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ダラス・カウボーイズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダラス・カウボーイズ
Dallas Cowboys
創設 1960年1月28日 (64年前) (1960-01-28)
NFL参入 1960年シーズン
所属地区
  • NFL(1960-現在)
    • NFC(1970-現在)
    東地区(1970-現在)
    • 東カンファレンス(1961-1969)
    キャピトル地区(1967-1969)
    地区分け無し(1961-1966)
    • 西カンファレンス(1960)
チームデザイン
チームロゴ
(テキサス州の象徴ローンスターにちなんで) 
チームカラー
  ネイビーブルー
  メタリックシルバー
  ロイヤルブルー
 
ユニフォーム
チーム名
  • ダラス・カウボーイズ(1960-現在)
ホームタウン
ダラス・カウボーイズの位置(アメリカ合衆国内)
1960-現在
1960-現在

テキサス州アーリントン (2009-現在)
テキサス州アービング (1971-2008)
テキサス州ダラス (1960-1970)

AT&Tスタジアム
 カウボーイズ・スタジアム
(2009-現在)
テキサス・スタジアム (1971-2008)
コットン・ボウル (1960-1970)

永久欠番
  • 導入せず
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (5回)
カンファレンス・チャンピオン (10回)
NFL東
NFC
地区優勝 (24回)
NFLキャピトル
旧NFC東地区
NFC東地区
ワイルドカード(10回)
プレーオフ進出(34/59回)
AFL合併(1969年)以前
カンファレンス・チャンピオン
NFL東
地区優勝
NFLキャピトル
ワイルドカード
球団組織
オーナー ジェリー・ジョーンズ
GM ジェリー・ジョーンズ
ヘッドコーチ マイク・マッカーシー

ダラス・カウボーイズ英語: Dallas Cowboys、略称: DAL)は、アメリカ合衆国テキサス州アーリントンダラス・フォートワース複合都市圏)に本拠地をおくNFLチーム。NFC東地区に所属している。ホームスタジアムはAT&Tスタジアム。本部と練習場は、同じテキサス州のフリスコにあるフォード・センター・アット・ザ・スター

概要

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NFC東地区所属でNFL屈指の名門。創立間もないころ、その強さから圧倒的な人気を誇ったカウボーイズは、アメリカを象徴するチームとしてアメリカズチーム(America's Team)と称されるようになり、現在でもこの称号が用いられることがある。1960年代以降のNFLで最も成功したチームの1つとして数えられておりスーパーボウル優勝は3位タイの5回、NFC優勝8回を数える。またマンデーナイトフットボールでの勝利は最多の41回(これに次ぐのはマイアミ・ドルフィンズの39回、サンフランシスコ・フォーティナイナーズの38回)。1966年から1985年までの20シーズン連続勝ち越しのNFL記録を持っている。

経済誌のフォーブス2022年9月、ダラス・カウボーイズの市場価値を80億ドルと算定しており、ニューヨーク・ヤンキースレアル・マドリードなどを上回り、世界のスポーツチームで首位となり世界で最も価値あるスポーツチームとした[1]。また、大手世論調査会社ハリス・インタラクティブ2015年に公表した世論調査によると、NFLで最も人気の高いチームである[2]

歴史

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チーム創設から1970年代まで

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1960年、AFL(アメリカン・フットボール・リーグ)のダラス・テキサンズ(カンザスシティ・チーフスの前身)に対抗する形でクリント・マーチンソン、ベドフォード・ウィンによって創立された。チーム名は当時、テキサス州で数千人が活躍していたカウボーイにちなんで付けられた。初代ゼネラルマネージャーにはテックス・シュラムが、初代ヘッドコーチにはトム・ランドリーが起用された。選手はエクスパンションドラフトで集められ本拠地はコットン・ボウルとなった。1960年シーズンは1分11敗と未勝利に終わり翌年のNFLドラフト1巡目全体13番目でDTボブ・リリーを指名した。1960年にQBドン・メレディス、1961年にRBドン・パーキンスLBチャック・ハウリー、DTのボブ・リリー、1963年にLBのリー・ロイ・ジョーダン、1964年にCBメル・レンフロ、1965年にWRボブ・ヘイズが加入するなど徐々に戦力を整えていった。1966年に10勝3敗1分の成績で初のプレーオフ進出を果たしプロボウルに8人の選手を送り込んだ。1966年1967年と2年連続でNFLチャンピオンシップでグリーンベイ・パッカーズと対戦したが劇的な決着で2年とも敗れた。アメリカのプロスポーツ史上最も気温の低い厳しい条件で行われた1967年NFLチャンピオンシップゲームアイスボウルとも呼ばれている。1966年シーズンはその後8シーズン連続となるプレーオフ出場記録の始まりとなった(後に1975年から1983年まで9シーズン連続プレーオフ出場の記録を作った。)。

第6回スーパーボウルの様子

1968年シーズン終了と共にメレディス、パーキンスは引退したが1967年にOTレイフィールド・ライト1969年にQBのロジャー・ストーバックTEマイク・ディトカ、RBのカルビン・ヒルグラント・ヒルの父親)、1970年にCBのハーブ・アダリーSクリフ・ハリスチャーリー・ウォータースが加入した。1970年シーズンにQBのクレイグ・モートンに率いられたチームは第5回スーパーボウルに出場したが終盤モートンにミスが続き、残り5秒でボルチモア・コルツのキッカー、ジム・オブライエンフィールドゴールが決まり13-16で敗れた。この試合でチャック・ハウリーはスーパーボウル史上唯一敗戦チームからMVPに選ばれた選手となっている。

