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光岡史朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
光岡 史朗
(みつおか しろう)
誕生 1949年10月
日本の旗 日本神奈川県
死没 (2015-09-09) 2015年9月9日(65歳没)
職業 コピーライター作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 明治大学法学部
神奈川県立横浜翠嵐高等学校
代表作ボディ・ジャック』(2005年)
主な受賞歴 幸福の科学ユートピア文学賞(2005年)[1][2]
公式サイト 光岡史朗ブログ
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光岡 史朗(みつおか しろう、1949年昭和24年〉10月 - 2015年平成27年〉9月9日)は、日本コピーライター作家[1]

1949年生まれ。神奈川県出身。県立横浜翠嵐高校[1]。高校時代から文学に親しむが、1967年高校3年のとき「10.8羽田事件」にショックを受け、急速に政治運動、マルクス主義に興味を抱く。明治大学に入学するが、その入学式の次の日から学生自治会室に入りびたる[3]

サークル社会主義研究会。そこはブント社学同の拠点サークルのひとつであった。そして1年生の後期から法学部委員長として活動し。ほとんど学生会館に泊り込みで、アジビラをつくり、立て看板を描き、毎朝校門でビラ撒きをする生活をおくる。もちろん闘争では赤ヘルの先頭集団を担い、この年の「10.21国際反戦デー」では丸太ん棒部隊として防衛庁を攻撃することになった[3]。 しかし、赤軍派との分裂・内ゲバ闘争をきっかけに学生運動全体に疑問を感じ、やがてそこから足を洗った[3]。 明治大学卒業後は外資系広告代理店にもぐりこみ[1]、数社を経て、1980年、コピーライターとして独立する[1]TBSぎんざNOW!」などのTV番組構成(台本書き)[1]作詞雑誌への歴史記事執筆、さらには自ら雑誌を創刊し、編集発行するなど、広く浅く経験した[3]

小説『ボディ・ジャック』が処女作だが、2005年に「幸福の科学ユートピア文学賞」を受賞し[1]2008年に、倉谷宣緒監督、高橋和也柴田光太郎主演で映画化される[3][2]

2015年(平成27年)9月9日没。享年67(数え年)、満65歳[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 光岡 史朗(みつおか しろう)翠嵐会”. 翠嵐会-神奈川県立横浜翠嵐高等学校同窓会 (2017年1月1日). 2022年2月11日閲覧。
  2. ^ a b “大川総裁”のお墨付き!? トンデモ映画と「幸福の科学」の関係”. 日刊サイゾー (2008年11月9日). 2023年3月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e 映画「ボディ・ジャック」公式ページ原作者インタビュー”. 映画「ボディ・ジャック」公式ページ (2008年9月30日). 2022年2月10日閲覧。

外部リンク

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