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三日月藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三日月藩(みかづきはん)は、播磨国佐用郡三日月(兵庫県佐用郡佐用町三日月)周辺を領した。藩庁は三日月陣屋。別名・乃井野藩(のいのはん)。

概略

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元禄10年(1697年)、宗家の美作国津山藩森家改易および備中西江原藩での再興(のち播磨国赤穂藩)にともない、分家の津山新田藩主・森長俊が新田石高と同じ1万5千石を与えられ立藩した。佐用郡・揖西郡宍粟郡内の一部を領有し、9代174年間この地に在封した。

5代藩主・快温は寛政7年(1759年)私財を投じ藩校「廣業館」を開いた。

幕末に領内の三方里山に演武場(軍事教練場)を開いた。現在は三方里山公園となっている。

明治初頭の戊辰戦争では官軍方につき、東北遠征に参戦している。

明治4年(1871年)廃藩置県により三日月県となる。姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。

藩主家は明治2年(1869年)華族に列し明治17年(1884年)子爵となった。

歴代藩主

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森家

外様 1万5千石 (1697年 - 1871年)

氏名 官位 在職期間 享年 備考
1 森長俊
もり ながとし
従五位下
対馬守
元禄10年 - 正徳5年
1697年 - 1715年
87 津山新田藩から転封。
美作津山藩2代藩主・森長継の五男。
2 森長記
もり ながのり
従五位下
安芸守
正徳5年 - 元文4年
1715年 - 1739年
81 初代藩主・長俊の長男。
3 森俊春
もり としのぶ
従五位下
対馬守
元文4年 - 安永3年
1739年 - 1774年
81 2代藩主・長記の五男。
4 森俊韶
もり としつぐ
従五位下
対馬守
安永3年 - 寛政5年
1774年 - 1793年
48 3代藩主・俊韶の長男。
5 森快温
もり はやあつ
従五位下
下野守
寛政5年 - 享和元年
1793年 - 1801年
33 安芸広島藩7代藩主・浅野重晟の三男。
寛政5年(1793年)に前藩主・俊韶の養嗣子となる。
6 森長義
もり ながよし
従五位下
河内守
享和元年 - 文化6年
1801年 - 1809年
51 備中新見藩5代藩主・関長誠の次男。
7 森長篤
もり ながあつ
従五位下
対馬守
文化6年 - 文化13年
1809年 - 1816年
22 播磨赤穂藩7代藩主・森忠賛の十一男。
文化5年(1808年)に前藩主・長義の養嗣子となる。
8 森長国
もり ながくに
従五位下
佐渡守
文化13年 - 嘉永元年
1816年 - 1848年
48 6代藩主・長義の長男。
9 森俊滋
もり とししげ
従五位下
伊豆守
嘉永元年 - 明治4年
1848年 - 1871年
44? 8代藩主・長国の次男。

幕末の領地

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関連項目

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  • 津山藩 - 長俊の実家であり森本家の藩。三日月藩へ転封となる以前は、津山藩内に支藩・津山新田藩主となっていた。継嗣であり5代藩主となるはずだった衆利(長俊の弟)発狂により改易。
  • 西江原藩 - 津山藩改易後、津山2代藩主長継が再勤し与えられた藩で、10年間だけ存在した2万石の藩。長俊の弟である長直が継ぐ。森本家扱い。
  • 赤穂藩 - 長直が西江原藩後に転封となった2万石の藩。
  • 新見藩 - 長俊の弟である関長治が本家の津山藩改易後に転封となって創設した1万8千石の藩。
  • 下館藩
  • 久留里藩 - 三日月藩主森家の分家。長俊の子森光照が、久留里藩主黒田家に仕えて家老職を世襲した。

外部リンク

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先代
播磨国
行政区の変遷
1697年 - 1971年 (三日月藩→三日月県)
次代
姫路県