第12回スーパーボウルの様子

1971年の第6週から本拠地をテキサス・スタジアムに移した。チームは最後の7試合を連勝し第6回スーパーボウルマイアミ・ドルフィンズを24-3で破りスーパーボウル初制覇を果たした。1970年代の活躍でカウボーイズの人気は地元ダラスだけでなくアメリカ中に広がっていった。チームにはDEハーベイ・マーティンエド・トゥートール・ジョーンズ、WRのドリュー・ピアソン、DTのランディ・ホワイト、RBのトニー・ドーセットらが加わった。第10回スーパーボウル第13回スーパーボウルではピッツバーグ・スティーラーズに敗れたが第12回スーパーボウルデンバー・ブロンコスを破り優勝、1970年代のNFLで最多勝をあげたチームであった。

1980年代

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1980年に引退したストーバックに代わってダニー・ホワイトが先発QBとなった。1980年から1982年には3年連続NFCチャンピオンシップゲームに進出を果たしたがスーパーボウル出場はならなかった。

1983年1月3日のミネソタ・バイキングスとのマンデーナイトフットボールで、トニー・ドーセットが自陣1ヤード地点から99ヤードのTDランをあげた[3][4]

1984年にバム・ブライトがマーチソンからチームを購入した頃から成績が低迷し、1985年の10勝6敗から1986年は7勝9敗、1987年は7勝8敗、1988年は3勝13敗に終わった。1989年2月25日にチームはジェリー・ジョーンズに売却された。新オーナーのジョーンズはゼネラルマネージャーのテックス・シュラムとヘッドコーチのトム・ランドリーを解任、大学時代のフットボールチームメートでもあったマイアミ大学ヘッドコーチだったジミー・ジョンソンを後任のヘッドコーチとした。ドラフト1巡目でUCLAのQB、トロイ・エイクマンを獲得、シーズン中にはスターRBのハーシェル・ウォーカーミネソタ・バイキングスと5人のベテラン選手と8つの将来のドラフト上位指名権などと引き換えにトレードを行った。チームは1勝15敗と創設以来最悪の成績に終わったがトレードによって得たドラフト指名権がチームの再建に重要な役割を果たすことになる。

1990年代

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ジョンソンヘッドコーチは1989年のドラフトでエイクマンの他にFBダリル・ジョンストンCマーク・ステプノスキーを獲得、1990年にRBエミット・スミス、1991年にDTのラッセル・メリーランド、OTのエリック・ウィリアムス、1992年にSのダレン・ウッドソンを獲得した。他にランドリー時代からいる若い選手、WRのマイケル・アービンGネイト・ニュートン、LBのケン・ノートン・ジュニア、OTのマーク・トゥイネイやベテランのTE、ジェイ・ノバチェク、DEのチャールズ・ヘイリーの活躍で、1989年には1勝15敗に終わったチームが、3年後の1992年には13勝3敗の成績をあげ、14シーズンぶりとなるスーパーボウル出場を果たした。第27回スーパーボウルではスーパーボウル記録となる9つのターンオーバーを奪いバッファロー・ビルズに52-17で勝利しジミー・ジョンソンはカレッジフットボールとNFLの双方で頂点を極めた最初のヘッドコーチとなった。翌年第28回スーパーボウルでも30-13で再びビルズを降しプロボウルにも11人の選手を送り込んだ。契約交渉が長引き、エミット・スミスがシーズン開幕から2試合欠場したこと、1993年からNFLに導入されたフリーエージェント制度に続き、1994年シーズンからサラリーキャップが導入されるため、ジミー・ジョンソンはオーナーのジェリー・ジョーンズに人事権の委譲を求めたが、ジョーンズオーナーはこれを拒絶し[5]、第28回スーパーボウルの1週間後にジョンソンヘッドコーチは辞任し[6]オクラホマ大学の元ヘッドコーチ、バリー・スウィッツァーが後任となった。1994年シーズンに12勝4敗の成績をあげたがNFCチャンピオンシップゲームでサンフランシスコ・フォーティナイナーズに28-38で敗れた。1995年にはフリーエージェントになっていたオールプロCBのディオン・サンダースが加入、12勝4敗でシーズンを終えたチームは第30回スーパーボウルでピッツバーグ・スティーラーズを27-17で破り5度目のスーパーボウル制覇を遂げた。MVPには2回のインターセプトでいずれもタッチダウンをあげたラリー・ブラウンが選ばれた。バリー・スウィッツァーもカレッジフットボール、NFLを制したヘッドコーチになった。その後カウボーイズの栄光をささえた選手たちのフリーエージェントによる流出、高齢化、怪我などで1997年には6勝10敗で終わった。1998年1月スウィッツァーヘッドコーチは辞任しスティーラーズの元オフェンスコーディネーターであるチャン・ゲイリーが後任となった。1998年に10勝6敗でNFC東地区優勝を果たしたが1999年には8勝8敗に終わった。チームは1990年代を通じてNFL最多勝したチームであった。

