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利用者:桂鷺淵/寛政譜/h01

寛政重修諸家譜』巻1340~

1340-1344

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巻第千三百四十

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§1340-1

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平氏(清盛流)

又三郎 豊昌
関安芸守俊盛の末裔と称する。関利兵衛豊房が御徒に加えられる。
関五郎左衛門豊好が班を進められて御勘定・川船奉行などを務める。
  • ●関豊房 利兵衛:御徒・御徒組頭
    • ●関豊重 左源太・利兵衛:支配勘定
      • ●関豊好 弥四郎・五郎左衛門:支配勘定→御勘定150俵・川船奉行 ◇神谷久時養女
        • 関某 理兵衛・五郎兵衛:御勘定✝
        • ●関豊勝 兵左衛門 < 山本某源五右衛門の子:御勘定150俵
          • ●関豊章 甚三郎
            • ●関豊久 佐之助・五郎兵衛△ < 高木元教の子:小十人 ◇鈴木正誠の女→大久保忠奇《黒田甲斐守家臣》の娘
              • 関豊忠 彦五郎
              • 羽田義将 左吉・権之丞 > 羽田明政の養子
              • 関豊近 勝五郎✝ < 高木元武の子
              • 関豊昌 又三郎 < 鈴木朝正の三男:小十人、150俵
                • 関豊脩 銕之助 ∥ 関昌武 道之助
            • * ※a2:豊久の妻△
          • * ※a1 > 兄・豊章の養女
        • * ∥ *:宮沢利成の妻
旧刊本 12

§1340-2

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庄八郎 忠国
関瀬兵衛勝森は甲府徳川家に仕える。関瀬兵衛忠勝が御家人となり御勘定などを務める。
  • ●関勝森 瀬兵衛:桜田の館に仕える
    • ●関忠勝 甚五左衛門・瀬兵衛:甲府徳川家徒目付→西の丸表火番・吹上花畑奉行・御勘定、100俵5口 ◇植村正直の娘
      • ●関吉次 甚三郎・清右衛門:御勘定・林奉行 ◇岡部友綱の娘
        • ●関政森 安太郎
          • ●関忠次 八十吉 ◇竹尾忠辰の娘
            • 関忠国 庄八郎 < 玉井祐英の三男:100俵+5口 ◇向坂成章の娘
          • 関某 金次郎
        • 関某 十郎右衛門:清水重好に仕える
      • *:大類久彰の娘 ∥ *
旧刊本 13

§1340-3

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神戸かんべ
十太夫 但信
伊勢平氏関氏の裔を称す。神戸十太夫盛信(はじめ関氏)が慶長年中に駿府で御徒となる。
神戸藤七郎雅珍が班を進められ御勘定。
  • ●神戸盛信 十太夫:御徒→奥火番御徒目付
    • ●神戸盛武 十太夫:奥火番
      • ●神戸雅武 孫八郎・十太夫:奥火番
        • ●神戸雅珍 藤七郎:富士見御宝蔵番・支配勘定→御勘定、100俵+5口 ◇弓崎宗休《井上遠江守家臣》の娘
          • ●神戸雅昭 十太夫:小十人
            • ●神戸珍英 藤十郎 < 弓崎方英の子△:小十人
              • 神戸但信 十太夫:100俵+5口 ◇ 渥美忠清の娘
            • * ※a2 < 雅珍の娘 :珍英の妻△
          • * ∥ 某 蔵之丞 ∥ * ※a1 >兄・雅昭の養女
        • 兼松正頼 > 兼松正僑の養子
旧刊本 13

§1340-4

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神戸
政之丞 繁昌
上の神戸氏(1340-3)と同族。神戸十左衛門繁廷は館林徳川家に仕え、徳松に従い御家人となる。
神戸治大夫繁度が班を進められ御勘定。
  • ●神戸繁廷 与兵衛・十左衛門:神田の館に仕える→西城御門添番
    • ●神戸繁度 辰之助・治太夫:富士見御宝蔵番→御勘定
      • * ∥ *:赤佐嘉忠の妻 ∥ *:喜多川政直《田安家臣》の妻
      • ●神戸繁矩 左次郎・次太夫:西城表右筆・御勘定・漆奉行・大坂御蔵奉行
        • 神戸某 隆之助
        • ●神戸繁英 近蔵 < 石川忠貞の子 : 御勘定
          • 神戸繁昌 内蔵之助・政之丞 < 神戸氏定杢之助《田安家臣》の子 :支配勘定(班次もとのごとし)
      • *:山本利信の妻 ∥ 村田智宣 > 村田昌則の養子
    • *:深尾某 次郎左衛門《戸田能登守家臣》の妻×
    • 神戸氏行 杢之助:田安宗武に仕える
旧刊本 13

