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マックス・ビアッジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マックス・ビアッジ
マックス・ビアッジ、2007年。
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1971-06-26) 1971年6月26日(53歳)
イタリアローマ
現在のチーム アプリリアアリタリア・レーシング
ゼッケン 3
ウェブサイト max-biaggi.com
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間1998年-2005年
マニファクチャラーホンダ 1998年, 2003年-2005年
ヤマハ 1999年-2001年
チャンピオン0
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
127 13 58 23 14 1624
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間1991年-1997年
マニファクチャラーアプリリア 1991年-1992年, 1994年-1996年
ホンダ 1993年, 1997年
チャンピオン4 1994年, 1995年, 1996年, 1997年
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
87 29 53 33 28 1268
スーパーバイク世界選手権
活動期間2007年-2012年
マニファクチャラースズキ 2007年-2008年
ドゥカティ 2008年-2009年 アプリリア 2009年-2012年
チャンピオン2 2010年,2012年
2012年 順位1位 (358ポイント)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
155 21 70 8 15 2066
2005年 レプソル・ホンダ在籍時

マッシミリアーノ・"マックス"・ビアッジMassimiliano "Max" Biaggi1971年6月26日 - ) は、イタリアローマ出身[1][2]の元オートバイレーサー。

ロードレース世界選手権250ccクラスでは1994年から1997年まで4年連続でチャンピオンを獲得、最高峰500ccクラス・MotoGPクラスでは年間ランキング2位を3度記録した。2007年からはスーパーバイク世界選手権に活動の場を移し、2010年には同選手権でイタリア人初となるチャンピオンに輝く[3]。 2012年には同選手権で2度目の世界チャンピオンを獲得し、その後に引退を表明した。

ニックネームは「イル・コルサーロ(海賊)」、「ローマ皇帝」など。

経歴

[編集]

125cc

[編集]

ローマ生まれのビアッジは幼少からサッカー好きで、地元のASローマサポーターとして育ち、プレイすることを夢見ていた[4]。しかし1989年、17歳の誕生日プレゼントにオートバイを与えられるとレース参戦を始め、翌1990年には125ccのイタリアスポーツプロダクション選手権のチャンピオンとなった。

250cc

[編集]

1991年、ビアッジは250ccクラスにステップアップしてアプリリア・RSV250を駆り、ヨーロッパ選手権のチャンピオンとなった。またシーズン後半にはロードレース世界選手権250ccクラスに4戦スポット参戦し、2レースで入賞してシリーズランキング27位を記録した。

1992年シーズンには、テルコール・バレージ・アプリリアチームからピエールフランチェスコ・キリのチームメイトとしてロードレース世界選手権250ccクラスにフル参戦デビューを果たした。最終戦南アフリカGPで初優勝を果たし、シリーズ5位を記録した。

1993年にはアーヴ・カネモト率いるロスマンズ・カネモト・ホンダチームに移籍し、青木宣篤のチームメイトとしてホンダ・NSR250を駆った。ビアッジは第8戦ヨーロッパGPで1勝を挙げ、シリーズ4位に成績を伸ばした。

1994年より、ビアッジはアプリリアワークス・チームであるチェスターフィールド・アプリリアチームに移籍。原田哲也岡田忠之ロリス・カピロッシラルフ・ウォルドマンらライバルに競り勝ち、1996年までの3年連続でチャンピオンに輝いた。

1997年はカネモト・ホンダチームに復帰。この年もビアッジはウォルドマン・原田との激しいチャンピオン争いを制しクラス4連覇を達成、アプリリアだけではなくホンダでもその強さを見せつけた。

500cc

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そして1998年マールボロ・カネモト・ホンダチームからNSR500を駆って最高峰500ccクラスにデビューを果たしたビアッジは、開幕戦日本GPでいきなりポール・トゥ・ウィンを遂げた。同クラスデビューウィンは1973年ヤーノ・サーリネン以来の快挙となった。その後第10戦チェコGPで2勝目を挙げ、年間ランキングではこの年5連覇を達成したミック・ドゥーハンに次ぐ2位でルーキーイヤーを終えた。

1999年からはヤマハ・ワークスに移籍、YZR500にマシンを乗り換えた。1999年は年間1勝でシリーズ4位、2000年は2勝でシリーズ3位を記録した。そして500ccクラスの最終年度となった2001年には3勝を挙げ、ナストロ・アズーロ・ホンダチームのバレンティーノ・ロッシに次ぐシリーズ2位となった。