2000年代

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チャン・ゲイリーの次にヘッドコーチになったのはディフェンスコーディネーターのデイブ・カンポだったが2000年から2002年まで3シーズン連続で5勝11敗に終わった。ジョーンズオーナーがゼネラルマネージャーを置かずヘッドコーチにも十分な権限を与えていないことがチームが低迷する原因だとマスコミから非難されるようになった。2001年、シーズン開幕前にタンパベイ・バッカニアーズから放出されたQBライアン・リーフと契約した。2003年ビル・パーセルズがヘッドコーチに就任、NFLトップの守備成績を残し10勝6敗でプレーオフ進出を果たしたが、続く2シーズンはプレーオフ出場を果たせなかった。

2004年、チームはビニー・テスタバーディドリュー・ヘンソンを獲得、チャド・ハッチンソンを解雇した。シーズン途中、控えQBのクインシー・カーターを薬物濫用により解雇、トニー・ロモが第3QBとしてロースターに加わった。

ドリュー・ブレッドソー

2005年、前年までバッファロー・ビルズでプレーし、ニューイングランド・ペイトリオッツ時代にはスーパーボウル出場も果たしているQBドリュー・ブレッドソーを獲得した[7]

2006年、シーズン開幕前、フィラデルフィア・イーグルスに所属していたテレル・オーウェンスを獲得した。シーズン途中からブレッドソーに代わって、ロモが先発QBに昇格した[8]。9勝7敗でプレーオフに進出した。シアトル・シーホークスとのワイルドカードプレーオフでは勝ち越しFGを狙ったプレーでロモがスナップをファンブルし敗れた。その後パーセルズは辞任し、後任にはウェイド・フィリップスが就任した。

2007年チームはNFCベストの13勝3敗の成績を残したが、プレーオフでニューヨーク・ジャイアンツに破れシーズンを終えた[9]。ジャイアンツは第42回スーパーボウルで優勝を果たした。

2008年チームは4勝1敗と好スタートを切ったがエースQBのトニー・ロモ負傷の影響もあり足踏み8勝4敗で12月を迎えたが最後の4試合中1勝しかできずに9勝7敗でプレーオフを逃した[9]。オフシーズンにチームは、テレル・オーウェンスを放出した。この年LBデマーカス・ウェアが20サックをあげた[10]

2009年チームはカウボーイズ・スタジアムに本拠地を移した。この年3月、実績は十分なもののトラブルメーカーのテレル・オーウェンスを解雇した[9]。最終週に同地区のライバル、フィラデルフィア・イーグルスを破り地区優勝、プレーオフ初戦でもイーグルスを破ったがディビジョナルプレーオフでミネソタ・バイキングスに敗れてシーズンを終えた。この年シーズン途中から先発WRとなったマイルズ・オースティンが活躍、第6週にはこれまでボブ・ヘイズが持っていた球団記録を更新する250ヤードを獲得、プロボウルにも選ばれた[11]

2010年代

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2010年、本拠地カウボーイズ・スタジアムが翌年の第45回スーパーボウル開催地であり、スーパーボウル出場の期待が高まったが反則やターンオーバーなどにより敗戦が続き、エースQBのロモも戦線を離脱した。1勝7敗となったところでウェイド・フィリップスヘッドコーチは解任され[12]ジェイソン・ギャレットオフェンスコーディネーターが暫定ヘッドコーチに就任することとなった。マイルズ・オースティンが故障したデショーン・ジャクソンの代わりとして、2年連続プロボウルに選ばれた[13]。デマーカス・ウェアが15.5サックをあげている[14]。ギャレットは正式にヘッドコーチとなった。

2011年、チームは最終週、勝ったチームが地区優勝となるニューヨーク・ジャイアンツとの直接対決で敗れるなど最後の5試合中4試合で敗れて8勝8敗、プレーオフを逃した[15]

2012年、最後の2試合に連敗し、8勝8敗でプレーオフを逃した[16]

2013年8月、本拠地カウボーイズ・スタジアムは、命名権契約をAT&Tと12億ドルで結び、AT&Tスタジアムと名称変更した[17]。シーズンは3年連続で8勝8敗に終わり、プレーオフを逃した。

2014年、前クリーブランド・ブラウンズのQBブランドン・ウィーデンと契約した。この年は地区優勝を果たしたが、プレーオフ2試合目でグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

2015年は、シーズン途中でロモが鎖骨を骨折し、チームは地区最下位に沈んだ。

2016年は開幕からロモが負傷離脱し、ルーキーQBダック・プレスコットを起用して地区優勝を果たしカンファレンス内で最高の成績を上げたが、プレーオフ1試合目でグリーンベイ・パッカーズに敗れた。

2017年は地区2位に終わり、プレーオフも逃した。

2018年は地区優勝を遂げたが、ディビジョナルプレーオフでロサンゼルス・ラムズに敗れた。

2019年はプレーオフを逃した。2020年1月5日、HCのギャレットは解雇された。翌日、元グリーンベイ・パッカーズHCのマイク・マッカーシーがHCに就任した。

2020年代

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2020年、前シンシナティ・ベンガルズのQBアンディ・ダルトンと契約した。プレスコットが負傷欠場し、地区全チームが勝率5割を割る中、最終戦で敗れ三位となってプレーオフを逃した。

2021年、ダルトンはシカゴ・ベアーズに移籍した。プレスコットとNFL史上最高額となる4年1億6000万ドルの契約を結び、2018年シーズン以来のプレーオフ進出を地区優勝で果たしたが初戦でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れた。