§1340-5

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神部かんべ
銕蔵 保章
神部五左衛門保久は甲府徳川家に仕える。上の神戸氏(1340-3)と同族。
神部内匠保平は甲府徳川家用人。甲府徳川家近侍であった男子2名の不行跡に連座し、父の保平は蟄居。
叔父の神部市大夫保貞も食禄を没収(月俸支給)されたが、家宣の西の丸入りに従い御家人になる。
  • ●神部保久 五左衛門:桜田の館に仕える
    • 神部保平 内匠*:甲府徳川家小十人・用人。子らに連座し甲斐に蟄居
      • 神部某 式部*:甲府徳川家近侍。不行跡により甲斐に籠居
      • 神部某 采女:兄とともに甲府徳川家近侍。兄同様甲斐に籠居
      • *:蜂巣貞正の妻
      • *:瀬名信秀の妻
    • ●神部保貞 市太夫:甲府徳川家書院番組頭→幕臣小普請20口
      • ●神部保邦 三郎進
        • *:新常従 定右衛門 の妻
        • ●神部保共 藤太郎・与兵衛:表御右筆
          • ●神部保固 貞五郎 < 新常従の五男△
            • 神部保章 銕蔵:20口
          • *:保固の妻△
旧刊本 14

§1340-6

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太左衛門 保室
平知忠の裔を称し伊賀国北方に住す。北太左衛門保孝が伊賀越えを助け御家人となり、4代連綿して北清五郎正光にいたる。
正光の婿養子・北蕃五郎保義は浄円院御広敷伊賀者から明屋敷伊賀者組頭を経て田安家に附属。
  • ∴北正光 清五郎
    • ●北保義 内蔵之丞・蕃五郎 < 溝口氏の子△:広敷伊賀者→田安家徒組頭・小十人・用達
      • 北保室 太左衛門 < 亀井利景の二男△:小十人
        • 北保武 ※a2 < 保義の二男、兄の養子:小十人 ◇鈴木朝正の娘
        • *:田中茂保の妻
        • * < 田中茂保の娘:鈴木政峯の妻
      • *:保室の妻△ ∥ 北保武 ※a1 >兄・保室の養子 ∥ *:亀井勝利の妻 ∥ * ∥ *:秋野保孝の妻
旧刊本 14

巻第千三百四十一

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§1341-1

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山路
才介 徳風
和算家山路主住の家。家伝に平重盛の末裔という。山路惣右衛門久長が御徒となる。山路弥左衛門主住ははじめ支配勘定を務めるが「勤務よからず」として罷免、のち天文方の助勤から天文方になる。山路之徽は暦作の助勤から評定所儒者に就任。
  • 山路久長 惣右衛門 …… 山路主住 ⇒ 下段系図
  • 山路主住 久次郎・弥左衛門:支配勘定・天文方
    • 山路之徽 久次郎:評定所儒者
      • 山路某 万吉
      • 山路徳風 才助 <小倉雅久の子 :天文方
    • *:須田盛行の妻
旧刊本 15

§1340-2

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平氏(経盛流)
生島
文右衛門 啻栄
生島文右衛門秀福(はじめ山田氏)が綱吉に召し出され、のちに御近習番。家伝によれば、平経正の二男・源勝法印の末裔を称し、源勝が摂津生島荘を宛行われたことから生島を名字としたという。
  • ●生島秀福 市之進・文右衛門:御近習番350俵
    • *:村岡氏の妻
    • ●生島秀厚 三之丞・喜内 < 村岡氏の子
      • ●生島秀俊 文蔵・喜内
        • *:能勢頼惟の妻
        • 生島啻栄 七十郎・文右衛門:御書院番350俵 ◇松平清門の娘→大久保忠得の娘
        • *:松井保喬の妻×
        • *:佐脇安静の妻
        • 生島秀政 > 伊東祐忠の養子×
      • 生島景儔 > 都築法勝の養子
      • 生島秀延 > 木部直年の養子
      • 生島某 利右衛門
      • *:長田直房の妻
      • *:柘植信吉の妻
旧刊本 15

