亀田昭雄
基本情報 | |
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本名 | 亀田 昭雄 |
通称 | 200年に一人の天才 |
階級 | スーパーライト級、ウェルター級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1956年11月19日 |
出身地 | 栃木県安蘇郡葛生町(現:佐野市) |
死没日 | 2022年4月16日(65歳没) |
死没地 | 栃木県佐野市 |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 27 |
KO勝ち | 21 |
敗け | 4 |
亀田 昭雄(かめだ あきお、1956年11月19日 - 2022年4月16日)は、栃木県出身の元プロボクサーである。ミカドジム→協栄→バトルホーク風間ジム所属。日本王座2階級を制したが、東洋太平洋王座と世界王座獲得には失敗した。協栄ジム所属時は「具志堅用高を超える逸材。200年に一人の天才」と称された[1]。
来歴
[編集]1975年に全日本アマチュアボクシング選手権大会優勝。
1977年3月15日、エドモンド・ゴーベイアを2RTKOで沈め、プロデビューを飾る。
1978年4月28日、辻本章次を5RKOで下し、日本ウェルター級王座獲得。この試合まで7戦連続KO勝利。
8度の防衛を重ねた後、1981年日本王座返上。
1982年7月4日、一階級下のジュニアウェルター級でWBA王座に挑むが、アーロン・プライヤーに6RTKO負け。これがプロキャリア初の敗北となった。
1984年、金応植が持つOPBF東洋太平洋王座に2度挑戦するが、いずれもKO負け。
試合後、日本王座返上とともにIBF日本加盟のバトルホーク風間ジムへ移籍。
1985年10月27日、塚田敬を5RKOで退けIBF日本ウェルター級王座獲得。
1986年7月1日、テリー・マーシュが持つIBFジュニアウェルター級王座に挑むが6RTKOで敗れ引退。
引退後はサラリーマンを経て、栃木県佐野市に整体院を開業。2020年に癌の可能性を指摘されるも処置が遅れ、2022年4月16日に直腸癌により死去[2]。
エピソード
[編集]現役中にNHKの科学教養番組「ウルトラアイ」(1978年10月9日放送、テーマ「ボクシング」)に出演し、司会の山川静夫アナと公開マッチを行ったことがある(2R・KOで亀田の勝ち)。
戦績
[編集]- 31戦27勝(21KO)4敗
脚注
[編集]- ^ 200年に一人の天才ボクサーが語る「美しき敗者ノニト・ドネア」Yahoo!ニュース 2019年11月10日
- ^ 訃報 プライアーをダウンさせた天才 元日本2階級王者の亀田昭雄さん死すBoxing News 2022年4月27日
関連項目
[編集]前王者 辻本章次 |
第27代日本ウェルター級王者 1978年4月28日 - 1981年 |
空位 次タイトル獲得者 ダイナマイト松尾 |
前王者 守安竜也 |
第15代日本ジュニアウェルター級王者 1982年11月2日 - 1984年 |
空位 次タイトル獲得者 田名部雅寛 |