2022年は第15週にプレーオフ出場を決めた。最終戦まで地区優勝の可能性を残すも果たせず、第5シードのワイルドカードでプレーオフに進んだ。初戦では南地区優勝のバッカニアーズを破り、プレーオフの勝利は2018年シーズン以来、ロードでのプレーオフの勝利は1992年シーズン以来となった。だがディビジョナルラウンドではフォーティーナイナーズに敗れた。これでカンファレンスチャンピオンシップゲーム不出場は1996年以来27シーズン連続となり、ディビジョナルラウンドは7戦連続で敗退している。

2023年も第15週にプレーオフ出場を決めた。最終週までフィラデルフィア・イーグルスと競ったのちに地区優勝を決め、シード順2位となった。プレーオフ初戦でグレーンベイ・パッカーズに敗れた。

感謝祭ゲーム

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NFLにおけるカウボーイズの特徴のひとつに感謝祭当日に行われる試合がある。感謝祭ゲーム(Thanksgiving Day games)と呼ばれるこの試合は、1966年以降、毎年感謝祭当日にカウボーイズの試合が組まれる、というものである(1975年と1977年など例外もある)。デトロイト・ライオンズはカウボーイズより早い1934年以来、感謝祭ゲームを行っている。なお、両チームによる対戦は、感謝祭ゲームでは行われず、また2006年以降感謝祭当日は、ライオンズ戦、カウボーイズ戦以外のもう1試合の3試合が組まれている。

ロゴおよびユニフォーム

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ロゴ

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1994年、NFL75周年に発表されたダブルスターのスローバック・ユニフォーム。

チームロゴの青い星は「ローンスター・ステート」としてのテキサス州を表しており、プロスポーツのチームロゴで最も知られたものの1つである。当初は枠なしだったが、1964年に白と青の枠が追加され、以降そのままである。チームのイメージング施設や倉庫など他の施設でもこのロゴが使用されている。

オーナーのジェリー・ジョーンズ所有のアリーナフットボールリーグチームのダラス・デスペラーズ英語版もこれを基に類似した青い星をロゴにしている。

ユニフォーム

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ユニフォーム(2012年〜)

カウボーイズのヘルメットには銀地にテキサス州の象徴である「ローン・スター」(一つ星)が紺色で描かれている。ユニフォームは基本的に白ジャージを着用するが、これは本来ホームゲームで着用するカラージャージ(カウボーイズの場合は紺)よりも勝率がよいというジンクスからホームゲームでも白を着るようになったことによるもの(NFLではホームチームにユニフォームの色の選択権がある)。これを逆手に取り、対戦相手のチームがカウボーイズをホームに迎える際に自分たちが白ジャージを選び、カウボーイズに紺のカラージャージを着用させるケースが見られる。

文化

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アメリカズチーム

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カウボーイズは、1970年代に圧倒的な強さを誇ったチームとして、アメリカズチーム(America's Team)というニックネームを持つ。由来は、1978年に公開されたカウボーイズのハイライト映画で、ナレーターによる「彼らはテレビに頻繁に出演するので、彼らの顔は大統領や映画スターと同じくらい一般の人々に親しまれています。 彼らはダラス・カウボーイズ、『アメリカのチーム』です。」という台詞である[18]。この用語は一般のファンのみならず、大手のメディアでも度々使用される。

チアリーダー

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パフォーマンスを行うダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ

チーム公式チアリーダーとして、ダラス・カウボーイズ・チアリーダーズ(Dallas Cowboys Cheerleaders、略称:DCC)が活動している。

元々、カウボーイズでは、声援を送る高校生に観客の応援をリードさせていた。1965年まで高校生たちを率いていたディー・ブロックは、地元の高校生のドリルチームでディレクターを務めるフランシス・ロバーソンに会った際、高校生たちにダンスを指導してほしいと依頼した。1971年テキサス・スタジアムの開場もあり、カウボーイズの社長テックス・シュラムはより洗練されたエンターテイメントチームの創設をブロックに求めた。そして、新たに振付師のテクシー・ウォーターマンを採用し、スタイルと影響力、そして派手な星条旗の衣装をまとい、デビューを果たした。このDCCの誕生が、後にスポーツ界全体のエンターテイメントを変えることになる。チアリーダー結成後、カウボーイズの強さも相まって、DCCの知名度も上昇していく。1975年シーズンの第10回スーパーボウルでは中継を通して7500万人の前でパフォーマンスを行った。のちに、カウボーイズが「アメリカズチーム」と呼ばれたように、その美しさ、スタイル、運動能力、人気から、DCCも「アメリカズ・スウィートハーツ」(America's Sweethearts)と呼ばれるようになる。故にカウボーイズのチアリーダーは本場でも人気が高く毎年世界各国から800人以上がオーディションを受け、倍率は20倍以上になる[19]

現在では、NFLの行われる秋から冬に留まらず、一年中活動を行っている。日本を含む海外公演も行っており、これまで42か国に跨がる83のUSOツアーを実施している。2018年には、青と白のDCCのユニフォームが、ポップカルチャーの永久的なシンボルとしてスミソニアン博物館国立アメリカ歴史博物館に展示されることになるなど、NFLのチアリーダーという枠組みを超え、ポップカルチャーとして地位を確立している。試合や公演以外にも、テレビや映画、雑誌など活動範囲は幅広く、バービーとのコラボレーションも行っている。また、社会奉仕活動を第一に掲げていることから、学校、病院、老人ホームの訪問や、青少年ダンスやチアーキャンプの開催も行ってきた。そのほか、救世軍アメリカがん協会メイク・ア・ウィッシュ財団スーザン・G・コーメンなどの非営利団体も支援してきた[20]