§1340-3

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平氏(忠度流)
久間くま
喜左衛門 盛房
久間喜兵衛盛重は徳川家綱のときに御進物取次番を務める。平忠度の末裔と称し古くは隈氏と伝える。久間左兵衛盛美のときに班が進められる
  • ●久間盛重 喜兵衛:御進物取次番
    • 久間盛之 弥左衛門
      • ●久間盛秀 喜左衛門:御進物取次番
        • ●久間盛春 喜右衛門・喜兵衛
          • ●久間盛美 金五郎・佐兵衛:火番・支配勘定→御勘定・評定所留役・御金奉行
            • 久間盛信 五郎助 < 盛秀の三男:【病】
              • 久間盛定 伊之助・佐右衛門:御勘定✝
            • 滝野忠昌 > 滝野忠郷の養子
            • ●久間盛房 秀五郎・佐兵衛・佐十郎 < 服部方義の子△:御勘定・小十人・若君附属
              • 豊吉
              • * > 滝野忠昌の養女
              • 久間盛光 金五郎
            • *:盛房の妻△
            • *:町田重嶠の妻
旧刊本 15

§1340-4

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平氏(忠正流)
服部
又三郎 義英
服部治左衛門良一が慶安3年に徒士に召し加えられる。義高はその子。服部又三郎義英が班を進められる。家伝によれば、平長盛の子・長光の庶流で、伊賀に住したと称する。
  • ●服部義高 弥市兵衛:御徒組頭
    • 服部義邦 孫三郎:御徒✝
      • ●服部義一 政之丞・弥一兵衛:鳥見役
        • ●服部義英 又三郎:鳥見役→御勘定150俵 ◇星野之政《田沼主殿頭家臣》の娘
          • 服部義通 又次郎:御勘定 ◇黒田政敏の娘
          • 牧野正路 > 牧野正名の養子
          • 馬場良恭 > 馬場良意の養子
          • 服部義風 啓次郎 ∥ * ∥ *
        • *:増井忠亮の妻
旧刊本 16

§1340-5

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平氏(季衡流)
関根
孫十郎 良近
関根庄兵衛義郷が館林徳川家に仕える。関根孫左衛門義昌が御家人に列し御右筆。
伊勢守平俊継(伊勢俊継)の裔と称し、伊勢鈴鹿関の根方に住したことから関根と称したという。
  • ●関根良郷 庄兵衛:神田の館に仕える
    • ●関根良昌 孫左衛門:御右筆、200俵5口
      • ●関根昌永 勘十郎:小十人
        • 関根良近 孫十郎:小十人、200俵5口
          • 関根良弼 半之丞
          • *:稲生経正の妻
          • 関根良翰 金次郎
        • 平井豊武 > 平井常豊の養子
        • 金子房増 > 金子房牛の養子
        • *:阿久沢直連の妻×→大久保忠辰の妻
      • 平井常豊 > 平井常明の養子
    • 関根良春 ――→ 八五郎良貴の家(1340-6)
旧刊本 16

§1340-6

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関根
八五郎 良貴
関根義郷(1341-5)の二男・関根左大夫良春が召し出され御右筆。
  • ●関根良春 左太夫:御右筆200俵
    • ●関根良意 内蔵助・十兵衛 < 井田氏の子△:表御右筆
      • ●関根良恭 内蔵助・源左衛門
        • 関根春良 七之助
        • ●関根良尚 雄左衛門:御勘定 ◇片岡信允の娘
          • * ※a2 <良恭の娘:藤堂良修の妻
          • 関根某 勝次郎
          • 関根某 源次郎
          • 関根良貴 < 武田信照(147-5)の六男△:200俵
          • *:良貴の妻△
        • *:一橋の館に仕える
        • 金田房通(関根良繁) > 金田房増の養子
        • * ※a1 :兄・良尚の養女
      • *:田安の館に仕える
      • *:根岸直寿の妻
    • *:良意の妻△
旧刊本 17

巻第千三百四十二

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鎌倉北条氏の子孫と称する家

§1342-1

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平氏(維将流)
増島
藤之助 信道
増島平大夫重辰は館林徳川家に仕える。「北条早雲の落胤」勘解由重胤を祖と称する。
信有(僧正)は長谷寺住職。
(参考)練馬区史歴史篇に言及
旧刊本 17

§1342-2

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江馬
平左衛門 季寛
江馬平左衛門成次が館林徳川家に仕えのち御家人。江馬義時の子朝時の裔を称す。
家祖の江馬加賀守時成はもと遠江曳馬城主飯尾氏家臣で家康に従う。
江馬与右衛門一成は遠江で1200石余を知行。江馬与右衛門秀次は徳川頼宣に附属。
秀次の長男・次男は紀州藩に仕え、三男が成次。
旧刊本 18

