バルタサール・カルロス・デ・アウストリア
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バルタサール・カルロス・デ・アウストリア Baltasar Carlos de Austria | |
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アストゥリアス公 ポルトガル公 | |
在位 |
アストゥリアス公:1629年 - 1646年 ポルトガル公:1629年 - 1640年 |
出生 |
1629年10月17日 スペイン帝国、マドリード |
死去 |
1646年3月9日(16歳没) スペイン帝国、サラゴサ |
家名 | スペイン・ハプスブルク家 |
父親 | スペイン王フェリペ4世 |
母親 | イサベル・デ・ボルボン |
バルタサール・カルロス・デ・アウストリア(Baltasar Carlos de Austria, 1629年10月17日 - 1646年3月9日)は、スペインの王太子、アストゥリアス公。
生涯
[編集]スペイン王フェリペ4世と最初の妃イサベル・デ・ボルボンの長男として、マドリードで生まれた。同母妹にフランス王ルイ14世妃となったマリア・テレサがいる。イサベルとの間の男子は他に育たなかったため、父フェリペ4世に大切に育てられた。ディエゴ・ベラスケスの描いた肖像画が多く残っている。オーストリア・ハプスブルク家の皇女で従妹にあたるマリア・アンナと婚約していたが、結婚前の1646年にサラゴサで急逝した。
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バルタサール・カルロス、ディエゴ・ベラスケス画
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バルタサール・カルロス、ディエゴ・ベラスケス
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