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ドクターデヴィアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドクターデヴィアス
シドニー・H・クレイグの勝負服
欧字表記 Dr Devious
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1989年3月10日
死没 2018年3月(詳細な死亡日は不明)[1]
Ahonoora
Rose of Jericho
生国 アイルランド
生産者 Lyonstown Stud
馬主 Sidney H.Craig
調教師 Peter W.Chapple-Hyamイギリス
競走成績
生涯成績 15戦6勝
獲得賞金 754,122ポンド
+112,000ドル
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ドクターデヴィアス (Dr Devious) は競走馬種牡馬1992年ダービーステークス優勝馬である。半弟シンコウキング1997年高松宮杯)、甥にスズカフェニックス2007年高松宮記念)がいる。

戦績

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2歳となった1991年イギリスでデビュー。短距離戦を中心に出走し、デューハーストステークスをコースレコードで勝つなど重賞2勝を挙げ2歳時から活躍を見せた。

3歳の初戦は2着。次走はアラジと共にアメリカ合衆国に遠征となった。自身初のダートレースとなるケンタッキーダービーに出走したが、7着と初めて連対を外すこととなった(アラジは8着)。

イギリスに帰国し、続けて英ダービーに出走。英2000ギニー愛2000ギニーを勝利したロドリゴデトリアーノが1番人気となり、それに次ぐ2番人気に推された。レースでは先団に付けそのまま抜け出し、て2着セントジョヴァイトに2馬身差で快勝した。

次走のアイリッシュダービーでは1番人気に推されたが、前走で2着に負かしたセントジョヴァイトに12馬身差をつけられての2着に敗れた。その後インターナショナルステークスではロドリゴデトリアーノの4着に敗れたが、アイリッシュチャンピオンステークスでは直線での叩き合いの末、短頭差でセントジョヴァイトを抑えて勝利。これが生涯最後の勝利となった。凱旋門賞ではスボーティカの6着、ブリーダーズカップ・ターフではフレイズの4着。

その後ジャパンカップで来日。クエストフォーフェイムとともに、現役イギリスダービー馬として初めて日本の競馬に出走した。7番人気でトウカイテイオーの10着と大敗。そのまま引退となり、種牡馬になった。

競走成績

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  • 2歳時(6戦4勝)
    • デューハーストステークス(G1)、ヴィンテージステークス(英G3)
  • 3歳時(9戦2勝)
    • エプソムダービー(英G1)、アイリッシュチャンピオンステークス(G1)、2着 - アイリッシュダービー(愛G1)

種牡馬として

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そのまま日本に輸入され、1993年当初から日本で種牡馬として供用となった。オーバーザウォール(福島記念)やロンドンブリッジ桜花賞2着、優駿牝馬(オークス)優勝馬ダイワエルシエーロの母[1])らを輩出したが、後にイギリスに買い戻された。その後イタリアで供用馬として活躍。2006年、2007年と2連連続でリーディングサイアーに輝いた。

2018年3月、サルディーニャで死亡した[1][2]。29歳没。この高齢でもなお現役種牡馬で、2017年には10頭の牝馬に種付けしていた[3]

主な産駒

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母の父としての主な産駒

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血統表

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ドクターデヴィアス血統クラリオン系(トウルビヨン系) / アウトブリード (血統表の出典)

Ahonoora
1975 栗毛
父の父
Lorenzaccio
1965 栗毛
Klairon Clarion
Kalmia
Phoenissa The Phoenix
Erica Fragrans
父の母
Helen Nichols
1966 栗毛
Martial Hill Gail
Dicipliner
Quaker Girl Whistler
Mayflower

Rose of Jericho
1984 鹿毛
Alleged
1974 鹿毛
Hoist the Flag Tom Rolfe
Wavy Navy
Princess Pout Prince John
Determined Lady
母の母
Rose Red
1979 栗毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Cambrinne Sicambre
Torbella F-No.1-t


出典

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  1. ^ a b c d “92年の英ダービー馬、ドクターデヴィアス死す”. スポーツニッポン新聞社. (2018年3月9日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2018/03/09/kiji/20180309s00004048042000c.html 2018年3月9日閲覧。 
  2. ^ Graham Dench (2018年3月8日). “Chapple-Hyam pays tribute after Derby winner Dr Devious dies at stud aged 28”. Racing Post. https://www.racingpost.com/news/news/the-best-i-trained-says-chapple-hyam-as-he-pays-tribute-to-dr-devious/322322 2018年3月9日閲覧。 
  3. ^ Martin Stevens (2018年3月8日). “Dr Devious stud record failed to live up to excitement of racing career”. Racing Post. https://www.racingpost.com/bloodstock/bloodstock-news/dr-devious-stud-record-failed-to-live-up-to-excitement-of-racing-career/322306 2018年3月9日閲覧。 

外部リンク

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