§1342-3

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三賀さんが
監物 長頼
三賀権左衛門は甲府徳川家に仕え鷹匠、のち御家人。北条仲時の裔を称し伊勢国に住したという。
旧刊本 19

§1342-4

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金沢
瀬兵衛 千秋
北条貞将金沢流北条氏)の末裔を称する。金沢安左衛門正法が火消与力となる。4代続き、金沢瀬兵衛安貞は火消与力から勘定方に転じ、勘定組頭・評定所留役などを歴任、のち一橋家用人。
  • 金沢安貞* 瀬兵衛・安太郎・貞太郎:火消与力・勘定方→御勘定・評定所留役100俵・組頭・+50俵→一橋目付・勘定奉行・郡奉行・用人 ◇植村正直の娘
    • * ∥ 金沢某 和吉✝ ∥ * ∥ *
    • 金沢千秋 瀬兵衛:御勘定・組頭、150俵 ◇久世広明の娘→吉田直頼の娘→久松定賢の娘→安藤重忠の娘
    • 坂部勝俊 > 坂部勝弘の養子 ∥ 堀利和 > 堀利之の養子 ∥ *:市岡正幹の妻×→西の丸大奥に仕える ∥ * ∥ * ∥ *
旧刊本 19

巻第千三百四十三

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§1343-1

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平野
安左衛門 幸隆
平野弥一郎幸利(はじめ馬場氏)は猿楽師。加賀藩の扶持から綱吉に召し出される。 旧刊本 20
302
4

§1343-2

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熊谷くまがへ
辨庵 直英
医師の熊谷玄与直輝が召し出される。歴代は熊谷玄与熊谷弁庵等を称す。熊谷直実の裔という。 旧刊本 20
7

§1343-3

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熊谷
大助 直義
熊谷助左衛門直久が徒士となる。栄久・直義は鷹匠を務める。
旧刊本 21

§1343-4

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熊谷
虎八郎 当乗
熊谷杢左衛門直清は甲府徳川家家臣。 旧刊本 21

§1343-5

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孫次郎 直矩
儒学者室鳩巣の家。室新助直清(鳩巣)が加賀藩から召し出される。熊谷直実の後裔を称す。
旧刊本 21

§1343-6

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島崎
二郎三郎 忠儔
島崎源左衛門忠為は北条旧臣で、北条氏滅亡後家康に仕える。「伊豆大介時方」の裔を称す。島崎又兵衛忠祐は家康に仕え300石を知行、のち頼宣に附属、以後紀州藩士。島崎一郎右衛門忠政のとき吉宗とともに(家重に従い)江戸に入る。 旧刊本 22

巻第千三百四十四

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(繁盛流)
1344-1 早川 善左衛門 利重 早川清左衛門重政が紀州徳川頼宣に仕える。岩城氏の支族と称する。
早川善左衛門忠辰のとき吉宗とともに(小次郎=宗武に従い)江戸に入り御家人。
22
1344-2 幕内まくのうち 弥七郎 安高 幕内伊左衛門正隆が御徒となる。岩城氏の支族と称する。 23
1344-3 白戸しらと 彦左衛門 隆徳 白戸六右衛門隆宗が御家人となり鳥見役。岩城氏の族臣白土隆茂の後裔と称する。 23
1344-4 伏木ふしき 五郎蔵 惟清 伏木六郎左衛門惟直は甲府徳川家に仕える。平維茂の後裔と称する。 23
1344-5 芹沢 八十郎 政常 芹沢理右衛門保長は伊賀越えを助け御家人となる。大掾氏末裔を称する。 24
1344-6 本康 碩庵 徳義 歯科医師の本康宗碩徳長が綱吉に仕える。大掾氏末裔(もと小栗氏)という。
歴代は本康宗碩本康碩庵を称す。
(参考)本康宗円はこの家の6代目
24
1344-7 本康 寿仙 徳能 本康徳長(1344-6)の養子・本康寿仙徳亮が歯科医師として召し出される。代々本康寿仙を称す。 24