女優のサラ・シャヒが1999年から2000年まで在籍していたほか、日本人では三田智子が1998年と2000年[21]檀上欣子が2016年、河田侑子が2016年から2019年まで在籍していた。

2024年シーズン

2024年シーズンのカウボーイズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2024年シーズン及び過去15シーズンの成績
成績 NFC 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV
2024 14位 3位 4 7 0 .364 2-1 2-5 221 319 20.1 29.0 .553 .444
2023 ワイルドカード敗退 2位 1位 12 5 0 .706 5–1 9–3 509 315 29.9 18.5 .446 .392
2022 ディビジョナル敗退 5位 2位 12 5 0 .706 4-2 8-4 467 342 27.5 20.1 .507 .485
2021 ワイルドカード敗退 3位 1位 12 5 0 .706 6-0 10-2 530 358 31.2 21.1 .488 .431
2020 レギュラー敗退 12位 3位 6 10 0 .375 2-4 5-7 395 473 24.7 29.6 .471 .333
2019 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 5-1 7-5 434 321 27.1 20.1 .479 .316
2018 ディビジョナル敗退 4位 1位 10 6 0 .625 5-1 9-3 339 324 21.2 20.3 .488 .444
2017 レギュラー敗退 9位 2位 9 7 0 .563 5-1 7-5 354 332 22.1 20.8 .496 .438
2016 ディビジョナル敗退 1位 1位 13 3 0 .813 3-3 9-3 421 306 26.3 19.1 .471 .440
2015 レギュラー敗退 16位 4位 4 12 0 .250 3-3 3-9 275 374 17.2 23.4 .531 .438
2014 ディビジョナル敗退 3位 1位 12 4 0 .750 4-2 8-4 467 352 29.2 22.0 .445 .422
2013 レギュラー敗退 9位 2位 8 8 0 .500 5-1 7-5 439 432 27.4 27.0 .484 .363
2012 レギュラー敗退 9位 3位 8 8 0 .500 3-3 5-7 376 400 23.5 25.0 .523 .422
2011 レギュラー敗退 10位 3位 8 8 0 .500 2-4 6-6 369 347 23.1 21.7 .473 .375
2010 レギュラー敗退 13位 3位 6 10 0 .375 3-3 4-8 394 436 24.6 27.3 .512 .500
2009 ディビジョナル敗退 3位 1位 11 5 0 .688 4-2 9-3 361 250 22.6 15.6 .488 .438

2024年シーズン成績

NFC東地区 2024
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 SOS SOV 残試合
フィラデルフィア・イーグルス 9 2 0 .818 3-0 6-2 296 199 26.9 18.1 .410 .390 6
ワシントン・コマンダース 7 5 0 .583 2-2 5-3 334 277 27.8 23.1 .432 .312 5
ダラス・カウボーイズ 4 7 0 .364 2-1 2-5 221 319 20.1 29.0 .553 .444 6
ニューヨーク・ジャイアンツ 2 9 0 .182 0-4 1-7 163 252 14.8 22.9 .528 .409 6
NFC 2024

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区1位
1 デトロイト・ライオンズ 10 1 0 .909 2-0 6-1 .492 .495
2 フィラデルフィア・イーグルス 9 2 0 .818 3-0 6-2 .410 .390
3 シアトル・シーホークス 西 6 5 0 .545 2-2 3-4 .512 .471
4 アトランタ・ファルコンズ 6 5 0 .545 4-1 6-2 .529 .446
ワイルドカード圏内
5 ミネソタ・バイキングス 9 2 0 .818 2-1 4-2 .443 .386
6 グリーンベイ・パッカーズ 8 3 0 .727 1-2 4-3 .529 .416
7 ワシントン・コマンダース 7 5 0 .583 2-2 5-3 .432 .312
プレーオフ圏外
8 アリゾナ・カージナルス 西 6 5 0 .545 2-1 3-4 .570 .446
9 タンパベイ・バッカニアーズ 5 6 0 .455 1-2 5-3 .590 .564
10 ロサンゼルス・ラムズ 西 5 6 0 .455 2-1 3-5 .549 .446
11 サンフランシスコ・49ers 西 5 6 0 .455 1-3 3-5 .533 .375
12 ニューオーリンズ・セインツ 4 7 0 .364 2-3 3-4 .517 .364
13 シカゴ・ベアーズ 4 7 0 .364 0-2 2-4 .468 .302
14 ダラス・カウボーイズ 4 7 0 .364 2-1 2-5 .553 .444
15 カロライナ・パンサーズ 3 8 0 .273 1-2 2-4 .467 .242
16 ニューヨーク・ジャイアンツ 2 9 0 .182 0-4 1-7 .528 .409
タイブレーク
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025年1月11日か12日か13日
    1月18日か19日
    1月26日
    2月9日
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     AFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
AFCチャンピオンシップ
1月26日
 5    
     
 4        
 1      
2025年1月11日か12日か13日
1月18日か19日
     
       
 6     第59回スーパーボウル
 3      
2025年1月11日か12日か13日
     
         
 7     NFC
 2       1月18日か19日
2025年1月11日か12日か13日
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

成績

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NFC東地区(4地区制)

