コンテンツにスキップ

信谷定爾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
信谷定爾

信谷 定爾(のぶたに さだじ、1857年1月12日安政3年12月17日) - 1893年明治26年)11月9日[1])は、教育者。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。下総国生実藩士。

経歴

[編集]
  • 1869年(明治2年) - 開成所(後に大阪南校)に入りフランス語を学ぶ。
  • 1870年明治3年) - 大学南校の貢進生に選ばれ、普通学と諸芸学を履修する。
  • 1874年(明治7年) - 天文学科に移るが、廃止になり再び諸芸学科に戻る。
  • 1875年(明治8年) - 諸芸学科の廃止により、東京大学仏語物理学科に入る。
  • 1878年(明治11年)12月 - 東京大学仏語物理学科第1期卒業。
  • 1881年(明治14年) - 東京物理学講習所の創立者の一人となる。
  • 1885年(明治18年) - 東京物理学校維持同盟員となる。
    上記のほか、東京大学助教授陸軍士官学校教授を勤めた。

脚注

[編集]
  1. ^ 『東京物理学校五十年小史』(東京物理学校、1930年)p.196