利用者:Remoji/sandbox
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所属政党: 無所属 憲政党 立憲政友会 立憲同志会 憲政会 立憲民政党 大政翼賛会 日本進歩党 民主党 (1947-1950) 日本民主党 日本自由党 (1945-1948) 民主自由党 自由党 (1950-1955) 自由民主党 日本社会党 日本新党 新生党 民主党 (1998-2016) |
一覧は内閣総理大臣官邸の発表している内閣総理大臣一覧表に基づく[1]。
歴代首相の一覧(明治時代・1912年以前)
[編集]
所属政党: 無所属 |
代(人) | 肖像 | 氏名
地位/爵位(生没年) |
在任期間 ——— 選挙 |
兼職 | 所属政党 ——— 内閣 |
天皇 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | (1) | 伊藤博文 いとう ひろぶみ 従三位勲一等伯爵のち従二位 (1841-1909) |
1885年
12月22日 |
1888年
4月30日 |
- | 無所属 | 明治天皇(睦仁) | [2][3] | ||
(帝国議会設置前) | 伊藤Ⅰ | |||||||||
日本の初代内閣総理大臣;周防国(現山口県)出身;松下村塾;明治憲法を起草;枢密院議長就任と同時に辞任。 | ||||||||||
2 | (2) | 黒田清隆 くろだ きよたか 従二位勲一等伯爵 (1840-1900) |
1888年
4月30日 |
1889年
10月25日 |
- | 無所属 | [4] | |||
(帝国議会設置前) | 黒田 | |||||||||
薩摩国(現鹿児島県)出身;超然主義表明;条約改正交渉反対運動で辞職。 | ||||||||||
- | - | 三条実美 さんじょう さねとみ 従一位大勲位公爵 (1840-1900) |
1889年
10月25日 |
1889年
12月24日 |
内大臣 | 無所属 | [5] | |||
(帝国議会設置前) | 三条(暫) | |||||||||
山城国(現京都府)出身;内大臣のまま内閣総理大臣を兼任しているが、現在の政府解釈では三条実美は代数に含まれない。 | ||||||||||
3 | (3) | 山縣有朋 やまがた ありとも 従二位勲一等伯爵 (1838-1922) |
1889年
12月24日 |
1891年
5月6日 |
内務大臣 | 無所属 | [6] | |||
第1回 | 山縣Ⅰ | |||||||||
長門国(現山口県)出身;松下村塾;教育勅語発布;第1議会終了後に辞任。 |
歴代首相の一覧(明治憲法下・明治天皇時代)
[編集]代(人) | 肖像 | 氏名
地位/爵位(生没年) |
在任期間 ——— 選挙 |
兼職 | 所属政党 ——— 内閣 |
天皇 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
4 | (4) | 松方正義 まつかた まさよし 従二位勲一等伯爵 貴族院議員(伯爵) (1835-1924) |
1891年
5月6日 |
1892年
8月8日 |
大蔵大臣 | 無所属 | 明治天皇(睦仁) | [7] | ||
第2回 | 松方Ⅰ | |||||||||
薩摩国(現鹿児島県)出身;造士館;蛮勇演説事件で解散総選挙も選挙干渉追及で辞任。 | ||||||||||
5 | (1) | 伊藤博文 いとう ひろぶみ 従二位勲一等伯爵のち正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) (1841-1909) |
1892年
8月8日 |
1896年
8月31日 |
- | 無所属 | [8] | |||
第3回、第4回 | 伊藤Ⅱ | |||||||||
日英通商航海条約;日清戦争及び下関条約;自由党と連携も閣内不一致で辞任。 | ||||||||||
- | - | 黒田清隆 くろだ きよたか 陸軍中将 枢密院議長 (1840-1900) |
1896年
8月31日 |
1896年
9月18日 |
- | 無所属 | ||||
- | 伊藤Ⅱ | |||||||||
(内閣総理大臣臨時兼任) | ||||||||||
6 | (4) | 松方正義 まつかた まさよし 正二位勲一等伯爵 貴族院議員(伯爵) (1835-1924) |
1896年
9月18日 |
1898年
1月12日 |
大蔵大臣 | 無所属 | [7] | |||
- | 松方Ⅱ | |||||||||
貨幣法;貿易振興関連諸法;進歩党と連携も地租増徴で対立し辞任。 | ||||||||||
7 | (1) | 伊藤博文 いとう ひろぶみ 従二位勲一等伯爵のち正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) (1841-1909) |
