ロバート・ガスコイン=セシル (第5代ソールズベリー侯爵)
第5代ソールズベリー侯爵 ロバート・ガスコイン=セシル Robert Gascoyne-Cecil, 5th Marquess of Salisbury | |
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生年月日 | 1893年8月27日 |
出生地 | イギリス ハートフォードシャー州ハットフィールド ハットフィールド・ハウス |
没年月日 | 1972年2月23日(78歳没) |
死没地 | イギリス ハートフォードシャー州ハットフィールド ハットフィールド・ハウス |
出身校 |
イートン・カレッジ オックスフォード大学クライスト・チャーチ |
所属政党 | 保守党 |
称号 |
ガーター勲章勲爵士(KG) 枢密顧問官(PC) 王立協会フェロー(FRS) |
配偶者 | エリザベス・キャヴェンディッシュ |
子女 | 3人 |
親族 |
第3代ソールズベリー侯爵(祖父) 第4代ソールズベリー侯爵(父) 第4代ハーレック男爵(義兄) 第7代ソールズベリー侯爵(孫) |
内閣 | 第2次ウィンストン・チャーチル内閣 |
在任期間 |
1940年10月3日 - 1942年2月19日 1943年9月24日 - 1945年7月26日 |
国王 | ジョージ6世 |
内閣 | 第3次ウィンストン・チャーチル内閣 |
在任期間 | 1951年10月28日 - 1952年5月7日 |
国王 | ジョージ6世 |
内閣 | 第3次ウィンストン・チャーチル内閣 |
在任期間 | 1952年3月12日 - 1952年11月24日 |
国王 | ジョージ6世 |
内閣 |
第3次ウィンストン・チャーチル内閣 アンソニー・イーデン内閣 |
在任期間 | 1952年11月25日 - 1957年3月29日 |
国王 |
ジョージ6世 エリザベス2世 |
第5代ソールズベリー侯爵ロバート・アーサー・ジェイムズ・ガスコイン=セシル(英語:Robert Arthur James Gascoyne-Cecil, 5th Marquess of Salisbury、KG. PC, FRS、1893年8月27日 - 1972年2月23日)は、イギリスの政治家、貴族。1903年から1947年まで「クランボーン子爵」の儀礼称号を称した。
経歴
[編集]1893年8月27日にハートフォードシャー州ハットフィールドのハットフィールド・ハウスにて、第4代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ガスコイン=セシルと、その妻である第5代アラン伯爵アーサー・ゴアの娘シシリーの間に長男として誕生する[1]。ヴィクトリア朝期に首相を務めた第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルは父方の祖父にあたる[2]
イートン・カレッジを経てオックスフォード大学オックスフォード大学クライスト・チャーチで学ぶが、第一次世界大戦にグレナディアガーズ中尉として従軍したため学位は取得しなかった。
1929年イギリス総選挙で南ドーセット州選挙区から初当選し、1941年まで庶民院議員。1935年から1938年まで外務省政務次官を、1940年に主計長官を、1940年から1942年まで自治領大臣をそれぞれ務めた。1941年に父親の爵位の従属称号「セシル男爵」として貴族院に招集され(繰上勅書)、貴族院議員となる。その後は1942年に植民地大臣(Secretary of State for the Colonies)、1942年から1943年まで王璽尚書を歴任した。1942年から1945年までは貴族院院内総務(Leader of the House of Lords)を兼ね、1943年から1945年は自治領大臣に再任された。1947年に父親から爵位を相続した。
1950年代はサー・ウィンストン・チャーチル、サー・アンソニー・イーデン、ハロルド・マクミランの下で1951年から1952年まで王璽尚書を[3]、1951年から1957年まで貴族院院内総務を、1952年にイギリス連邦大臣を、1952年から1957年まで枢密院議長を務めた。
1957年1月にイーデンが後任をエリザベス2世に推薦せずに首相を辞職した時、候補はラブ・バトラーとマクミランの2人がいた。女王はどちらに大命を降すべきかの助言をチャーチル、ヒース、ソールズベリーらに求めた。この時圧倒的な支持でマクミランが組閣を命じられたことはメディアに驚きをもって迎えられたが、後にバトラーは庶民院の新人議員に大きな反バトラー派が存在していたことを回顧録で認めた。
ソールズベリーは強硬な帝国主義者として知られていた。1952年にイギリス連邦大臣であった彼は、イギリス人女性と結婚したセレツェ・カーマのベチュアナランド(現在のボツワナ)への帰国を妨げようと試みた。1960年代も南アフリカ共和国・南ローデシア(現在のジンバブエ)を統治する白人政府の忠実な弁護者であった。貴族院のリベラルな改革にも強く反対していたが、一方で「総選挙でマニフェストとして掲げられた法案について貴族院は第2・第3読会で反対できない」とするソールズベリー・ドクトリンを作ってもいる。
1961年にソールズベリーは保守党内の右派グループであるコンサバレイティブ・マンデー・クラブの初代代表となり、死去するまで務めた。
1951年から1971年までリヴァプール大学の総長でもあった。1970年にはアパルトヘイト支持をはじめとする反動的主張を行う彼の解任を求め、学生が上院議事堂を占拠する事件が起きている。