1345-1349

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巻第千三百四十五

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  • 三浦氏の系譜は巻521からにある。
家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(良兼流)
1345-1 長田おさだ 三右衛門 元著 長田三右衛門信庸は甲府徳川家に仕える。長田親致長田忠致の兄)の末裔と称する。
長田越中守元隣が家宣に従い幕臣となり、のち京都町奉行。
長田山城守(越中守)元鋪は御先鉄砲頭、普請奉行、小普請支配などを歴任。
25
平氏(良文流)
1345-2 杉本 仲温 良 外科医師の杉本元政(杉本忠恵)が御家人となる。杉本義宗の末裔と称する。
歴代も杉本忠恵などを称した。
25
1345-3 岡村 丹後守 直賢 岡村喜左衛門直成が紀州藩に仕える。和田義盛の末裔と伝える。岡村は直成の「外戚」の名字。
岡村丹後守直純が吉宗に従い幕臣、御小納戸。
26
1345-4 岡村 弥平 直義 岡村直行(1345-3)の二男・岡村弥平直時が別家を立てる。 26
1345-5 河原かはら 伊大夫 正久 河原伊大夫正吉が御徒となる。三浦一族杉浦氏の裔と称する。
祖とされる「杉浦政吉」について考証。
  • 河原正吉-河原正種-河原正矩=河原正央-河原正久
26

巻第千三百四十六

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(良文流)
1346-1 矢部 主膳 正方 矢部主膳正栄が御台所人となる(のち禁裏板頭)。三浦義澄の末裔と称する。 27
1346-2 正木 十右衛門 時峯 正木十郎右衛門時久は甲府徳川家に仕える。三浦為春の同族(安房正木氏)と伝える。 28
1346-3 三浦 和泉守 義和 三浦五郎左衛門義周が吉宗に召されて寄合に列する。三浦義同の庶流という。
(参考)三浦浄心の項目に関連の記載がある
28
1346-4 佐原 三右衛門 義行 佐原三郎兵衛延影が御持組与力に加えられる。
佐原義連の末裔、三浦重成の弟・延次の子孫と称する。
三浦義成家(三浦監物家・下総三浦藩)についての長文の考証あり。
29

巻第千三百四十七

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佐久間家(1347-1)から保田家(1348-2)まで、三浦氏の支族を称するが系譜不詳。

家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(良文流)
1347-1 佐久間 三郎兵衛 信輝 佐久間次郎左衛門長嗣が御徒となる。
長嗣は佐久間信盛の子孫(佐久間正勝の二男・長興の子)と称す。
30
1347-2 佐久間 忠左衛門 清寿 佐久間長嗣(1347-1)の二男・佐久間孫左衛門長清が御徒となる。 30
1347-3 佐久間 久五郎 孟雅 佐久間郷右衛門言宴が御徒として召し抱えられる。 31
1347-4 佐久間 平兵衛 弘典 佐久間平兵衛宣言は紀州藩に仕え、その後御家人となる。 31
1347-5 平塚 甚三郎 教親 平塚甚十郎教巴は甲府徳川家に仕える。のち幕府の漆奉行を務める。 32
1347-6 平塚 伊賀守 為善 平塚一郎右衛門近秀が紀州藩士から幕臣となる。平塚為広は同族と伝える。
家伝によれば、為広の子・平塚久賀の子孫。
32 138

巻第千三百四十八

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(良文流)
1348-1 井坂 又兵衛 信尋 井坂又兵衛幸利が御家人となり、甲府徳川家に付属。もと三浦氏。
井坂又兵衛義単・又十郎信友父子はそれぞれ甲府家から本城に移る。
33
1348-2 保田 定市 至元 保田久兵衛通春が紀州藩に仕える。三浦氏庶流という。
保田久兵衛元珍が紀州藩から御普請役。保田定市至元が勘定方に移る。
太左衛門義方、久左衛門武詮(父を継いで、とある)の家は御家人として続く。
33
1348-3 長屋 虎五郎 景郷 長屋新五郎景恵は徳川家宣の乳兄弟。鎌倉氏鎌倉景政あるいは景成)の子孫と伝える。
景恵の父・長屋文右衛門正吉は松平丹波守(明石藩松平光重か)家臣。
33
1348-4 吉太郎 景邦 団勘右衛門安成が館林徳川家に仕え右筆、御家人に列す。梶原景長鎌倉景通の子孫)の裔と称する。
団権十郎景雄も右筆。団平左衛門景脩が甲府勤番となり移住。
34
1348-5 安左衛門 景定 団安成(1348-4)の異母弟・団平八郎景貞が館林徳川家に仕え右筆、御家人に列す。 34
1348-6 上坂うへさか 金三郎 政富 上坂安左衛門政形は町奉行所与力から代官、田安家郡奉行を務める。梶原景時の裔と称す。 34
1348-7 荻野 伴右衛門 直政 荻野藤八郎直次が普請役に召し抱えられる。鎌倉景通の末裔と伝える。
荻野伴右衛門直政が支配勘定・勘定となる。
35
1348-8 大場 幸之丞 景亨 大場景宗(大庭氏大庭景宗?)の子孫と称す。
大場藤内景友は甲府徳川家に仕え、御広敷伊賀者に加えられる。
大場定八郎盈章は蓮浄院広敷伊賀者から侍に転じ用人となる。大場六郎左衛門景武が家重に拝謁。
35
1348-9 大場 佐五右衛門 景福 大場佐五右衛門正賢が御徒に加えられる。
大場源大夫景豊が拝謁を許され、御畳奉行を務める。
35