1898年
1月12日 |
1898年
6月30日 |
- | 無所属 | [3] | |||
第5回 | 伊藤Ⅲ | |||||||||
政府党結党挫折で辞任。 | ||||||||||
8 | (5) | 大隈重信 おおくま しげのぶ 正二位勲一等伯爵 (1841-1909) |
1898年
6月30日 |
1898年
11月8日 |
憲政党総裁 | 憲政党 | [9] | |||
第6回 | 大隈Ⅰ | |||||||||
肥前国(現佐賀県)出身;初の政党内閣;憲政党と憲政本党分裂で辞任。 | ||||||||||
9 | (3) | 山縣有朋 やまがた ありとも 正二位勲一等功二級侯爵 貴族院議員(侯爵) (1838-1922) |
1898年
11月8日 |
1900年
10月19日 |
- | 無所属 | [6] | |||
- | 山縣Ⅱ | |||||||||
義和団事件で北清事変出兵;衆議院選挙法改正で選挙権資格引き下げ;第14議会終了後辞任。 | ||||||||||
10 | (1) | 伊藤博文 いとう ひろぶみ 正二位大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) (1841-1909) |
1900年
10月19日 |
1901年
5月10日 |
立憲政友会総裁 | 立憲政友会 | [8] | |||
- | 伊藤Ⅳ | |||||||||
予算問題の閣内不一致により辞任。 | ||||||||||
- | - | 西園寺公望 さいおんじ きんもち 正二位勲一等侯爵 枢密院議長 (1849-1940) |
1901年
5月10日 |
1901年
6月2日 |
- | 無所属 | ||||
- | 伊藤Ⅳ | |||||||||
(内閣総理大臣臨時兼任) | ||||||||||
11 | (6) | 桂太郎 かつら たろう 正三位勲一等功三級子爵のち伯爵 (1848-1913) |
1901年
6月2日 |
1906年
1月7日 |
内務大臣 | 無所属 | [10] | |||
第7回、第8回、第9回 | 桂Ⅰ | |||||||||
長門国(現・山口県)出身;横浜語学校卒業;日英同盟;日露戦争とポーツマス条約;桂・タフト協定;日比谷焼き討ち事件等騒擾事件により辞職。 | ||||||||||
12 | (7) | 西園寺公望 さいおんじ きんもち 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) (1849-1940) |
1906年
1月7日 |
1908年
7月14日 |
立憲政友会総裁 | 立憲政友会 | [12] | |||
第10回 | 西園寺Ⅰ | |||||||||
第一次~第三次日韓協約;財政問題をめぐる元老との対立で辞職。 | ||||||||||
13 | (6) | 桂太郎 かつら たろう 従二位大勲位功三級侯爵のち正二位公爵 貴族院議員(侯爵のち公爵) (1848-1913) |
1908年
7月14日 |
1911年
8月30日 |
大蔵大臣 | 無所属 | [10] | |||
- | 桂Ⅱ | |||||||||
戊申詔書・地方改良運動;韓国併合;恩賜財団済生会設立;工場法制定;人心低下による閣内不一致で総辞職。 | ||||||||||
14 | (7) | 西園寺公望 さいおんじ きんもち 正二位勲一等侯爵 貴族院議員(侯爵) (1849-1940) |
1911年
8月30日 |
1912年
12月21日 |
立憲政友会総裁 | 立憲政友会 | [12] | |||
第11回 | 西園寺Ⅱ | |||||||||
行財政整理;2個師団増設案めぐる陸軍との対立で総辞職。 |
歴代首相の一覧(大正時代)
[編集]代(人) | 肖像 | 氏名
地位/爵位(生没年) |
在任期間 ——— 選挙 |
兼職 | 所属政党 ——— 内閣 |
天皇 | 出典 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
15 | (6) | 桂太郎 かつら たろう 正二位大勲位功三級公爵 貴族院議員(公爵) (1848-1913) |
1912年
12月21日 |
1913年
2月20日 |
大蔵大臣 | 無所属 | 大正天皇(嘉仁) | [10] | ||
- | 桂Ⅲ | |||||||||
立憲同志会結党;憲政擁護運動により辞任。 | ||||||||||
16 | (8) | 山本権兵衛 やまもと ごんべえ 正二位勲一等功一級伯爵 (1852-1933) |
1913年
2月20日 |
1914年
4月16日 |
- | 無所属 | [13] | |||
- | 山本Ⅰ | |||||||||