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年度 地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 DAL(2w) 12 5 0 PHI(5w) 11 6 0 NYG 6 11 0 WAS 4 13 0
2022 PHI(1s) 14 3 0 DAL(5d) 12 5 0 NYG(6d) 9 7 1 WAS 8 8 1
2021 DAL(3w) 12 5 0 PHI(7w) 9 8 0 WAS 7 10 0 NYG 4 13 0
2020 WAS(4w) 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 PHI 4 11 1
2019 PHI(4w) 9 7 0 DAL 8 8 0 NYG 4 12 0 WAS 3 13 0
2018 DAL(4d) 10 6 0 PHI(6d) 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 5 11 0
2017 PHI(1v) 13 3 0 DAL 9 7 0 WAS 7 9 0 NYG 3 13 0
2016 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5w) 11 5 0 WAS 8 8 0 PHI 7 9 0
2015 WAS(4w) 9 7 0 PHI 7 9 0 NYG 6 10 0 DAL 4 12 0
2014 DAL(3d) 12 4 0 PHI 10 6 0 NYG 6 10 0 WAS 4 12 0
2013 PHI(3w) 10 6 0 DAL 8 8 0 NYG 7 9 0 WAS 3 13 0
2012 WAS(4w) 10 6 0 NYG 9 7 0 DAL 8 8 0 PHI 4 12 0
2011 NYG(4v) 9 7 0 PHI 8 8 0 DAL 8 8 0 WAS 5 11 0
2010 PHI(3w) 10 6 0 NYG 10 6 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2009 DAL(3d) 11 5 0 PHI(6w) 11 5 0 NYG 8 8 0 WAS 4 12 0
2008 NYG(1d) 12 4 0 PHI(6c) 9 6 1 DAL 9 7 0 WAS 8 8 0
2007 DAL(1d) 13 3 0 NYG(5v) 10 6 0 WAS(6w) 9 7 0 PHI 8 8 0
2006 PHI(3d) 10 6 0 DAL(5w) 9 7 0 NYG(6w) 8 8 0 WAS 5 11 0
2005 NYG(4w) 11 5 0 WAS(6d) 10 6 0 DAL 9 7 0 PHI 6 10 0
2004 PHI(1s) 13 3 0 NYG 6 10 0 DAL 6 10 0 WAS 6 10 0
2003 PHI(1c) 12 4 0 DAL(6w) 10 6 0 WAS 5 11 0 NYG 4 12 0
2002 PHI(1c) 12 4 0 NYG(5w) 10 6 0 WAS 7 9 0 DAL 5 11 0

NFC東地区(3地区制)

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年度 地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 PHI(3c) 11 5 0 WAS 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 7 9 0 DAL 5 11 0
2000 NYG(1s) 12 4 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 8 8 0 DAL 5 11 0 ARI 3 13 0
1999 WAS(3d) 10 6 0 DAL(5w) 8 8 0 NYG 7 9 0 ARI 6 10 0 PHI 5 11 0
1998 DAL(3w) 10 6 0 ARI(6d) 9 7 0 NYG 8 8 0 WAS 6 10 0 PHI 3 13 0
1997 NYG(3w) 10 5 1 WAS 8 7 1 PHI 6 9 1 DAL 6 10 0 ARI 4 12 0
1996 DAL(3d) 10 6 0 PHI(5w) 10 6 0 WAS 9 7 0 ARI 7 9 0 NYG 6 10 0
1995 DAL(1v) 12 4 0 PHI(4d) 10 6 0 WAS 6 10 0 NYG 5 11 0 ARI 4 12 0
1994 DAL(2c) 12 4 0 NYG 9 7 0 ARI 8 8 0 PHI 7 9 0 WAS 3 13 0
1993 DAL(1v) 12 4 0 NYG(4d) 11 5 0 PHI 8 8 0 PHO 7 9 0 WAS 4 12 0
1992 DAL(2v) 13 3 0 PHI(5d) 11 5 0 WAS(6d) 9 7 0 NYG 6 10 0 PHO 4 12 0
1991 WAS(1v) 14 2 0 DAL(5d) 11 5 0 PHI 10 6 0 NYG 8 8 0 PHO 4 12 0
1990 NYG(2v) 13 3 0 PHI(4w) 10 6 0 WAS(5d) 10 6 0 DAL 7 9 0 PHO 5 11 0
1989 NYG(2d) 12 4 0 PHI(4w) 11 5 0 WAS 10 6 0 PHO 5 11 0 DAL 1 15 0
1988 PHI(3d) 10 6 0 NYG 10 6 0 WAS 7 9 0 PHO 7 9 0 DAL 3 13 0
1987 WAS(3v) 11 4 0 DAL 7 8 0 StL 7 8 0 PHI 7 8 0 NYG 6 9 0
1986 NYG(1v) 14 2 0 WAS(4c) 12 4 0 DAL 7 9 0 PHI 5 10 1 StL 4 11 1
1985 DAL(3d) 10 6 0 NYG(4d) 10 6 0 WAS 10 6 0 PHI 7 9 0 StL 5 11 0
1984 WAS(2d) 11 5 0 NYG(5d) 9 7 0 StL 9 7 0 DAL 9 7 0 PHI 6 9 1
1983 WAS(1s) 14 2 0 DAL(4w) 12 4 0 StL 8 7 1 PHI 5 11 0 NYG 3 12 1
1982 WAS(1v) 8 1 0 DAL(2c) 6 3 0 StL(6w) 5 3 1 NYG 4 5 0 PHI 3 6 0
1981 DAL(2c) 12 4 0 PHI(4w) 10 6 0 NYG(5d) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 7 9 0
1980 PHI(2s) 12 4 0 DAL(4c) 12 4 0 WAS 6 10 0 StL 5 11 0 NYG 4 12 0
1979 DAL(1d) 11 5 0 PHI(4d) 11 5 0 WAS 10 6 0 NYG 6 10 0 StL 5 11 0
1978 DAL(2s) 12 4 0 PHI(5w) 9 7 0 WAS 8 8 0 StL 6 10 0 NYG 6 10 0
1977 DAL(1v) 12 2 0 WAS 9 5 0 StL 7 7 0 PHI 5 9 0 NYG 5 9 0
1976 DAL(2d) 11 3 0 WAS(4d) 10 4 0 StL 10 4 0 PHI 4 10 0 NYG 3 11 0
1975 StL(3d) 11 3 0 DAL(4s) 10 4 0 WAS 8 6 0 NYG 5 9 0 PHI 4 10 0
1974 StL(d) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 DAL 8 6 0 PHI 7 7 0 NYG 2 12 0
1973 DAL(c) 10 4 0 WAS(d) 10 4 0 PHI 5 8 1 StL 4 9 1 NYG 2 11 1
1972 WAS(s) 11 3 0 DAL(c) 10 4 0 NYG 8 6 0 PHI 4 9 1 StL 2 11 1
1971 DAL(v) 11 3 0 WAS(d) 9 4 1 PHI 6 7 1 StL 4 9 1 NYG 4 10 0
1970 DAL(s) 10 4 0 NYG 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 6 8 0 PHI 3 10 1