巻第千三百四十九

[編集]
家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(良文流)
1349-1 牛袋 左兵衛 胤房 千葉常胤の子・武石盛胤(胤盛)の末裔と伝える。
牛袋利兵衛忠胤が家康の代に御徒に加えられる。
36
1349-2 遠藤 千葉一族東氏の寿昌院素山の末裔という。
遠藤新左衛門信吉が家光の代に御徒に加えられる。遠藤新兵衛信澄は御代官。
遠藤弥市郎は素行不良により遠流。
36
1349-3 遠藤 伊兵衛 準政 遠藤信吉(1349-2)の養子・遠藤伊兵衛安本が御徒に加えられる。 37
1349-4 遠藤 伝之助 一忠 遠藤久兵衛道広は甲府徳川家に仕える。遠藤次郎右衛門道辰が御家人となる。 37
1349-5 遠藤 勝五郎 道公 遠藤道広(1349-4)の二男・遠藤道貞が甲府徳川家に仕える。遠藤長八郎道明が御家人となる。 37
1349-6 遠藤 又三郎 美昆 遠藤又三郎将勝が御徒に加えられ、のち代官。 37

(略)

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1355-1359

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巻第千三百五十七

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(高棟流)
1357-1 柘植 甚左衛門 正英 柘植市助宗能の子・柘植平九郎広正が家康に仕えたと伝える。
広正は振姫とともに蒲生家に従うが、蒲生家断絶により浪人。
柘植九左衛門正重は本多伊勢守に仕える。柘植甚五左衛門正通が御徒に加えられる。
柘植善九郎正休が班を進め御勘定。
57
1357-2 柘植 万吉 竹苞 柘植伊右衛門が御徒に加えられる。柘植伊右衛門竹東が班を進め御勘定。 58
1357-3 木下 春次郎 一資 儒者木下順庵(貞幹)の家。先祖は北村を称していたという。
前田綱紀に仕えていた木下平之丞貞幹が召されて儒者となる。
58
1357-4 藤本 主計 稠昌 藤本筑後守稠賀(重賀)はもと猿楽師で、観世流観世重賢の二男。綱吉に召され、母方の藤本を称す。
御小納戸を務め知行600石。
59
1357-5 高田 作之丞 宗之 高田九兵衛宗敏が秀忠のとき御徒に加えられる。
宗敏から宗忠まで千代姫(保寿院)の侍となり、千代姫死去により召し返される。
高田作之丞宗之が班を進め勘定吟味方改役。
  • 高田宗敏-高田宗則-高田宗忠-高田宗貞-高田宗輝-高田宗一-高田宗之
59

