フランソワ・クレール
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Francois CLERC | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | フランス | |||||
生年月日 | 1983年4月18日(41歳) | |||||
出身地 | ブール=カン=ブレス | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (RSB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1992-1997 | ブール=ペロナ | |||||
1997-2001 | リヨン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2005 | リヨンB | 67 | (7) | |||
2004-2005 | → トゥールーズ (loan) | 7 | (0) | |||
2005-2010 | リヨン | 78 | (1) | |||
2010-2012 | ニース | 61 | (5) | |||
2012-2016 | サンテティエンヌ | 85 | (3) | |||
2016-2018 | ガゼレク・アジャクシオ | 25 | (2) | |||
通算 | 323 | (18) | ||||
代表歴 | ||||||
2005-2006 | U-21フランス | 3 | (0) | |||
2006-2008 | フランス | 13 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年6月11日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランソワ・クレール(François Clerc, 1983年4月18日 - )は、フランス・アン県ブール=カン=ブレス出身の元サッカー選手。元フランス代表である。ポジションはディフェンダー。日本の一部メディアではクレルクと表記する媒体もある。
経歴
[編集]オリンピック・リヨンの下部組織出身で、徐々に頭角を現してきている。レンタルのトゥールーズFCから戻った2005-06シーズンにおいてアントニー・レヴェイエールの負傷の穴を埋めたことで重用されるようになった。
この活躍により各国リーグからのオファーも舞い込むこととなり、代表ではEURO2008のエントリーメンバーにも選出。最終節のイタリア戦でウィリー・サニョルに代わって出番を得たが、出場はこの1試合だけでグループリーグ敗退に終わった。
その後右膝の十字靱帯断裂を負ってからは輝きを失い始め、再びレヴェイエールにポジションを奪われてしまい、代表からも疎遠となってしまった。さらにその後はラミーヌ・ガサマも台頭して完全に存在感を失ってしまった。
2010-11シーズン、夏の移籍マーケット最終日にあたる2010年9月1日に駆け込みでOGCニースへ移籍。ニースではレギュラーとして本来の輝きを取り戻した。
2012年7月9日、古巣リヨンのライバルであるASサンテティエンヌへ移籍。
2016年6月9日、ガゼレク・アジャクシオへ移籍[1]。2017-18シーズン終了後現役引退。
2019年3月31日、ASFアンドレジューの会長に就任した[2]。
プレースタイル
[編集]- 大舞台でも変わらぬプレーを見せる安定感と、攻守のバランスの良さが持ち味。攻撃の印象の強いリヨンにおいては攻めあがったセンターバックのカバーもしっかりできる存在である[要出典]。
所属クラブ
[編集]- リヨンB 2001-2005
- オリンピック・リヨン 2005-2010
- OGCニース 2010-2012
- ASサンテティエンヌ 2012-2016
- ガゼレク・アジャクシオ 2016-2018
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ASサンテティエンヌ
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ : 2012-13
脚注
[編集]- ^ “François Clerc signe en Ligue 2, au Gazélec Ajaccio”. EUROSPORT (2016年6月9日). 2016年12月10日閲覧。
- ^ “元仏代表DFクレルク、酒井のマルセイユを撃破したクラブの会長に就任!”. Qoly (2019年4月1日). 2019年4月2日閲覧。