大河内信相
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 天和3年(1683年) |
死没 | 正徳3年7月22日(1713年9月11日) |
改名 | 金兵衛 |
戒名 | 凉岳院殿一超道性大居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内信久 母:黒田用綱の娘 |
兄弟 | 信相、関永張、女、栄光院(松平信連室)、女(丹羽長道室)、女(須田資生室)、女 |
子 | 久豊、久兼、女 |
大河内 信相(おおこうち のぶすけ)は、江戸時代中期の旗本。大河内宗家16代。石高は715石。
生涯
[編集]天和3年(1683年)に大河内信久の長男として生まれる。元禄4年(1691年)9月1日、初めて将軍綱吉に拝謁する。元禄9年(1696年)8月に父が死去し、12月9日に家督を相続して寄合となる。元禄11年(1698年)6月29日、武蔵国高麗郡にあった知行地を足立郡に移され、8月にはさらに埼玉郡に移された。元禄14年(1701年)5月26日、中奥番士となる。宝永元年(1704年)3月、小普請となる。正徳3年(1713年)7月22日に死去。享年31。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
- 『平林寺史』(春秋社、1988年)[要ページ番号]