヌゾヴィッチがザルツブルクへ、ベルフォディルは退団”. ドイツNo.1のサッカー専門誌 | Kicker日本語版 (2018年5月13日). 2021年7月15日閲覧。
- ^ “Red Bull Salzburg bindet Junuzovic: „Einer unserer wichtigsten Führungsspieler“” (ドイツ語). www.transfermarkt.de. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “元ブレーメンのユヌゾヴィッチが引退、指導者の道へ”. フースバルJP (2022年6月10日). 2022年6月11日閲覧。
- ^ “2018年W杯出場が消えた「名フリーキッカー」、代表引退”. Qoly. 2021年7月15日閲覧。
- ^ “FK Austria Wien - Zlatko Junuzovic zum Spieler der Saison 2010/11 gewählt”. www.fk-austria.at. 2021年7月15日閲覧。