薩摩国(現・鹿児島県)出身;海軍兵学寮卒業;海軍大将;立憲政友会と連携の内閣;シーメンス事件により辞任。 | ||||||||||
17 | (5) | 大隈重信 おおくま しげのぶ 正二位勲一等伯爵のち大勲位侯爵 貴族院議員(侯爵) (1841-1909) |
1914年
4月16日 |
1916年
10月9日 |
立憲同志会総裁
内務大臣 |
立憲同志会 | [9] | |||
第12回 | 大隈Ⅱ | |||||||||
第一次世界大戦参戦;対華21カ条要求;三党首会談等の倒閣運動により辞任。 | ||||||||||
18 | (9) | 寺内正毅 てらうち まさたけ 従二位勲一等功一級伯爵 (1852-1919) |
1916年
10月9日 |
1918年
9月29日 |
- | 無所属 | [14] | |||
- | 寺内 | |||||||||
周防国(現・山口県)出身;陸軍戸山学校卒業;シベリア出兵;日支共同防敵軍事協定;米騒動により引責辞任。 | ||||||||||
19 | (10) | 原敬 はら たかし 正三位勲一等 衆議院議員(第7期、岩手県盛岡選挙区) (1856-1921) |
1918年
9月29日 |
1921年
11月4日 |
立憲政友会総裁 | 立憲政友会 | [15] | |||
- | 原 | |||||||||
陸奥国(現・岩手県)出身;司法省法学校中退;衆議院議員選挙法改正で選挙権資格引き下げ;在任中に暗殺 | ||||||||||
- | - | 内田康哉 うちだ こうさい/やすや 従二位勲一等伯爵 (1865-1936) |
1921年
11月4日 |
1921年
11月13日 |
外務大臣 | 無所属 | ||||
- | 原 | |||||||||
(内閣総理大臣臨時兼任) | ||||||||||
20 | (11) | 高橋是清 たかはし これきよ 従三位勲一等子爵 貴族院議員(勅選) (1856-1921) |
1921年
11月13日 |
1922年
6月12日 |
立憲政友会総裁
大蔵大臣 |
立憲政友会 | [16] | |||
- | 高橋 | |||||||||
武蔵国(現・東京都);ヘボン塾[注 1];閣内不一致により辞任。 | ||||||||||
21 | (12) | 加藤友三郎 かとう ともさぶろう 従二位勲一等功二級男爵 (1852-1919) |
1922年
6月12日 |
1923年
8月24日 |
海軍大臣 | 無所属 | [17] | |||
- | 加藤(友) | |||||||||
安芸国(現・広島県)出身;海軍兵学校;海軍大学校卒業;立憲政友会が閣外協力;シベリア撤兵;山梨軍縮;在任中に病死。 | ||||||||||
- | - | 内田康哉 うちだ こうさい/やすや 従二位勲一等伯爵 (1865-1936) |
1923年
8月24日 |
1923年
9月2日 |
外務大臣 | 無所属 | ||||
- | 原 | |||||||||
(内閣総理大臣臨時兼任) | ||||||||||
22 | (8) | 山本権兵衛 やまもと ごんべえ 正二位勲一等功一級伯爵 (1852-1933) |
1923年
9月2日 |
1924年
1月7日 |
- | 無所属 | [13] | |||
- | 山本Ⅱ | |||||||||
薩摩閥;退役海軍大将;関東大震災復興諸対策;虎ノ門事件により引責辞任 | ||||||||||
22 | (13) | 清浦奎吾 きようら けいご 正二位勲一等子爵 (1850-1942) |
1924年
1月7日 |
1924年
6月11日 |
- | 無所属 | ||||
- | 清浦 | |||||||||
出典
[編集]- ^ “歴代内閣 | 首相官邸ホームページ”. 首相官邸. 2022年1月14日閲覧。
- ^ コトバンク「伊藤博文」
- ^ a b 三訂版, 日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,旺文社日本史事典. “伊藤博文内閣とは”. コトバンク. 2022年2月24日閲覧。
- ^ コトバンク「黑田清隆」
- ^ 「内大臣公爵三条実美内閣総理大臣ニ兼任シ内閣総理大臣伯爵黒田清隆枢密顧問官ニ任セラル」 アジア歴史資料センター Ref.A15111667700
- ^ a b コトバンク「山縣有朋内閣」
- ^ a b コトバンク「松方正義内閣」
- ^ a b コトバンク 「伊藤博文内閣」
- ^ a b コトバンク 「大隈重信内閣」
- ^ a b c コトバンク 「桂太郎」
- ^ a b c コトバンク 「桂太郎内閣」
- ^ a b コトバンク 「西園寺公望内閣」
- ^ a b コトバンク 「山本権兵衛内閣」
- ^ コトバンク 「寺内正毅内閣」
- ^ コトバンク 「原敬内閣」
- ^ コトバンク 「高橋是清内閣」
- ^ コトバンク 「加藤友三郎内閣」