MotoGP

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2002年、最高峰クラスは4ストローク990ccマシン主体のMotoGPクラスに改編となった。ビアッジは新たに開発されたYZR-M1を駆り、第10戦チェコGP、第14戦マレーシアGPとシーズン2勝、2年連続でロッシに次ぐシリーズ2位を記録した。

4年間在籍したヤマハワークスを去り、2003年にはホンダのサテライトチームであるキャメル・ホンダ・ポンスチームに移籍。ロッシと同じRC211Vを手に入れたビアッジだったが、ロッシとセテ・ジベルナウによるチャンピオン争いには加われず、2勝でシリーズ3位に終わった。

2004年はロッシがヤマハに移籍したが、ビアッジは第11戦ポルトガルGP、第12戦日本GPと2戦連続リタイヤを喫したことでチャンピオン争いから脱落し、この年もロッシ、ジベルナウに続くシリーズ3位(シーズン1勝)に終わった。

2005年にはワークスのレプソル・ホンダに移籍、ニッキー・ヘイデンのチームメイトを務めることになった。テクニカルディレクターにはかつての盟友アーヴ・カネモトが就く体制となり、ビアッジは有力なチャンピオン候補に挙げられた。しかし結局この年は1勝も挙げることは叶わず、表彰台もわずか4回の獲得に留まってシリーズランキング5位に沈んだ。

2006年シーズンに向けて、ワークスホンダのシートはルーキーのダニ・ペドロサに奪われたため、ビアッジはスポンサーのキャメルを後ろ盾にホンダサテライト、カワサキスズキと交渉をおこなった。さらに2006年1月にはミッドランドF1のテスト走行をおこなった[5]が、結局どのチームとも合意には至らず、1年間の休養を選択することとなった。

グランプリにフル参戦した13シーズンで、ビアッジは201戦連続出場を果たした[6]。これはバレンティーノ・ロッシが1996年から2010年にかけて達成した230戦に次ぐ歴代2位の記録である[7]

スーパーバイク世界選手権

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2007年 SBKアッセン

2006年シーズンに向けて、ビアッジはスーパーバイク世界選手権(SBK)におけるスズキワークス・チームであるコロナ・アルスターと交渉をおこなったが、既にライダーとして決定しているトロイ・コーサー2005年チャンピオン)、加賀山就臣の2人と同スペックの3台目のマシンを用意することが保証されなかったため、契約は見送られていた。そしてその1年後、ビアッジはコーサーと入れ替わる形でアルスター入りし、GSX-R1000を駆って2007年シーズンを戦うこととなった。

ビアッジは開幕戦ロサイルのレース1でいきなり勝利を遂げた。SBKデビューウィンは史上5人目、GP500ccクラスとSBKの両方でデビューウィンを果たしたのは史上初のこととなった。その後第9戦ブルノで2勝目、第12戦バレルンガで3勝目を挙げ、ビアッジはジェームス・トスランドホンダ)、芳賀紀行ヤマハ)に次ぐシリーズランキング3位でルーキーイヤーを終えた。

このシーズンの終わり、アルスターはメインスポンサーのコロナを失い、高給のビアッジを手放さざるを得なくなってしまった。2008年シーズン、ビアッジはグレシーニ・レーシングと交渉し、契約間近というところまでになったが、HRCが横やりを入れて、破談にさせたことで、ステリルガルダ・ゴーイレブンチームに移籍し、プライベーター仕様のドゥカティ・1098RSを駆ることとなった[8]。勝利を挙げることは出来なかったものの7度表彰台に立ち、チームメイトのルーベン・チャウスワークスドゥカティミッシェル・ファブリツィオを上回る年間ランキング7位を記録した。

2010年 SBKミサノ

2009年は、8年ぶりに選手権に復帰したアプリリア・ワークスに移籍した。これはビアッジにとって250cc時代以来13年ぶりのアプリリア復帰となった。チームメイトはMotoGPから移ってきた中野真矢が務めた。ビアッジは第2戦ロサイルでレース1・2とも表彰台(3位)に立ち、第10戦ブルノではアプリリアにSBK復帰後初優勝をもたらした。この年のシリーズランキングでは4位を記録した。

2010年もチームに残留、ルーキーのレオン・キャミアをチームメイトに、メインスポンサーにアリタリアが就いたニューカラーのRSV4を駆ることとなった。第2戦ポルティマオ、第5戦地元モンツァとレース1・2ダブルウィンを遂げてポイントリーダーのレオン・ハスラムを猛追。3度目のダブルウィンとなった第7戦ソルトレークを終えて、ハスラムを逆転しランキングトップに立った[9]。その後も第8戦ミサノで4度目のダブルウィンを遂げるなどチャンピオンシップをリードし続け、第12戦イモラでタイトルが確定。ビアッジはイタリア人初のスーパーバイク世界チャンピオンに輝いた[3]。またこれはアプリリアにとっても初のSBK制覇となった。

