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メイショウホムラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メイショウホムラ
欧字表記 Meisho Homura[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1988年2月17日[1]
死没 2013年4月1日(25歳没)[2]
ブレイヴェストローマン[1]
メイショウスキー[1]
母の父 マルゼンスキー[1]
生国 日本の旗 日本北海道新冠町[1]
生産者 北星村田牧場[1]
馬主 松本好雄[1]
調教師 高橋成忠栗東[1]
厩務員 中田征男
競走成績
タイトル JRA賞最優秀ダートホース(1993年)[1]
生涯成績 25戦10勝[1]
獲得賞金 2億3441万5800円[1]
勝ち鞍
GIII フェブラリーH 1993年
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メイショウホムラ(欧字名:Meisho Homura1988年2月17日 - 2013年4月1日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1993年フェブラリーハンデキャップ1993年度のJRA賞最優秀ダートホースに選出された。馬名の由来は冠名の「メイショウ」と「」。馬主の松本の会社は製鋼業であり、溶鉱炉の火(焔)は絶対に必要であり、松本が「これぞ」という馬に名付けようと決めていたという[3]

戦績

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1990年11月3日京都競馬場ダート1400メートルの新馬戦でデビューし、2着トーワマサルに3秒3という大差をつけて圧勝[2][4]。続く京都3歳ステークスも格上挑戦ながらソーエームテキの3着として阪神3歳ステークスに駒を進め、4番人気に支持されてレースを迎えたがイブキマイカグラの7着に終わり、レース後には骨折が判明して1年近くの休養を余儀なくされ、クラシック路線とも無縁となる[2][4]

1991年11月のダートの500万下条件戦で約11か月ぶりに戦列に復帰し、2着に7馬身差をつけ久々の勝利を挙げる[2][4]。次走阪神競馬場の900万下は最下位に崩れたが、年明けて稲荷特別を勝ち1600万下の羅生門ステークスでのちの天皇賞(秋)安田記念勝ち馬のヤマニンゼファーの2着としたあと東上、格上挑戦でフェブラリーハンデキャップに出走し、ラシアンゴールドの5着[4]。続く自己条件、オープン特別では勝てず、骨膜炎を発症して休養に入る[4]。900万下クラスに降級ののち夏の小倉競馬から戦列に復帰し、休み明けの天草特別を勝って1500万下クラスに再昇級ののちは根岸ステークスへの格上挑戦を含めて3戦勝てなかったものの、11月の花園ステークスを勝ち上がってオープンクラスに上がった[4]

5歳を迎えた1993年はオープン特別の平安ステークスから始動してミスタートウジンの7着に終わり、3度目の東上となったフェブラリーハンデでは柴田政人を背に7番人気で出走、レースでは好位から抜け出し2着シンワコウジに2馬身2分の1差をつけて重賞初勝利を成し遂げた[2][4]。フェブラリーハンデのあと、京葉ステークス、栗東ステークス、武蔵野ステークスとダートのオープン特別を3連勝するが、阪神3歳ステークス以来の芝レースとなった阪急杯では3番人気に支持されるも12頭立ての最下位に終わった[4]。休養を挟み10月の神無月ステークスを勝ったが、次走の根岸ステークスは1番人気もプロストラインの6着に終わる[5]。1993年は芝重賞の阪急杯は別として、年明け初戦と最終戦を取りこぼしながらもフェブラリーハンデを含んでダートのオープンクラスの競走で5勝を記録し[6]、1993年度のJRA賞最優秀ダートホースに選出された[1]。その後は長期休養に入り、約1年ののち戦列に復帰して2戦するも2戦とも最下位に終わり、引退した[7]

