六人部是香
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この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 (2007年3月) |
六人部是香(むとべ よしか、寛政10年4月22日(1798年6月6日) - 文久3年11月28日(1864年1月7日))は、幕末の国学者。山城国乙訓郡向日神社の神職(忠篤)の子。節香は忠篤の弟で、是香の伯父にあたる。初名惟篤 通称は縫殿・美濃守・宿禰などと称する。号は葵渓・一翁・篶舎など。生年は1806年説もある。享年66。
平田篤胤に学び、郷里の山城で私塾を開いた。篤胤の『幽顕弁』を敷衍し講説した産土信仰や顕幽順考の論で知られる。
著作
[編集]- 太古史 十巻
- 太古史考証 十巻
- 上古史 十六巻
- 上古史考証十六巻
- 古道本義傳 廿巻
- 古傳本辞録并徴
- 日中神事記 二巻
- 顕幽順考論 五巻
- 順考神事傳三十巻
- 順考三大論 五巻
- 天津眞保良末考
- 道の一言・道の一言講義
- 神於呂志神歌考
- 神習社置文
- 稲荷神社考附釈
- 三教本論 七巻
- 挫魔概論 十巻
- 龍田考 一巻
- 大祓詞天津菅麻 五巻
- 復古大祓祭典式 一巻
- 布留野道別
- 志豆多巻 三巻
- 日中祝詞記 一帖
- 禳疫祓祭典式
- 詠歌本論 三巻
- 新撰萬葉集玉小菅五巻
- 長歌玉琴
- 小倉百首峯紅葉五巻
- 萬葉集要解 三十巻
- 長謌篶廼木綿垂
- 眞帆能追風 一巻
- 産須那社古傳抄
- 産須那社古傳抄広義 四巻
- 日向國神蹟考
- 村雲日記