2010年10月、ビアッジはアプリリアと2シーズンの契約更改をおこないスーパーバイク世界選手権に継続参戦[10]し、2011年は途中欠場もありシーズン3位に終わったが、2012年トム・サイクスと最終戦レース2まで熾烈なポイント争いを繰り広げ、わずか0.5ポイント差で最高齢記録となる2度目のSBK制覇を果たし、その直後に引退を発表した。

人物

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2010年 SBKソルトレイク

気難しい性格の持ち主であるビアッジは報道陣、チームスタッフや他のライダーたちと軋轢を生むことが多く、「ローマ皇帝」、「マッドマックス」等と称される[11][12][13][14]。他ライダーとの関係の中では同国人のバレンティーノ・ロッシとの対立が最も有名であり、2003年公開のMotoGPドキュメンタリー映画「ファスター」でもビアッジ vs ロッシの構図が大きく取り上げられている。

1997年、ビアッジはスーパーモデルナオミ・キャンベルと付き合っているのではという噂が流れた。これをロッシがからかって、その後のレースで勝利した後に「クラウディア・シファー」と書かれた金髪のダッチワイフを背負ってウィニングランをおこなってみせた[15]

2001年の開幕戦鈴鹿では、ホームストレートでビアッジがロッシを肘で押し出してコースアウトさせた。その後ロッシはビアッジをオーバーテイクすることに成功し、ビアッジに向けて中指を突き立ててみせた。第3戦ヘレスの決勝後には、ロッシがビアッジの顔を殴る騒動が起きた[16]。この様子は「ファスター」にも音声が収録されている。 第6戦のカタルーニャではロッシに次ぐ2位となり、表彰台の上で口論を繰り広げた[17]

2006年1月、ビアッジは上述のとおりミッドランドF1のテストを行ったが、その翌月にはロッシもフェラーリF1のテストを行った。両者ともウェットコンディションの中の走行となったが、ロッシがスピンを喫した一方、ビアッジは問題なくテストをこなした。ビアッジは「今回は自分が勝った」「ロッシにスピンしない方法を教えてやれる」等とプレスに語った[18]

ビアッジは2002年のミス・イタリアであるエレオノーラ・ペドロンと長年連れ添っており、2009年9月には二人の間に長女が[19]、2010年12月には長男が誕生した[20]