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[8]、JBISサーチ[7]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ(人気) 着順 タイム
(上り3F/4F
着差 騎手 斤量
(kg)
勝ち馬/(2着馬)
1990.11.03 京都 3歳新馬 ダ1400m(良) 13 8 13 01.8(1人) 1着 1:25.2 (49.6) -3.3 南井克巳 54 (トーワマサル)
0000.11.18 京都 京都3歳S OP 芝1800m(良) 8 1 1 03.5(2人) 3着 1:49.4 (48.6) -0.3 村本善之 54 ソーエームテキ
0000.12.09 京都 阪神3歳S GI 芝1600m(良) 13 7 10 09.1(4人) 7着 1:35.7 (48.8) -1.3 猿橋重利 54 イブキマイカグラ
1991.11.23 京都 4歳上500万下 ダ1200m(良) 10 7 8 01.5(1人) 1着 1:11.2 (47.7) -1.2 村本善之 55 (プレーリーラブ)
0000.12.14 阪神 4歳上500万下 ダ1400m(良) 13 8 13 01.5(1人) 13着 1:30.2 (55.3) -3.2 村本善之 55 バンブールミエール
1992.01.12 京都 稲荷特別 900 ダ1200m(稍) 16 6 11 01.7(1人) 1着 1:10.7 (47.0) -0.9 南井克巳 56 (カルストンセイコー)
0000.02.02 京都 羅生門S 1500 ダ1200m(稍) 13 1 1 01.7(1人) 2着 1:10.9 (47.2) -0.1 南井克巳 56 ヤマニンゼファー
0000.02.22 東京 フェブラリーH GIII ダ1600m(良) 16 4 8 10.3(6人) 5着 1:36.0 (37.4) -0.6 松永幹夫 54 ラシアンゴールド
0000.03.29 中山 アクアマリンS 1500 ダ1200m(重) 13 1 1 02.1(1人) 2着 1:09.8 (35.9) -0.6 武豊 56 ナイスラーク
0000.04.25 京都 栗東S OP ダ1400m(良) 16 3 5 03.9(2人) 6着 1:23.7 (49.0) -0.7 武豊 54 ディープグローリー
0000.08.02 小倉 天草特別 900 ダ1700m(良) 12 1 1 01.6(1人) 1着 1:48.4 (40.5) -0.6 佐伯清久 57 (サンダーリズム)
0000.08.22 小倉 阿蘇S 1500 ダ1700m(重) 8 3 3 02,7(2人) 2着 1:47.0 (39.5) -1.2 佐伯清久 57 マキバスクリーン
0000.10.25 京都 貴船S 1500 ダ1400m(良) 16 2 4 01.9(1人) 2着 1:24.5 (48.7) -0.1 南井克巳 57 エイシンオレゴン
0000.11.07 東京 根岸S GIII ダ1200m(良) 14 8 14 05.4(3人) 5着 1:11.5 (36.2) -0.5 南井克巳 56 ハッピィーギネス
0000.11.28 京都 花園S 1500 ダ1400m(良) 16 1 1 03.0(1人) 1着 1:23.9 (49.3) -0.1 南井克巳 58 (メモリーベンチャー)
1993.01.17 京都 平安S OP ダ1400m(重) 15 1 1 05.9(4人) 7着 1:23.8 (49.3) -0.6 南井克巳 55 ミスタートウジン
0000.02.20 東京 フェブラリーH GIII ダ1600m(良) 16 8 15 20.1(7人) 1着 1:35.7 (35.8) -0.4 柴田政人 55 (シンワコウジ)
0000.03.13 中山 京葉S OP ダ1800m(良) 11 8 10 02.4(1人) 1着 1:51.5 (37.7) -0.2 柴田政人 57 (ユウユウサンボーイ)
0000.04.24 京都 栗東S OP ダ1400m(不) 13 3 3 04.3(3人) 1着 1:22.9 (36.5) -0.0 松永幹夫 58 (ヒデノリード)
0000.05.15 東京 武蔵野S OP ダ1600m(重) 13 7 11 04.8(2人) 1着 1:35.3 (35.4) -0.0 的場均 59 (トーシンイーグル)
0000.06.06 阪神 阪急杯 GIII 芝1400m(良) 12 3 3 13.5(3人) 12着 1:28.4 (41.4) -4.3 松永幹夫 58 レガシーフィールド
0000.10.09 東京 神無月S OP ダ1600m(重) 10 6 6 03.6(2人) 1着 1:38.7 (38.5) -0.1 柴田政人 59 (エスジービアンカ)
0000.11.06 東京 根岸S GIII ダ1200m(良) 16 7 14 03.6(1人) 6着 1:13.0 (37.8) -0.7 柴田政人 59 プロストライン
1994.10.08 東京 神無月S OP ダ1600m(良) 8 2 2 11.5(5人) 8着 1:41.5 (41.7) -3.2 柴田善臣 60 フジノマッケンオー
0000.11.05 東京 根岸S GIII ダ1200m(良) 13 2 2 43.8(8人) 13着 1:13.1 (37.0) -2.2 柴田善臣 59 フジノマッケンオー

引退後

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引退後は、重賞を1勝したのみという競走実績ながら馬主の厚意もあって、日高町の日西牧場で種牡馬となる。種付け頭数には恵まれていないが、数少ない産駒の中からメイショウバトラー小倉大賞典などの重賞を制するという活躍を見せた。2008年の種付けを最後に種牡馬を引退し、以降は日西牧場で功労馬として余生を送っていたが、2013年4月1日、同牧場で老衰のため死亡した[2][9]

主な産駒

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血統表

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メイショウホムラ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ネヴァーベンド系(ナスルーラ系
[§ 2]

*ブレイヴェストローマン
Bravest Roman
1972 鹿毛
父の父
Never Bend
1960 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djaddah
Be Faithful
父の母
Roman Song
1955 鹿毛
Roman Sir Gallahad III
Buckup
Quiz Song Sun Again
Clever Song

メイショウスキー
1981 鹿毛
マルゼンスキー
1974 鹿毛
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
*シル
Shill
Buckpasser
Quill
母の母
*フェアリーテイル
Fairy Tale
1961 鹿毛
*Sicambre Prince Bio
Sif
Fee Royale Vatellor
RoyaleF-No.4-j
母系(F-No.) フエアリーテイル(BEL)系(FN:4-j) [§ 3]
5代内の近親交配 5代内アウトブリード [§ 4]
出典
  1. ^ [11]
  2. ^ [12]
  3. ^ [11]
  4. ^ [11][12]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q メイショウホムラ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f メイショウホムラが死亡”. 競走馬のふるさと案内所 馬産地ニュース. 公益社団法人日本軽種馬協会 (2013年4月10日). 2019年11月1日閲覧。
  3. ^ 『優駿』2009年9月号、35頁。 
  4. ^ a b c d e f g h #関西競馬四季報94年秋 p. 1064
  5. ^ #関西競馬四季報94年秋 p. 1065
  6. ^ #関西競馬四季報94年秋 pp. 1064-1065
  7. ^ a b メイショウホムラ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月1日閲覧。
  8. ^ メイショウホムラの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年11月1日閲覧。
  9. ^ メイショウホムラが死亡”. 競馬ブック. 2013年4月8日閲覧。
  10. ^ メイショウバトラー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月1日閲覧。
  11. ^ a b c メイショウホムラ 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年11月1日閲覧。
  12. ^ a b c メイショウホムラの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年11月1日閲覧。

参考文献

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  • 「関西競馬四季報 1994秋季号」『競馬ブック』第15巻第3号、ケイバブック。 

外部リンク

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