ビューティフル・ヨコハマ
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「ビューティフル・ヨコハマ」 | ||||
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平山三紀 の シングル | ||||
初出アルバム『ビューティフル・アルバム』 | ||||
B面 | さよならのブルース | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチ・シングル | |||
ジャンル | ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル | 日本コロムビア | |||
作詞・作曲 |
橋本淳(作詞) 筒美京平(作曲) | |||
チャート最高順位 | ||||
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平山三紀 シングル 年表 | ||||
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「ビューティフル・ヨコハマ」は、1970年11月10日に日本コロムビアから発売された平山三紀のデビュー・シングル。
概要
[編集]デビュー前の平山は、橋本淳と筒美京平がホテルニュージャパン内に構えていた宝島音楽事務所へ、歌のレッスンに通っていたが、そこで初めてのオリジナル曲『ビューティフル・ヨコハマ』と『さよならのブルース』を渡される[1]。筒美は当初、バラードである『さよならのブルース』をA面に考えていたが、話し合った結果、2年前に発表されたいしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の続編的な路線を意識し作られた『ビューティフル・ヨコハマ』を、A面曲に決定[2]。『さよならのブルース』はB面曲として発売される。
レコードジャケットの写真は、山下公園で撮影されたものである[3]。また『ビューティフル・ヨコハマ』の二番の歌詞に出てくる人名「ハルオ」は橋本の息子(音楽プロデューサーの与田春生)の名前、「ゼンタ」は筒美の息子の名前である[3]。
プロモーションの一環として日本コロムビアでは、街頭で通勤・通学中の人に本作のレコードジャケット120万枚を配布するキャンペーンを展開した[4]。
CBS・ソニー移籍後の1975年にリリースしたベスト・アルバム『ヒット全曲集』には、新たに編曲された『ビューティフル・ヨコハマ』が収録されており、横山剣、近田春夫など音楽家が、CBS・ソニー盤の本作をフェイバリット・ソングとして挙げている[5]。
収録曲
[編集]全作詞:橋本淳/作曲・編曲:筒美京平
- ビューティフル・ヨコハマ(3:23)
- さよならのブルース(3:22)
収録アルバム
[編集]- ビューティフル・アルバム(1,2)
- 希望の旅(1)
- 恋のダウンタウン 平山三紀 ベスト・オリジナル(1)
他多数
カバー
[編集]- ビューティフル・ヨコハマ
- 秋山絵美(1988年) - シングル『ビューティフル・ヨコハマ』収録。改詞カバー。
- IN THE GROOVE(1997年) - シングル『HISTORY 〜KYOHEI TSUTSUMI 10 MILLION HITS MEDLEY〜』収録。
- 渚ようこ(2002年) - アルバム『YOKO ELEGANCE〜渚ようこの華麗なる世界〜』収録。
- MAYA(2009年) - 配信シングル『Beautiful Yokohama』にて配信。
- ジェニファー(2014年) - アルバム『COVER 60's-70's』収録。
- さよならのブルース
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ CD-BOX『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967〜1997 2013Edition』 ソニー・ミュージックダイレクト(2013年12月25日)ブックレット、57頁。
- ^ 榊ひろと『筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998』白夜書房、1998年、56頁頁。ISBN 4-89-367563-X。
- ^ a b 平山みき、(インタビュアー:鈴木啓之)「平山みき スペシャル・インタビュー レーベルの枠を超えて実現した初のオール・タイム・ベスト」『歌謡曲リミテッド』、東京都、2014年1月17日 。2015年3月3日閲覧。
- ^ 「今月のニュー・スター “ビューティフル時代のヴィーナス”のキャッチ・フレーズでデビュー 平山三紀」『映画情報』1971年3月号。NDLJP:10339841/72
- ^ “クレイジーケンバンド ラジオショウ HONMOKU RED HOT STREET 公式ブログ”. FMヨコハマ (2012年5月19日). 2015年3月3日閲覧。