主なレース戦績

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ロードレース世界選手権

[編集]
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1991年 250cc アプリリア JPN
AUS
USA
SPA
ITA
GER
AUT
EUR
Ret
NED
FRA
13
GBR
Ret
RSM
12
CZE
VDM
MAL
27位 7
1992年 250cc アプリリア JPN
Ret
AUS
8
MAL
Ret
SPA
10
ITA
3
EUR
3
GER
2
NED
Ret
HUN
Ret
FRA
DNS
GBR
Ret
BRA
2
RSA
1
5位 78
1993年 250cc ホンダ AUS
3
MAL
17
JPN
Ret
SPA
2
AUT
5
GER
4
NED
Ret
EUR
1
RSM
5
GBR
6
CZE
2
ITA
Ret
USA
Ret
FIM
3
4位 142
1994年 250cc アプリリア AUS
1
MAL
1
JPN
4
SPA
Ret
AUT
2
GER
2
NED
1
ITA
Ret
FRA
3
GBR
Ret
CZE
1
USA
2
ARG
2
EUR
1
1位 234
1995年 250cc アプリリア AUS
3
MAL
1
JPN
9
SPA
2
GER
1
ITA
1
NED
1
FRA
2
GBR
1
CZE
1
BRA
2
ARG
1
EUR
1
1位 283
1996年 250cc アプリリア MAL
1
INA
2
JPN
1
SPA
1
ITA
1
FRA
1
NED
3
GER
4
GBR
1
AUT
Ret
CZE
1
IMO
Ret
CAT
1
BRA
Ret
AUS
1
1位 274
1997年 250cc ホンダ MAL
1
JPN
7
SPA
3
ITA
1
AUT
3
FRA
2
NED
DSQ
IMO
1
GER
4
BRA
5
GBR
Ret
CZE
1
CAT
2
INA
1
AUS
2
1位 250
1998年 500cc ホンダ JPN
1
MAL
3
SPA
3
ITA
2
FRA
5
MAD
6
NED
2
GBR
6
GER
2
CZE
1
IMO
3
CAT
DSQ
AUS
8
ARG
5
2位 208
1999年 500cc ヤマハ MAL
Ret
JPN
9
SPA
2
FRA
Ret
ITA
2
CAT
Ret
NED
5
GBR
4
GER
Ret
CZE
4
IMO
3
VAL
7
AUS
2
RSA
1
BRA
2
ARG
2
4位 194
2000年 500cc ヤマハ RSA
Ret
MAL
4
JPN
Ret
SPA
Ret
FRA
Ret
ITA
9
CAT
5
NED
4
GBR
9
GER
4
CZE
1
POR
4
VAL
3
BRA
5
PAC
3
AUS
1
3位 170
2001年 500cc ヤマハ JPN
3
RSA
8
SPA
11
FRA
1
ITA
3
CAT
2
NED
1
GBR
2
GER
1
CZE
10
POR
5
VAL
10
PAC
Ret
AUS
2
MAL
Ret
BRA
3
2位 219
2002年 MotoGP ヤマハ JPN
Ret
RSA
9
SPA
DSQ
FRA
3
ITA
2
CAT
4
NED
4
GBR
2
GER
2
CZE
1
POR
6
BRA
2
PAC
Ret
MAL
1
AUS
6
VAL
3
2位 215
2003年 MotoGP ホンダ JPN
2
RSA
3
SPA
2
FRA
5
ITA
3
CAT
14
NED
2
GBR
1
GER
Ret
CZE
5
POR
2
BRA
4
PAC
1
MAL
3
AUS
17
VAL
4
3位 228
2004年 MotoGP ホンダ RSA
2
SPA
2
FRA
3
ITA
3
CAT
8
NED
4
BRA
2
GER
1
GBR
12
CZE
3
POR
Ret
JPN
Ret
QAT
6
MAL
2
AUS
7
VAL
2
3位 217
2005年 MotoGP ホンダ SPA
7
POR
3
CHN
5
FRA
5
ITA
2
CAT
6
NED
6
USA
4
GBR
Ret
GER
4
CZE
3
JPN
2
MAL
6
QAT
Ret
AUS
Ret
TUR
12
VAL
6
5位 173

スーパーバイク世界選手権

[編集]
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 順位 ポイント 参照
R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2 R1 R2
2007年 スズキGSX-R1000 QAT
1
QAT
2
AUS
3
AUS
4
EUR
3
EUR
2
SPA
8
SPA
2
NED
6
NED
3
ITA
3
ITA
5
GBR
6
GBR
C
SMR
Ret
SMR
3
CZE
2
CZE
1
GBR
3
GBR
8
GER
2
GER
3
ITA
1
ITA
2
FRA
6
FRA
2
3位 397
2008年 ドゥカティ1098RS QAT
2
QAT
3
AUS
Ret
AUS
Ret
SPA
16
SPA
8
NED
10
NED
12
ITA
5
ITA
Ret
USA
9
USA
4
GER
13
GER
7
SMR
Ret
SMR
2
CZE
4
CZE
3
GBR
3
GBR
12
EUR
3
EUR
6
ITA
2
ITA
Ret
FRA
4
FRA
6
POR
Ret
POR
13
7位 238 [21]
2009年 アプリリアRSV4 AUS
11
AUS
15
QAT
3
QAT
3
SPA
8
SPA
8
NED
5
NED
Ret
ITA
11
ITA
5
RSA
5
RSA
5
USA
6
USA
4
SMR
13
SMR
10
GBR
2
GBR
21
CZE
1
CZE
2
GER
5
GER
4
ITA
2
ITA
4
FRA
3
FRA
2
POR
3
POR
6
4位 319 [22]
2010年 アプリリアRSV4 AUS
5
AUS
8
POR
1
POR
1
SPA
2
SPA
3
NED
6
NED
4
ITA
1
ITA
1
RSA
4
RSA
3
USA
1
USA
1
SMR
1
SMR
1
CZE
2
CZE
1
GBR
5
GBR
6
GER
4
GER
5
ITA
11
ITA
5
FRA
4
FRA
1
1位 451 [23]
2011年 アプリリアRSV4 AUS
2
AUS
2
EUR
7
EUR
DSQ
NED
2
NED
2
ITA
2
ITA
8
USA
Ret
USA
3
SMR
2
SMR
2
SPA
2
SPA
1
CZE
2
CZE
1
GBR
11
GBR
4
GER
DNS
GER
DNS
ITA ITA FRA FRA POR
4
POR
7
3位 303
2012年 アププリア・RSV4 AUS
1
AUS
2
ITA
4
ITA
4
NED
4
NED
8
ITA
C
ITA
5
EUR
5
EUR
2
USA
3
USA
3
SMR
1
SMR
1
SPA
1
SPA
4
CZE
6
CZE
4
GBR
Ret
GBR
11
RUS
3
RUS
Ret
GER
1
GER
13
POR
4
POR
3
FRA
Ret
FRA
5
1位 358
2015年 アププリア・RSV4 AUS AUS THA THA SPA SPA NED NED ITA ITA GBR GBR POR POR SMR
6
SMR
6
USA USA MAL
3
MAL
Ret
SPA SPA FRA FRA QAT QAT 20位 36