NFL東カンファレンス・キャピトル地区(1967年-1969年)

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地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 DAL(c) 11 2 1 WAS 7 5 2 NO 5 9 0 PHI 4 9 1
1968 DAL(c) 12 2 0 NY 7 7 0 WAS 5 9 0 PHI 2 12 0
1967 DAL(n) 9 5 0 PHI 6 7 1 WAS 5 6 3 NO 3 11 0

NFL東カンファレンス(1961年-1966年)

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優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 DAL(n) 10 3 1 CLE 9 5 0 PHI 9 5 0 StL 8 5 1 WAS 7 7 0 PIT 5 8 1 ATL 3 11 0 NY 1 12 1
スーパーボウル開始
1965 CLE(n) 11 3 0 DAL 7 7 0 NY 7 7 0 WAS 6 8 0 PHI 5 9 0 StL 5 9 0 PIT 2 12 0
1964 CLE(v) 11 3 0 StL 9 3 2 PHI 6 8 0 WAS 6 8 0 DAL 5 8 1 PIT 5 9 0 NY 2 10 2
1963 NY(n) 11 3 0 CLE 10 4 0 StL 9 5 0 PIT 7 4 3 DAL 4 10 0 WAS 3 11 0 PHI 2 10 2
1962 NY(n) 12 2 0 PIT 9 5 0 CLE 7 6 1 WAS 5 7 2 DAL 5 8 1 StL 4 9 1 PHI 3 10 1
1961 NY(n) 10 3 1 PHI 10 4 0 CLE 8 5 1 StL 7 7 0 PIT 6 8 0 DAL 4 9 1 WAS 1 12 1

NFL西カンファレンス(1960年)

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優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1

主な選手

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現役選手

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永久欠番

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ダラス・カウボーイズ 永久欠番一覧
背番号 選手 ポジション 在籍期間
なし
(カウボーイズには「永久欠番」の制度がない)
  • カウボーイズには永久欠番の制度がないが、顕著な活躍をした選手の番号が長期間に渡り欠番となる場合がある。ロジャー・ストーバックの12番、トロイ・エイクマンの8番、エミット・スミスの22番は、彼らが退団した後は誰も付けていない。
  • 永久欠番の代わりに、顕著な活躍をした選手及び関係者を表彰する「リング・オブ・オナー(Ring of Honor)」という制度がある。

プロフットボール殿堂入り

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プロフットボール殿堂入りメンバー一覧
選手
背番号 名前 ポジション 在籍期間 選出年
79 フォレスト・グレッグ Forrest Gregg OT 1971 1977
19 ランス・アルワース Lance Alworth WR 1971–1972 1978
74 ボブ・リリー Bob Lilly DT 1961–1974 1980
26 アーブ・アダーリー Herb Adderley CB 1970–1972 1981
12 ロジャー・ストーバック Roger Staubach QB 1969–1979 1985
89 マイク・ディトカ Mike Ditka TE 1969–1972 1988
33 トニー・ドーセット Tony Dorsett RB 1977–1987 1994
81 ジャッキー・スミス Jackie Smith TE 1978 1994
54 ランディ・ホワイト Randy White DTLB 1975–1988 1994
20 メル・レンフロ Mel Renfro CB 1964–1977 1996
25 トミー・マクドナルド Tommy McDonald WR 1964 1998
8 トロイ・エイクマン Troy Aikman QB 1989–2000 2006
70 レイフィールド・ライト Rayfield Wright OT 1967–1979 2006
88 マイケル・アービン Michael Irvin WR 1988–1999 2007
22 ボブ・ヘイズ Bob Hayes WR 1965–1974 2009
22 エミット・スミス Emmitt Smith RB 1990–2002 2010
21 ディオン・サンダース Deion Sanders CBKR 1995–1999 2011
73 ラリー・アレン Larry Allen G 1994–2005 2013
94 チャールズ・ヘイリー Charles Haley DE 1992–1996 2015
81 テレル・オーウェンス Terrell Owens WR 2006–2008 2018
17 ハロルド・カーマイケル Harold Carmichael WR 1984 2020
43 クリフ・ハリス Cliff Harris S 1970–1979 2020
88 ドリュー・ピアソン Drew Pearson WR 1973-83 2021
コーチ、エグゼクティブ
名前 役職 在籍期間 選出年
トム・ランドリー Tom Landry ヘッドコーチ 1960–1988 1990
テックス・シュラム Tex Schramm 社長、GM 1960–1989 1991
ビル・パーセルズ Bill Parcells ヘッドコーチ 2003–2006 2013
ジェリー・ジョーンズ Jerry Jones オーナー 1989–現在 2017
ギル・ブラント Gil Brandt エグゼクティブ 1960–1988 2019
ジミー・ジョンソン Jimmy Johnson ヘッドコーチ 1989–1993 2020