巻第千三百五十八

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
平氏(支流)
1358-1 関本 伯典 長茂 藤堂高次に仕えていた外科医師の関本伯典重長が家光に召し出される。
代々医師として仕え「関本伯典」を称する。
60
1358-2 関本 春台 寿秀 関本長宣(1358-1)の二男で外科医師の関本伯元寿宣が分家。 60
1358-3 服部 了元 泰路 外科医師の服部了伯順定が召されて家光に近侍。
代々医師として仕え「服部了伯」「服部了仙」「服部了元」などを称する。
60
1358-4 服部 金左衛門 保貞 服部金之丞保知は「神君伊賀越え」を助けて御家人となり、その子・服部金右衛門保常は御広敷に務める。
服部善右衛門保好(甫斎)ははじめ表坊主・奥坊主、束髪して桐間番となり班を進める。
服部金左衛門保正は御書物奉行となる。
61
1358-5 大膳亮 好庵 道洽 医師の大膳亮好庵道峻が召し出され、宝樹院に附属。もとは安芸氏で、道峻が「大膳亮」に家号を改めた。
代々医師として仕え「大膳亮好庵」などを称する。
(参考)大膳亮弘玄院
62
1358-6 大膳亮 玄碩 道清 大膳亮好庵道知(1358-5)の二男・大膳亮玄理道孝が分家。 62
1358-7 南条 隼人 俊当 伯耆南条氏。南条元清の二男・南条作十郎宜政は豊臣家・加藤家(熊本藩)・森家(津山藩)に仕える。
宜政の三男・南条源八宗俊は、母が千姫に仕えた縁で召し出され、甲府徳川家に仕える。
南条伊右衛門宗益が家宣に従って幕臣となり、西の丸御小納戸・知行600石。
62
1358-8 南条 助七郎 元長 南条宜政(1358-7)の長男で津山藩に仕えた南条次郎右衛門宗晴の子孫。
南条助左衛門宗清が綱吉のとき御徒に加えられる。
南条助八郎宗久が班を進められて御畳奉行。
62
1358-9 市太郎 久業 林久蔵久勝は家康に仕え200石。林右馬之助久次は大番に列して400石に加増されたが、
駿府城守衛時に隊士が交替を愁訴したため改易(死後赦免)。
63
1358-10 豊前 八右衛門 忠吉 豊前八右衛門正吉が御徒に加えられる。
豊前喜右衛門忠寛が班を進め御勘定、評定所留役、御蔵奉行などを務める。
豊前喜左衛門祭忠は甲府勤番となり移住。
64

(略)

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1365-1369

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巻第千三百六十六

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
橘氏
1366-1 甲斐庄 武助 正方 家祖の甲斐庄三平は甲斐庄正房(588-1)の弟という。
甲斐庄三平は家康に仕え、関ヶ原・大坂にも従軍したが、故あって致仕したという。
甲斐庄清大夫正長が御徒に加えられる。
甲斐庄武助正方が班を進められ、評定所留役などを務める。
85
1366-2 山脇 道作 之豹 医師山脇東洋(尚徳)の家。
医師山脇玄心(曲直瀬玄朔の弟子)が召し出される。
86
1366-3 岩室 万右衛門 正易 岩室作左衛門正明が御徒に加えられ、岩室伊右衛門正次が班を進められて御代官。
正次とその子・岩室新五左衛門正方はともに三河赤坂代官在任中に死去。
86
1366-4 重五郎 正盈 楠伝四郎正敦が御徒に加えられ、班を進めて御勘定・清水郡奉行・長柄奉行・用人などを務める。 87
1366-5 松村 徳三郎 正道 松村武兵衛正武は、御徒から班を進められ勘定方改役。 87
1366-6 小南こみなみ 市郎兵衛 逵考 かつて木南を姓とし、のちに小南に改めたという。
小南市郎兵衛逵寛は浪人で槍術を教えていたが、享保年間に御先手与力に加えられ、
その後御勘定組頭・御裏門切手番頭を務める。
87
1366-7 花田 仁兵衛 秀精 先祖は和田と称したという。享保年間に花田武兵衛正員が御普請役に加えられる。
花田仁兵衛秀精が御勘定を務める。
88

巻第千三百六十七

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家名 当主 解説 大正 NDL 内閣
橘氏
1367-1 和田 孫次郎 持堅 和田七郎正氏(楠木正成の弟・楠木正季)の末裔(河内和田氏)で大石を称し、持義が和田に復したという。
和田安兵衛持義はもと戸沢正誠家臣で、綱吉に召し出される。
88
1367-2 和田 春長 正定 鍼医和田益一(島浦検校・総検校)が召し出されて綱吉に仕える。 89
1367-3 田中 筑後藩田中吉政の家。考証あり。 89
1367-4 田中 永之助 元勝 田中吉政(1367-3)の子・田中吉次の子孫。 90
1367-5 田中 久兵衛 政諧 田中吉政(1367-3)の子・田中久兵衛吉興の家系。吉興は2万石の大名。
田中主殿頭吉官は勘気を蒙り領地を没収、のち赦免され、御書院番頭・大番頭などを務める。知行5000石。
田中大隅守定格は大番頭・二条城代、知行7000石。田中内匠定安が発狂により采地収公・扶持米支給。
田中主殿定堅が名跡を継ぎ廩米500俵。
91

(略)