脚注

[編集]
  1. ^ マックス・ビアッジ - IMDb(英語)
  2. ^ “Max Biaggi Biography”, Motorbike Sport, (5 January 2009), http://www.motorbikesport.co.uk/riderbiography.aspx?id=5 2010年6月25日閲覧。 
  3. ^ a b http://www.worldsbk.com/en/news/latest-news/4444-max-the-first-italian-wsbk-champ.html
  4. ^ https://web.archive.org/web/20111028110256/http://www.motogp.com/en/riders/Max+Biaggi
  5. ^ http://www.crash.net/f1/news/54513/1/biaggi_to_test_with_midland.html
  6. ^ https://web.archive.org/web/20081007003049/http://www.motogp.com/ja/node/488485
  7. ^ https://web.archive.org/web/20111129033716/http://www.motogp.com/ja/news/2010/rossi+under+knife+this+saturday
  8. ^ “Biaggi Signs With Sterilgarda Ducai WSBK!”. SuperbikePlanet.com. http://www.superbikeplanet.com/2007/Oct/071030a.htm 2007年10月30日閲覧。 
  9. ^ Biaggi savours ‘perfect result’ on home soil
  10. ^ http://www.crash.net/world+superbikes/news/164381/1/biaggi_aprilia_together_for_2011_and_2
  11. ^ “Max Biaggi Bio”, MotorcycleUSA, (January 21, 2008), http://www.motorcycle-usa.com/465/1054/Motorcycle-Article/Max-Biaggi-Bio.aspx 2010年6月25日閲覧。 
  12. ^ Macauley, Ted (26 June 2001), “Motorcycling: Italian pair take rivalry to the Max”, Daily Mirror (London): p. 3, http://0-proquest.umi.com.catalog.kcls.org/pqdweb?did=86997821&sid=1&Fmt=3&clientId=13518&RQT=309&VName=PQD 2010年6月25日閲覧。 
  13. ^ Alonso, Ivan (31 October 20012004-10-31), “Rossi takes ninth victory of the season in Valencia”, Motorsport.com, http://www.motorsport.com/news/article.asp?ID=172682&FS=Other%20series 2010年6月25日閲覧。 
  14. ^ Every, Rob (25 February 2007), “WSBK: Roman Emperor Max Biaggi has landed!”, Motorcycle Racing Online, http://www.f1network.net/main/s180/st112424.htm 2010年6月25日閲覧。 
  15. ^ http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/more_sport/article6726964.ece
  16. ^ http://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/3007518/Motorcycling-I-saw-Rossi-hit-Biaggi-says-witness.html
  17. ^ ロッシ時代の盤外戦術=過去の忌むべき風習?”. motorsport.com (2023年1月9日). 2023年1月9日閲覧。
  18. ^ http://www.timesofmalta.com/articles/view/20060202/sport/rossi-shines-in-f1-test-with-ferrari
  19. ^ http://www.twowheelsblog.com/post/2953/max-biaggi-becomes-a-father
  20. ^ http://www.motorcyclenews.com/MCN/sport/sportresults/World-Superbikes/2010/December/dec1610-biaggi-names-first-son-leon/
  21. ^ Portimao; 31 October, 1–2 November 2008: Superbike – Championship Standings”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports (2008年11月2日). 2011年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月7日閲覧。
  22. ^ 2009 Standings Riders – FIM Superbike World Championship”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports. 2010年3月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月7日閲覧。
  23. ^ 2010 Standings Riders – FIM Superbike World Championship”. Superbike World Championship. Infront Motor Sports. 2010年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月7日閲覧。

外部リンク

[編集]