コンテンツにスキップ

増川隆洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
増川 隆洋
名前
愛称 マス
カタカナ マスカワ タカヒロ
ラテン文字 MASUKAWA Takahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-11-08) 1979年11月8日(45歳)
出身地 兵庫県姫路市
身長 191cm[1]
体重 93kg[1]
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1995-1997 日本の旗 琴丘高等
1998-2001 日本の旗 大阪商業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2004 日本の旗 アビスパ福岡 54 (4)
2005-2013 日本の旗 名古屋グランパス[注 1] 240 (10)
2014-2015 日本の旗 ヴィッセル神戸 48 (1)
2016-2017 日本の旗 北海道コンサドーレ札幌 34 (1)
2018-2019 日本の旗 京都サンガF.C. 23 (1)
通算 399 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

増川 隆洋(ますかわ たかひろ、1979年11月8日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)

来歴

[編集]

小学校3年生時に津田SCでサッカーを始める。姫路市立飾磨西中学校姫路市立琴丘高等学校から大阪商業大学へと進学し、卒業時に複数のクラブの入団テストを受けたが、右膝半月板損傷などの故障の影響から不合格。8月に大学OBである中村重和アビスパ福岡の監督に就任した際に、同チームへ練習生として所属することとなった。なお、播戸竜二は高校時代の同級生、嶋田正吾は大学の同期である。

2003年にアビスパ福岡に正式に加入。3月15日、第1節水戸戦(博多の森球技場)で初出場した[2]。本職のミッドフィールダーだけでなく、長身を活かしてフォワードとしても出場した[3]

2004年にはセンターバックにコンバートされ[4]、45試合に出場した。5月19日、第13節大宮戦(さいたま市大宮公園サッカー場)で初得点を挙げた[2]

2005年名古屋グランパスエイトへ完全移籍。移籍後は怪我も多く本調子ではないシーズンも続いたが、不動のセンターバックとして守備陣に欠かせない存在となった[5]2009年からは移籍した米山篤志から背番号5を受け継いだ。2010年は浦和から移籍の田中マルクス闘莉王とセンターバックを形成し、チームのリーグ初優勝に貢献。さらにこの年のJリーグアウォーズではDF部門で闘莉王、槙野智章に次ぐ第3位の得票を集めて自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2013年限りで名古屋から戦力外通告を受けて、地元のヴィッセル神戸へ移籍。2014年シーズンは31試合に出場したものの、2015年は17試合の出場にとどまり、シーズンオフに神戸からの契約満了による退団が発表された[6]

2016年、北海道コンサドーレ札幌に完全移籍[7]。2017年をもって、退団。

2018年2月、京都サンガF.C.に完全移籍に加入すると発表された[1]。2019年11月27日、契約満了により京都を退団した[8]

2020シーズンでもプロ続行の道を探っていたが、最終的には無所属のまま、2021年2月17日に現役引退を発表した[9]

プレイスタイル

[編集]

191cmの恵まれた体躯と、俊敏で持久力もある豊富な運動量が持ち味。自分の体を投げ出してでも相手のシュートをブロックする[4]。大学時代は主にミッドフィルダーとしてプレイし、2000年には関西学生選抜、関西学生サッカーリーグ2部のベストイレブンに選ばれた。プロ入り当初のポジションも守備的ミッドフィールダーであったが、大学時代から当たり強さを買われてフォワードとしても出場していた[10]

元々ミッドフィールダーの選手であったゆえに足元のボール捌きも上手く[3]、プロ入り後複数のポジションを経験していることから、松田浩からは「GK以外ならどのポジションでもこなす」などとと高い評価を得ており[4]、増川自身もプレイスタイルを「オールマイティ、ユーティリティ」としている[2]

空中での競り合いには自信を見せており、垂直飛びは60cmは超えるとしているが、本人曰く、ヘディングより足の方が得意というほど、以前は、ヘディングをさほど得意とはしていなかったようである[10]。福岡時代にはフリーキックも蹴っており、その威力は柳楽智和が「まともに当たったら、マジ死にます」と脱帽したほど[4]

所属クラブ

[編集]
ユース経歴
プロ経歴

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 福岡 26 J2 11 0 - 3 1 14 1
2004 18 43 4 - 2 1 45 5
2005 名古屋 16 J1 22 0 6 0 0 0 28 0
2006 23 0 5 1 2 0 30 1
2007 15 2 1 0 0 0 16 2
2008 27 2 9 1 2 0 38 3
2009 5 27 0 1 0 4 0 32 0
2010 32 1 4 0 2 0 38 1
2011 33 1 2 0 4 2 39 3
2012 33 1 2 0 4 1 39 2
2013 28 3 6 0 1 0 35 3
2014 神戸 14 31 0 4 0 1 0 36 0
2015 17 1 6 0 0 0 23 1
2016 札幌 18 J2 33 1 - 0 0 33 1
2017 5 J1 1 0 0 0 0 0 1 0
2018 京都 24 J2 23 1 - 0 0 23 1
2019 0 0 - 0 0 0 0
通算 日本 J1 289 11 47 2 19 2 355 15
日本 J2 110 6 - 5 2 115 8
総通算 399 17 47 2 24 4 470 23

その他の公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 名古屋 5 8 0
2011 6 0
2012 5 0
通算 AFC 19 0

タイトル

[編集]

チーム

[編集]
名古屋グランパス
北海道コンサドーレ札幌

個人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2007年までは「名古屋グランパスエイト」

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 増川隆洋選手 加入のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2018年2月20日http://www.sanga-fc.jp/news/p/12729/2018年2月20日閲覧 
  2. ^ a b c 名古屋グランパス. “選手データ 増川隆洋”. 2009年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月24日閲覧。
  3. ^ a b ひかりTV (2009年). “サカピポ27回 増川隆洋(名古屋/DF)『その男、規格外につき』”. 2009年12月24日閲覧。
  4. ^ a b c d 西日本スポーツ (2004年4月24日). “今季初スタメン 増川95キロ重戦車 規格外パワーで敵粉砕だ!”. 2005年12月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月24日閲覧。
  5. ^ 中日スポーツ (2009年3月5日). “増川、DFラインけん引 フル回転して攻撃につなげる”. 2009年12月24日閲覧。
  6. ^ “「地元神戸という素晴らしい街で…」36歳DF増川が神戸を退団”. ゲキサカ. (2015年12月27日). http://web.gekisaka.jp/news/detail/?179542-179542-fl 2015年12月27日閲覧。 
  7. ^ “増川隆洋選手加入のお知らせ”. 北海道コンサドーレ札幌. (2016年1月4日). http://www.consadole-sapporo.jp/news/20160110656/ 2016年1月5日閲覧。 
  8. ^ 増川隆洋選手 契約満了のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2019年11月27日https://www.sanga-fc.jp/news/p/14731/2020年1月21日閲覧 
  9. ^ “「充実した17年の現役生活でした」増川隆洋が引退会見。楢崎正剛もサプライズで登場!”. サッカーマガジン. (2021年2月19日). https://soccermagazine.jp/j2/17432812 2021年8月6日閲覧。 
  10. ^ a b 中日スポーツ (2007年3月2日). “増川、“ダンクヘッド”決める! 長身+ジャンプ力=2m50cm”. 2013年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年12月24日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]