Ring of Honor

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その他の有名選手

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歴代ヘッドコーチ

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応援歌

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1961年から1990年半ば頃まで、ダラス・カウボーイズの公式応援歌はトム・メリマン・ビッグバンドの楽曲「"Cowboys Stampede March"」であり、テキサス・スタジアムで流されていた[22]

DJのジョージ・ギマークによると、チームのゼネラルマネージャーであったテックス・シュラムの私物のレコードにあったもので、チーム創立直後からチームに合う曲を探していた。最終的に1960年代からこの曲が流されるようになった[23]

近年ではウィズ・カリファの楽曲「"We Dem Boyz"」に「"How Bout Dem Cowboys"(カウボーイズはどうだ)」という文言が含まれることから守備冒頭に流されている。ホームゲームでチームがタッチダウンを決めるごとに汽笛の後にバーニング・オブ・ローマの楽曲「"Cowboys and Cut Cigars"」が流される[24][25]

脚注

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  1. ^ The World’s 50 Most Valuable Sports Teams 2022 Forbes 2022年9月18日閲覧。
  2. ^ The Dallas Cowboys are Back on the Horse as America’s Favorite Football TeamHarris Interactive 2015年12月1日閲覧。
  3. ^ 引退したLTはランクイン?RB歴代トップ10 -後編-”. NFL JAPAN (2012年6月19日). 2012年7月3日閲覧。
  4. ^ MNF History: 1982”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ 松田てつひろ『NFLガイド1995』タッチダウン、1995年、5頁。ISBN 4-924342-48-3 
  6. ^ カウボーイズ衰退の原因は? 伝説のトリプレッツが分析”. NFL JAPAN (2012年5月19日). 2012年5月31日閲覧。
  7. ^ Mark Maske (2005年2月23日). “Bledsoe, Cowboys Reach Agreement; Deal Reunites QB With Parcells”. ワシントン・ポスト. 2012年1月21日閲覧。
  8. ^ カウボーイズ、QBロモがFGホルダーに復帰?”. NFL JAPAN (2009年12月10日). 2012年1月21日閲覧。
  9. ^ a b c Sources: Cowboys cut T.O.”. ESPN (2009年3月5日). 2012年1月21日閲覧。
  10. ^ 屈指のパスラッシャーに成長、ウェアが模範のヒューストン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  11. ^ 近藤祐司 (2009年10月30日). “無名校からスターダムへ! カウボーイズ救世主オースティン”. NFL JAPAN. 2012年1月21日閲覧。
  12. ^ 1勝7敗のカウボーイズ、ついにフィリップスHCを解任”. NFL JAPAN (2010年11月9日). 2012年1月21日閲覧。
  13. ^ カウボーイズのWRオースティンらがプロボウル選出”. NFL JAPAN (2011年1月28日). 2012年1月21日閲覧。
  14. ^ LBウェアとQBロモ、カウボーイズにとってより重要なのは?”. NFL JAPAN (2011年6月30日). 2012年1月21日閲覧。
  15. ^ カウボーイズオーナー、「ジャイアンツのようになりたかった」”. NFL JAPAN (2012年1月24日). 2012年1月26日閲覧。
  16. ^ カウボーイズ、今シーズン失敗の原因は?”. NFL JAPAN (2013年1月11日). 2013年8月8日閲覧。
  17. ^ カウボーイズ本拠地、「AT&Tスタジアム」へ名称変更”. NFL JAPAN (2013年7月26日). 2013年8月8日閲覧。
  18. ^ ダラス・カウボーイズ”. NFL JAPAN. 2021年2月12日閲覧。
  19. ^ 飛田野芽生「合格したい」NFLチアリーダーに挑戦 - スポーツ : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年2月18日閲覧。
  20. ^ History – Dallas Cowboys Cheerleaders”. Dallas Cowboys Cheerleaders. 2021年2月12日閲覧。
  21. ^ DCC ALUMNI SPOTLIGHT – TOMOKO MITA JOHNSTON” (英語). 2022年2月18日閲覧。
  22. ^ Cowboys Stampede March (Go You Dallas Cowboys, Go!)” (英語). Youtube (Nov 17, 2016). 2024年2月25日閲覧。
  23. ^ Out of the KBOX and Into the Past: Was This the Very First Dallas Cowboys Theme Song?” (英語). dallasobserver (February 19, 2010). 2024年2月25日閲覧。
  24. ^ Cowboys all business in 'We Dem Boyz' win over Seahawks” (英語). FOX Sports (2014年10月13日). 2019年12月10日閲覧。
  25. ^ Packers add insult to Cowboys' injury by playing 'We Dem Boyz' in locker room after dramatic playoff victory” (英語). Dallas News (2017年1月16日). 2019年12月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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