北方千歳町駅
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北方千歳町駅 | |
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廃止後のホーム(2011年5月撮影) | |
きたがたちとせまち KITAGATA CHITOSEMACHI | |
◄北方東口 (0.6 km) (0.5 km) 美濃北方► | |
所在地 |
岐阜県本巣郡北方町 北緯35度26分21秒 東経136度41分11秒 / 北緯35.439118度 東経136.686439度 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 揖斐線 |
キロ程 | 5.7 km(忠節起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
366人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1914年(大正3年)3月29日 |
廃止年月日 | 2005年(平成17年)4月1日 |
備考 | * 1927年(昭和2年)ころ千歳町から改称 |
北方千歳町駅(きたがたちとせまちえき)は、岐阜県本巣郡北方町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅である。
歴史
[編集]揖斐線の前身である岐北軽便鉄道の駅として1914年(大正3年)に開業した。当初の駅名は千歳町駅(ちとせまちえき)であったが、のちに改称している。揖斐線は2005年(平成17年)をもって全線が廃止され、これと同時に当駅も廃駅となった。
- 1914年(大正3年)3月29日 - 岐北軽便鉄道の忠節駅 - 北方町駅(のちの美濃北方駅)間の開通と同時に千歳町駅として開業[2][3]。
- 1927年(昭和2年)ころ - 北方千歳町駅に改称。
- 1991年(平成3年)11月1日 - 無人化[4]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線の忠節駅 - 黒野駅間が廃止され、廃駅[3][5]。
駅構造
[編集]ホーム1面1線の停留場であった。黒野寄りに出入口が1か所存在した。2011年5月以前に駅舎が撤去されている。
配線図
[編集] ← 黒野方面 |
→ 忠節方面 |
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凡例 出典:[6] |
利用状況
[編集]- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は366人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中289位、 揖斐線・谷汲線(24駅)中9位であった[1]。
駅周辺
[編集]駅周辺に複数のマンションが建つなど住宅街の中に位置していた。
- 北方町役場
- 北方町商店街
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月9日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52-53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、96頁。ISBN 978-4-53305-883-7。
- ^ 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年、144頁。ISBN 978-4-53305-883-7。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ “日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補一覧 7号 東海”. 鉄道フォーラム. 2016年6月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8。
- 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年。ISBN 4-87670-097-4。