ペア=マティアス・ヘグモ
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BKヘッケン監督時代(2023年10月5日) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ペア=マティアス・ヘグモ | |||||
ラテン文字 | Per-Mathias Høgmo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ノルウェー | |||||
生年月日 | 1959年12月1日(65歳) | |||||
出身地 | トロムス県グラタンゲン | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1977 | グラタンゲンIL | |||||
1978-1983 | FKミェルナー | |||||
1984-1985 | トロムソIL | |||||
1985-1986 | IFKノルシェーピン | |||||
1986-1989 | トロムソIL | |||||
1989 | グラタンゲンIL | |||||
代表歴 | ||||||
1986 | ノルウェー | 1 | (0) | |||
1991 | サーミ | 1 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1989 | グラタンゲンIL(選手兼任) | |||||
1990-1991 | トロムスダーレンUIL | |||||
1992 | トロムソIL | |||||
1993-1994 | フォッスムIF | |||||
1993 | ノルウェーU-19 | |||||
1994 | ノルウェーU-15 | |||||
1995 | ノルウェーU-16 | |||||
1995-1996 | モスFK | |||||
1996 | ノルウェーU-17 | |||||
1997-2000 | ノルウェー女子 | |||||
2000-2003 | ノルウェーU-21 | |||||
2004 | トロムソIL | |||||
2005-2006 | ローゼンボリBK | |||||
2008-2012 | トロムソIL | |||||
2013 | ユールゴーデンIF | |||||
2013-2016 | ノルウェー | |||||
2017-2018 | フレドリクスタFK | |||||
2021-2023 | BKヘッケン | |||||
2024 | 浦和レッズ | |||||
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ペア=マティアス・ヘグモ(ノルウェー語: Per-Mathias Høgmo、1959年12月1日 -)は、ノルウェー・トロムス県グラタンゲン出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。
報道媒体によっては『ペア・マティアス・ヘグモ』[1]や『ペアマティアス・ヘグモ』[2]とも表記される。
来歴
[編集]トロムス県南部、グラタンゲンの小さな町で育ち、地元のグラタンゲンILでミッドフィールダーとしてサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。1978年、地元で最大のクラブ、FKミェルナーに加入、6年間プレーした後、1984年にトロムソILに移籍した。スウェーデンのIFKノルシェーピンでプレーした1985-86シーズンを除いて、1988年までトロムソILでプレーし、1986年にはノルウェー・カップ優勝メンバーとなった。また、1986年11月8日のスイス戦でヴェガール・スコグハイムに代わって途中出場、ノルウェー代表デビューを飾った。
1989年、キャリアをスタートさせたグラタンゲンILに選手兼監督として加入し、指導者としてのキャリアをスタートさせる。この年限りで現役を退き、翌年からはトロムスダーレンUILで2年間指揮を執ったのち、1992年よりトロムソILの監督に就任した[3]。
1997年にはノルウェー女子代表監督に就任、チームを1999 FIFA女子ワールドカップ4位、2000年シドニーオリンピック金メダルに導くなど、成功を収めた[3]。2000年から2003年にはU-21ノルウェー代表の監督を務めた[3]。その後、トロムソILに復帰し、2度目の監督を務めると、2004年にチームをリーグ4位へと導き、ロイヤルリーグ出場権を獲得した。トロムソでの成功により、他のクラブから関心を集め、2005年8月にペア・ヨアー・ハンセンの後任としてローゼンボリBKの監督に就任した。この時、ヘグモはNRK(ノルウェー国営放送)でサッカー解説者を務めていた[4]が、ローゼンボリBK監督就任とともに退職した。ヘグモは残留争いに巻き込まれていたチームを立て直し、リーグ7位でシーズンを終えた。
しかし翌年、チームはシーズン序盤から不振に陥り、ヘグモは燃え尽き症候群を患ったとして病気休暇を取った。一方、ヘグモの代役として指揮を執ったクヌート・テルムはチームを立て直し、最終的にクラブに20度目のタイトルをもたらした。その最中、ヘグモは10月31日に記者会見を開き、同日付で監督を辞任、「何か他のことをしたい」として指導者から離れると述べた。
その後は2006年12月から2008年12月までノルウェーサッカー協会にトップフットボールマネージャーとして雇われていた[5]が、2009年1月よりトロムソILと3度目の契約を結び、スタイナー・ニルセンの後任として監督に就任した。最初のシーズンは前年リーグ6位だったチームをリーグ3位へと導いた。2009年はクラブとヘグモにとってやや厳しいものとなったが、リーグ6位でシーズンを終えた。 2010年も成功は続き、シーズン序盤は首位に立った。サマーブレイク後は調子を落としたものの、リーグ3位でシーズンを終えた。また、トロムソILの監督をしている間、トロムソ大学でサッカーの博士号取得に取り組んだ[6]。
2013年9月27日、エギル・オルセンに代わってノルウェー代表監督に就任した[7]。 2016年11月16日、3年間の指揮を終えて退任した。
2021年シーズンよりBKヘッケンの監督に就任し、2022年にアルスヴェンスカン優勝、2023年にはスヴェンスカ・クッペン優勝に導いた[8]。
2024年シーズンから、浦和レッズの監督に就任[9][2][1]。8月27日、双方合意の元契約解除となった[10]。
経歴
[編集]選手時代
[編集]- 1977年 グラタンゲンIL
- 1978年 - 1983年 FKミェルナー
- 1984年 - 1985年 トロムソIL
