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ラトビア・ソビエト社会主義共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラトビア・ソビエト社会主義共和国
Latvijas Padomju Sociālistiskā Republika (ラトビア語)
Латвийская Советская Социалистическая Республика (ロシア語)
ラトビア共和国 (1918年-1940年) 1940年 - 1991年 ラトビア
ラトビアSSRの国旗 ラトビアSSRの国章
国旗国章
国の標語: Visu zemju proletārieši, savienojieties!(ラトビア語)
万国の労働者よ、団結せよ!
国歌: Latvijas Padomju Sociālistiskās Republikas himna(ラトビア語)
ラトビア・ソビエト社会主義共和国国歌
ラトビアSSRの位置
公用語 ロシア語(公式)
ラトビア語(事実上)
首都 リガ
ラトビア共産党英語版第一書記
1940年 - 1959年Jānis Kalnbērziņš
1990年 - 1991年アルフレッド・ルビック英語版ロシア語版
最高会議幹部会議長英語版
1940年 - 1952年 アウグスツ・キルヘンシュテインス英語版ロシア語版ラトビア語版
1988年 - 1990年アナトリー・ゴルブノフ英語版ロシア語版
首相
1940年 - 1940年アウグスツ・キルヘンシュテインス
1988年 - 1990年ヴィルニス・エドヴィーンス・ブレシス英語版
面積
1991年64,589km²
人口
1991年2,666,567人
変遷
成立 1940年7月21日
ソ連へ編入1940年8月5日
ナチスによる占領1941年
ソ連へ再編入1944年
独立回復宣言1991年8月21日
独立承認1991年9月6日
通貨ソビエト連邦ルーブル
ラトビア語: rublis
時間帯UTC +3
現在 ラトビア

ラトビア・ソビエト社会主義共和国(ラトビア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ラトビア語: Latvijas Padomju Sociālistiskā Republika: Латвийская Советская Социалистическая РеспубликаLatviyskaya Sovetskaya Sotsialisticheskaya Respublika)は、ソビエト連邦構成共和国の一つ。

ラトビア第二次世界大戦以前には独立国であったが、大戦が起こると1940年エストニアリトアニアとともにソ連に占領される。7月21日にラトビア・ソビエト社会主義共和国となり、8月5日にソ連に編入される。独ソ戦勃発後は1941年から1944年まで、ナチス・ドイツの占領、オストラント総督府に編入された。第二次世界大戦末期にソビエト連邦軍による再占領の後、再度ソビエト連邦構成共和国となり社会主義化が行われた。1991年ソ連8月クーデターの失敗に伴い、同年8月21日に独立した。

なお、1991年9月10日の最高評議会での決定によりラトビア共産党の活動は禁止されたが[1]、1994年には後継政党としてラトビア社会党英語版が創設されている。

ラトビア共産党第一書記の一覧

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第一書記 在任期間
lv:Jānis Kalnbērziņš 1940年8月25日 – 1959年11月25日 (1941年から1944年までロシアに亡命)
アーヴィド・ペリシェ 1959年11月25日 – 1966年4月15日
アヴグスト・ヴォス英語版 1966年4月15日 – 1984年4月14日
ボリス・プーゴ 1984年4月14日 – 1988年10月4日
ヤーニス・ヴァグリス英語版 1988年10月4日 – 1990年4月7日 (党の指導者としての役割は1990年1月11日に廃止)
アルフレッド・ルビック英語版 1990年4月7日 – 1991年9月10日

出典

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  1. ^ Par dažu sabiedrisko un sabiedriski politisko organizāciju darbības izbeigšanu

関連項目

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