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冷泉為和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
冷泉為和
時代 戦国時代
生誕 文明18年(1486年
死没 天文18年7月10日1549年8月3日
戒名 静清
官位 正二位権大納言
氏族 上冷泉家
父母 父:冷泉為広
兄弟 為和、応猷、尊俊、孝我、将軍家女房
為益明融[1]広橋兼真[2]
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冷泉 為和(れいぜい ためかず)は、戦国時代公卿歌人権大納言冷泉為広の子。官位正二位・権大納言。上冷泉家7代当主。

経歴

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駿河国能登国近江国等各地へ下向しているが、家領のあった地域を支配する今川氏との関係が深く、駿府での生活が最も長かった。今川氏より今川姓の使用を許されたとも伝えられる。今川氏の依頼により、相模国後北条氏甲斐国甲斐武田氏の許に滞在し、在地の歌壇を指導している。今川氏は天文6年(1537年)に武田氏との間に甲駿同盟を結び後北条氏とは敵対しているが(河東の乱)、これ以後為和は駿河・甲斐間を頻繁に往復するようになり、今川氏の外交使節的立場の人間であったと考えられている。

天文17年(1548年)には駿河で出家し、翌天文18年(1549年)同地において薨去。家督は子・為益が継いだ。

歌集に『為和卿集』がある。近年、その原本である『為和詠草』が冷泉家時雨亭叢書に収められ公刊された。

系譜

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  • 父:冷泉為広(1450-1526)
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:冷泉為益(1516-1570)
    • 男子:明融(? - 1582)
    • 男子:広橋兼真 - 広橋兼秀の養子

脚注

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  1. ^ 源氏物語の写本である明融本を書写したとされる
  2. ^ 広橋兼秀の養子。

出典

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関連項目

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