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1386

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巻第千三百八十六

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§1386-1

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清和源氏
船橋
宗迪 玄鼎
旧刊本 142

§1386-2

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舟橋
清次郎 光賢
旧刊本 142

§1386-3

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高階氏
高階
伝次郎 経章
はじめ鳥居小路を家名とし、のち安宅と改め、経和のとき高階を名字とする。高階経和(はじめ経雅)は甲府徳川家時代に家宣に右筆として仕える。
  • ●高階経和(高階経雅)半次郎:甲府家右筆→幕臣奥右筆・御書物奉行、200俵
    • ●高階経道 伝次郎:御代官・西城切手御門番 ◇室直清の娘→犬飼清芳の娘
      • ●高階経章 伝次郎 < 朝倉景増の子△:大番・新番、200俵
        • 高階経慶 幸太郎 < 藤懸永種の三男△×:のち実家(甥の藤懸永世)に戻る
        • 高階経当 吉之助 < 能勢頼喜の二男△
        • *:経慶の妻△→経当の妻△
      • *:経章の妻△
    • * < 某氏の娘:富永直竹の妻
旧刊本 143

§1386-4

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和気氏
半井
卜泉 瑞之
半井明親(679-1)の娘が、牡丹花肖柏の子・海心宗珠に嫁ぎ慶友を生む。慶友は外祖父明親に養われて半井古仙を称し、堺で医業を開く。その子が卜養奇雲(牧羊斎)、その子が卜養慶友。本文系図は卜養慶友から。狂歌師・俳人と知られる半井卜養は、肖柏の孫(卜養奇雲?)とする説、幕府に出仕し延宝6年に没した人物(卜養慶友)とする説がある。
  • 牡丹花肖柏
    • 半井古仙(海心宗珠) ◇半井明親の娘
      • 半井卜養(卜養奇雲・牧羊斎)
        • 半井慶友(卜養)⇒下段系図

卜養慶友は徳川家光の診断にあたり、家綱の時に番医に列する。

  • ●半井慶友 宗珠・卜養 法眼:番医200俵
    • ●半井瑞之 卜仙・卜養 法眼:奥医→三宅島に【流罪】
      • ●半井瑞慶 卜仙 < 半井氏の子:【預】赦免→10口
        • ●半井瑞之 長十郎・卜泉
          • 半井牧朝 求馬:【家出】
          • 半井直方 卜玄 < 古田瑞玄明恒の二男
      • 半井利重 左門・養仙・養庵:医業
    • 半井義仙 > 半井氏の養子
旧刊本 143

§1386-5

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庵原氏
庵原
八兵衛 林学
庵原丹波正盛は今川氏真、のち北条氏直に仕える。庵原八兵衛正成が御徒に加えられ、のち中根正盛に属して国廻・御徒目付組頭。庵原八兵衛正親の代で班が進められ御勘定・染奉行。
  • ●庵原正盛 丹波
    • ●庵原正成 八兵衛:御徒・御貝役・御徒目付組頭
      • ●庵原正勝 八兵衛・孫兵衛:御太鼓役 ◇大河原正良の娘
        • ●庵原正親 八兵衛:支配勘定→御勘定250石・染奉行
          • ●庵原正斯 八三郎・弥兵衛 < 大河原勝富の子:小十人
            • 庵原林学 左門・八兵衛:小十人・新番250石
              • 庵原正孝✝
              • 庵原正国
              • 庵原正秋
            • *:山梨胤銈の妻×
          • *:山本勝俊の妻
        • 大河原勝富 > 大河原正善の養子
        • *:多田昌強の妻
    • 庵原正忠 ――→ 六郎兵衛忠恕の家
旧刊本 144

§1386-6

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庵原
六郎兵衛 忠恕
  • ●庵原正忠 与右衛門・三右衛門:御徒・御徒目付・御広敷添番・進物取次番頭
    • ●庵原忠政 伝兵衛・与右衛門:御天守番
      • ●庵原正治 与八郎:富士見御宝蔵番
        • ●庵原正時 与五郎・三右衛門:御天守番
          • ●庵原時盛 与五郎:御広敷添番→御勘定130俵+5口 ◇上原善為の娘
            • 庵原忠恕 与市郎・六郎兵衛:御勘定・御代官、130俵+5口 ◇遠山秀景の娘
              • 庵原某 東太郎
              • 庵原忠徳 新之助 < 松平忠之 作五郎 の四男×
              • 庵原忠亮 常五郎・与市郎 < 若林包教 頼母 の二男
            • 上原善治 > 上原善為の養子
            • 庵原正之 富之助:清水重好に仕える
          • *:加藤景喬 留兵衛《牧野駿河守家臣》の妻
旧刊本 144