- 1985年 - 1986年 IFKノルシェーピン
- 1986年 - 1989年 トロムソIL
- 1989年 グラタンゲンIL
指導者時代
[編集]- 1989年 グラタンゲンIL 監督(選手兼任)
- 1990年 - 1991年 トロムスダーレンUIL 監督
- 1992年 トロムソIL 監督
- 1993年 - 1994年 フォッスムIF 監督
- 1993年 U-19ノルウェー代表 監督
- 1994年 ノルウェーU-15代表 監督
- 1995年 ノルウェーU-16代表 監督
- 1995年 - 1996年 モスFK 監督
- 1996年 U-17ノルウェー代表 監督
- 1997年 - 2000年 ノルウェー女子代表 監督
- 2000年 - 2003年 U-21ノルウェー代表 監督
- 2004年 トロムソIL 監督
- 2005年 - 2006年 ローゼンボリBK 監督
- 2005年 トロムソIL 監督
- 2013年 ユールゴーデンIF 監督
- 2013年 - 2016年 ノルウェー代表 監督
- 2017年 - 2018年 フレドリクスタFK 監督
- 2019年 - 2020年 フレドリクスタFK フットボールダイレクター
- 2020年 ノルウェーサッカー協会 アカデミーマネージャー
- 2021年 - 2023年 BKヘッケン 監督
- 2024年 浦和レッズ 監督
論文
[編集]- Mental trening i fotball(英題:Mental training in football)、2004 – ISBN 82-7286-148-8
監督成績
[編集]- 2024年8月28日[update] 現在
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | ||||
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試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 % | |||
トロムソIL | 2009年1月1日 | 2012年12月31日 | 120 | 53 | 33 | 34 | 44.17 |
ユールゴーデンIF | 2013年5月15日 | 2013年12月31日 | 22 | 11 | 7 | 4 | 50.00 |
ノルウェー代表 | 2013年9月27日 | 2016年11月16日 | 35 | 10 | 7 | 18 | 28.57 |
フレドリクスタFK | 2017年12月1日 | 2018年12月17日 | 26 | 15 | 7 | 4 | 57.69 |
BKヘッケン | 2021年6月12日 | 2023年12月8日 | 109 | 60 | 22 | 27 | 55.05 |
浦和レッズ | 2023年12月8日 | 2024年8月27日 | 28 | 10 | 8 | 10 | 35.71 |
合計 | 340 | 159 | 84 | 97 | 46.76 |
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- トロムソIL
指導者時代
[編集]- モスFK
- ノルウェー女子代表
- シドニーオリンピック:1回(2000)
- BKヘッケン
- アルスヴェンスカン:1回(2022)
- スヴェンスカ・クッペン:1回(2022-2023)
出典
[編集]- ^ a b “浦和、ヘグモ氏の新監督就任を発表「共に新たな歴史を創り出しましょう」 元ノルウェー代表指揮官”. スポーツ報知. (2023年12月8日) 2023年12月11日閲覧。
- ^ a b “浦和 元ノルウェー代表監督・ヘグモ氏の新監督就任を発表「ともに新たな歴史を」”. スポーツニッポン. (2023年12月8日) 2023年12月11日閲覧。
- ^ a b c "Per-Mathias Høgmo". Store norske leksikon (ノルウェー語). Kunnskapsforlaget. 2009年6月11日閲覧。
- ^ “Høgmo til NRK”. Aftenposten (2005年1月19日). 2021年2月26日閲覧。
- ^ “NFF på jakt etter toppfotballsjef” (2008年12月4日). 2013年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月15日閲覧。
- ^ “Høgmo får verdens beste trenerutdannelse - Universitetet i Tromsø” (2011年1月26日). 2012年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月26日閲覧。
- ^ “Hogmo takes Norway job”. 国際サッカー連盟 (2013年9月27日). 2013年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月15日閲覧。
- ^ 「浦和、来季からの新監督にペア・マティアス・ヘグモ氏が就任!クラブワールドカップ終了後から指揮」『(サッカーキング)』2023年12月8日。2023年12月10日閲覧。
- ^ 『ペア マティアス ヘグモ監督就任のお知らせ』(プレスリリース)浦和レッドダイヤモンズ、2023年12月8日 。2023年12月10日閲覧。
- ^ “浦和、スコルジャ前監督が電撃復帰!ヘグモ監督解任も同時発表…クラブが理由を説明「目指すことを実現できる可能性が最も高い監督」”. Goal.com (2024年8月27日). 2024年8月27日閲覧。
外部リンク
[編集]- ペア=マティアス・ヘグモ - Olympedia
- ペア=マティアス・ヘグモ - National-Football-Teams.com
- ペア=マティアス・ヘグモ - Soccerway.com
- ペア=マティアス・ヘグモ - FootballDatabase.eu
- ペア=マティアス・ヘグモ - WorldFootball.net
- ペア=マティアス・ヘグモ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ペア=マティアス・ヘグモ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ペア=マティアス・ヘグモ - FIFA主催大会成績
- ペア=マティアス・ヘグモ - J.League Data Siteによる監督データ
- ペア=マティアス・ヘグモ - ノルウェーサッカー協会