上町一丁目停留場
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(上町一丁目駅から転送)
上町一丁目停留場* | |
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ホームに停車する伊野行き | |
かみまちいっちょうめ Kamimachi 1-chome (坂本龍馬誕生地前) | |
◄枡形 (0.2 km) (0.2 km) 上町二丁目► | |
所在地 | 高知県高知市上町一・二丁目 |
所属事業者 | とさでん交通 |
所属路線 | 伊野線 |
キロ程 | 1.7 km(はりまや橋起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1906年(明治39年)10月9日 |
上町一丁目停留場(かみまちいっちょうめていりゅうじょう)は、高知県高知市上町にあるとさでん交通伊野線の路面電車停留場。坂本龍馬誕生地前の副名称が付けられている。
歴史
[編集]当停留場は1906年(明治39年)、本町筋一丁目停留場(ほんちょうすじいっちょうめていりゅうじょう)の名で開業した[1]。1936年(昭和11年)には町名変更により表記を「本丁筋一丁目」に変更[2]。1942年(昭和17年)に停留場はいったん休止されるが、10年後の1952年(昭和27年)に営業を再開した[1]。上町一丁目と称するようになったのは1966年(昭和41年)のことで、これは同年に住居表示実施に伴う町名変更によるものである[2]。
一時は停留場の廃止が計画されたこともあったが、当地が坂本龍馬の誕生地であること、近くに高知県立盲学校があることを理由に存置されている[3]。
年表
[編集]- 1906年(明治39年)10月9日:土佐電気鉄道の本町筋一丁目停留場として開業[4]。
- 1936年(昭和11年)8月1日:本丁筋一丁目停留場に改称[4]。
- 1942年(昭和17年)7月29日:休止[4]。
- 1952年(昭和27年)7月1日:再開[4]。
- 1966年(昭和41年)8月10日:上町一丁目停留場に改称[4]。
- 2014年(平成26年)10月1日:土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[5]。とさでん交通の停留場となる。
停留場構造
[編集]上町一丁目停留場は伊野線の併用軌道区間にあり、ホームは道路上に置かれている。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように設けられている[6]。ただし互いのホーム位置は東西方向にずれていて、東にはりまや橋方面行き、西に伊野方面行きのホームがある[6]。伊野方面行きのホームは上町二丁目、はりまや橋方面行きのホームは一丁目に位置する。
停留場周辺
[編集]伊野線の軌道が敷かれている電車通りはかつての往還道に相当し、街道沿いの上町界隈には大店(おおだな)が軒を連ねていた[2]。その大店のひとつ「才谷屋」の分家から生まれたのが坂本龍馬であり、上町は龍馬の生まれ育った町である[2][7]。坂本龍馬誕生地は当停留場が最寄りで、電車通りの一筋南、徒歩3分の距離には高知市立龍馬の生まれたまち記念館がある[2][8]。
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、60頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- ^ a b c d e 『土佐電鉄が走る街 今昔』34-35頁
- ^ 『路面電車はゆく 高知』高知新聞社、1998年、88頁。ISBN 4-87503-268-4。
- ^ a b c d e 『土佐電鉄が走る街 今昔』98・156-158頁
- ^ 上野宏人 (2014年10月2日). “とさでん交通:「再出発」 「便利な市民の足に」高知で設立式 新デザインの車両披露”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第2巻 四国西部エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年、40,93頁。ISBN 978-4-06-295161-6。
- ^ “上町の歴史”. 高知市立龍馬の生まれたまち記念館. 2017年5月16日閲覧。
- ^ “電車軌道路線図” (PDF). とさでん交通. 2017年5月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 土佐電鉄の電車とまちを愛する会『土佐電鉄が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2006年。ISBN 4-533-06411-6。