コンテンツにスキップ

ピエトロ・ナルディーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピエトロ・ナルディーニ
Pietro Nardini
基本情報
生誕 1722年4月12日
トスカーナ大公国フィビアーナ
死没 (1793-05-07) 1793年5月7日(71歳没)
トスカーナ大公国フィレンツェ
ジャンル クラシック
職業 作曲家ヴァイオリニスト

ピエトロ・ナルディーニPietro Nardini, 1722年4月12日 - 1793年5月7日)は、イタリア作曲家ヴァイオリニスト

生涯

[編集]

ナルディーニはフィッビアーナ(Fibbiana、モンテルーポ・フィオレンティーノの分村)に生まれた。リヴォルノで音楽を学び、その後ジュゼッペ・タルティーニの門下に入る。タルティーニに師事し続ける一方、ドイツへと移ってシュトゥットガルトの宮廷チャペルへ入り、そこで1762年指揮者となった。しかしながら、1765年ヴュルテンベルクでの職を辞し、1770年フィレンツェトスカーナ大公のカペルマイスターに就任した。

ヴァイオリニストとしてのナルディーニはレオポルト・モーツァルトの称賛を受けていた。自身も優れたヴァイオリニストであったレオポルトは、ナルディーニの演奏についてこう書き残している。

彼の音色の美しさ、純粋さ、均一さ、そして彼のカンタービレが持つ味を超えるものはない。しかし彼は難技巧を駆使しているわけではないのだ。

イングランドの女性作家ヘスター・リンチ・ピオッツィ(Hester Lynch Piozzi[1]1789年の『Observations and Reflections Made in the Course of a Journey Through France, Italy, and Germany』の中で、彼女と夫のガブリエル・マーリオ・ピオッツィが1785年7月にフィレンツェで催した演奏会においてナルディーニがソロを弾いたと記述している。

ナルディーニは作曲家としては寡作であった。いずれの作品も旋律的で演奏映えし、技術的な練習曲としても有用である。中でも最も知られるのはニ長調のソナタとホ短調の協奏曲である。

レオポルト・モーツァルトの友人であったナルディーニは、彼の息子のヴォルフガング1770年から1771年にかけて初めてイタリアを訪れ、安定した職を求める姿を目にしている。また、ナルディーニはオーストリアロンバルディアを統治していた大公フェルディナンド・デステのカペルマイスターを務めた、ボヘミアの作曲家ヴァーツラフ・ピフルにも出会っている。

ナルディーニはフィレンツェに没した。

主要作品

[編集]
ナルディーニ
  • 6つのヴァイオリン協奏曲 Op.1 (アムステルダム、1765年)
  • 6つのヴァイオリン独奏と通奏低音のための楽曲 Op.5 (ロンドン 1760年頃)
  • 6つのヴァイオリン独奏と通奏低音のための楽曲 Op.2 (アムステルダム 1770年頃)
  • 7つのヴァイオリンソナタ avec les Adagios brodés (出版:パリ、1798年)
  • ソナタ・エニグマティーク (出版:パリ、1803年)
  • 6つのヴァイオリン協奏曲 (草稿)
  • ヴァイオリンと通奏低音のための14のメヌエット (ロンドン、1750年頃)
  • 6つのヴィオール二重奏曲 (ロンドン、1775年頃)
  • 6つの弦楽四重奏曲 (フィレンツェ、1782年頃)
  • 8つのトリオソナタ
  • ヴァイオリン二重奏のためのロマンツァ

脚注

[編集]

出典

  1. ^ Encyclopedia Britannica, "Hester Lynch Piozzi"”. 2014年3月30日閲覧。

外部リンク

[編集]