1940年に枢密顧問官に列せられ、1946年にガーター勲章を受勲[4]。1960年から1972年まはガーター騎士団の長官(Chancellor of the Order of the Garter)に任じられていた。1957年には王立協会フェローにも選出されている[5]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1941年1月21日の繰上勅書により父ジェイムズ・ガスコイン=セシルから次の爵位を継承した[1][2]。
1947年4月2日の父のジェイムズ・ガスコイン=セシルの死去により、以下の爵位を継承した[1][2]。
- 第5代ソールズベリー侯爵 (5th Marquess of Salisbury)
- (1789年8月18日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位)
- 第11代ソールズベリー伯爵 (11th Earl of Salisbury)
- 第11代クランボーン子爵 (11th Viscount Cranborne)
勲章
[編集]家族
[編集]リチャード・キャヴェンディッシュ卿の娘であるエリザベス・ヴェア・キャヴェンディッシュと1915年12月8日に結婚した。夫人との間には三男が生まれたが、爵位を継いだ長男のクランボーン子爵ロバート・エドワード・ピーター・ガスコイン=セシル以外の二子には先立たれている。
出典
[編集]- ^ a b c d Lundy, Darryl. “Robert Arthur James Gascoyne-Cecil, 5th Marquess of Salisbury” (英語). thepeerage.com. 2016年8月11日閲覧。
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Salisbury, Marquess of (GB, 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年7月22日閲覧。
- ^ "No. 39374". The London Gazette (英語). 2 November 1951. p. 5716. 2012年12月24日閲覧。
- ^ "No. 37807". The London Gazette (Supplement) (英語). 3 December 1946. p. 5945. 2012年12月24日閲覧。
- ^ "Gascoyne-Cecil; Robert Arthur James (1893 - 1972); 5th Marquess of Salisbury". Record (英語). The Royal Society. 2012年12月24日閲覧。
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Viscount Cranborne
- ロバート・ガスコイン=セシル - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
- "ロバート・ガスコイン=セシルの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ロバート・ヤーバーグ |
サウス・ドーセット選挙区 選出庶民院議員 1929年–1941年 |
次代 ヒンチングブルック子爵 |
公職 | ||
先代 初代カルデコート子爵 クレメント・アトリー |
自治領大臣 第10代:1940年10月3日 - 1942年2月19日 第12代:1943年9月24日 - 1945年7月26日 |
次代 クレメント・アトリー クリストファー・アディソン |
先代 初代モイン男爵 |
植民地大臣 1942年2月22日 - 1947年11月22日 |
次代 オリヴァー・スタンリー |
先代 サー・スタッフォード・クリップス リチャード・ストークス |
王璽尚書 1942年11月22日 - 1943年9月24日 1951年10月28日 - 1952年5月7日 |
次代 初代ビーヴァーブルック男爵 ハリー・クルックシャンク |
先代 初代モイン男爵 初代アディソン子爵 |
貴族院院内総務 1942年2月21日 - 1945年7月26日 1951年10月28日 - 1957年3月29日 |
次代 初代アディソン子爵 第14代ヒューム伯爵 |
先代 初代イズメイ男爵 |
コモンウェルス担当大臣 第5代:1952年3月12日 - 1952年11月24日 |
次代 初代ウールトン子爵 |
先代 初代ウールトン男爵 |
枢密院議長 1952年11月25日 - 1957年3月29日 |
次代 第14代ヒューム伯爵 |
党職 | ||
先代 初代モイン男爵 |
保守党貴族院院内総務 1942年–1957年 |
次代 第14代ヒューム伯爵 |
先代 クラブ創設 |
月曜クラブ議長 1961年5月 – 1962年 |
次代 ポール・ブリストル |
名誉職 | ||
先代 初代ハリファックス伯爵 |
ガーター騎士団騎士団長 1960年–1972年 |
次代 第10代コバム子爵 |
グレートブリテンの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・ガスコイン=セシル |
第5代ソールズベリー侯爵 1947年–1972年 |
次代 ロバート・ガスコイン=セシル |
イングランドの爵位 | ||
先代 ジェイムズ・ガスコイン=セシル |
エッセンドンの第11代セシル男爵 (繰上勅書) 1941年–1972年 |
次代 ロバート・ガスコイン=セシル |