天水山正則
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基礎情報 | ||||
四股名 | 池田 正則 → 天水山 正則 → 池田 正則 → 天水山 正則 | |||
本名 | 池田 正則 | |||
生年月日 | 1940年12月8日 | |||
出身 | 熊本県玉名郡天水町(現在の玉名市) | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 133kg | |||
BMI | 42.94 | |||
所属部屋 | 荒磯部屋(のちに伊勢ヶ濱部屋) | |||
得意技 | 左四つ、寄り、押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭10枚目 | |||
生涯戦歴 | 389勝363敗2休 (71場所) | |||
幕内戦歴 | 23勝37敗 (4場所) | |||
優勝 |
十両優勝2回 幕下優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1956年5月場所 | |||
入幕 | 1965年5月場所 | |||
引退 | 1968年9月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月22日現在 |
天水山 正則(てんすいやま まさのり、1940年12月8日 - 没年不明)は、熊本県玉名郡天水町(現・同県玉名市)出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属した大相撲力士。本名は池田 正則(いけだ まさのり)。最高位は西前頭10枚目(1965年7月場所、1967年7月場所)。現役時代の体格は176cm、133kg。得意手は左四つ、寄り、押し。
来歴・人物
[編集]中学校を卒業後、上京し、元横綱・照國が開いた荒磯部屋(のち、伊勢ヶ濱部屋に改称)へ入門。1956年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の関脇・海乃山や前頭筆頭の大雄などがいる。
同年9月、故郷の地名に因んだ「天水山」の四股名で序ノ口に付いた(その後、本名の「池田」に改名した時期もあったが、すぐに元の「天水山」へ戻している)。
三段目までは順調に昇進したが、1958年9月場所からは4年10ヶ月もの間、幕下に在った。1963年5月場所では7戦全勝という好成績を挙げて幕下優勝を遂げ、翌場所、22歳で新十両に昇進。以降は、十両に定着した。
その後漸くは十両中下位を往復する時期が続いたが、西十両4枚目で迎えた1965年3月場所では12勝3敗と好成績を挙げ、十両優勝を果たした。そして、これを手土産に翌5月場所、24歳で入幕した。その場所では場所前より虫垂炎に罹ったが、薬で痛みを散らしながら8勝7敗と勝ち越した。
左四つからの寄りを得意としたが、その取り口が幕内ではなかなか通用せず、幕内での勝ち越しは新入幕場所の1場所のみであった。
1967年11月場所を最後に幕内から遠ざかり、その後十両からも転落。西幕下4枚目の地位で途中休場した1968年9月場所を以って、27歳で廃業した。
廃業後は、住友金属に勤務。同社の相撲部の指導にも当たっていた。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:389勝363敗2休 勝率.517
- 幕内成績:23勝37敗 勝率.383
- 現役在位:71場所
- 幕内在位:4場所
- 連続出場:752回(序ノ口以来、1956年9月場所-1968年9月場所(9日目))
- 各段優勝
- 十両優勝:2回(1965年3月場所、1967年5月場所)
- 幕下優勝:1回(1963年5月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1956年 (昭和31年) |
x | x | (前相撲) | x | 西序ノ口25枚目 3–5 |
x |
1957年 (昭和32年) |
西序二段111枚目 5–3 |
西序二段77枚目 8–0 |
東三段目82枚目 4–4 |
x | 西三段目65枚目 6–2 |
西三段目38枚目 4–4 |
1958年 (昭和33年) |
西三段目37枚目 5–3 |
西三段目28枚目 4–4 |
西三段目25枚目 4–4 |
東三段目21枚目 6–2 |
西幕下83枚目 5–3 |
西幕下68枚目 4–4 |
1959年 (昭和34年) |
西幕下66枚目 4–4 |
東幕下64枚目 5–3 |
西幕下57枚目 6–2 |
東幕下39枚目 4–4 |
東幕下38枚目 5–3 |
西幕下29枚目 5–3 |
1960年 (昭和35年) |
東幕下26枚目 4–4 |
東幕下24枚目 5–3 |
西幕下18枚目 4–4 |
西幕下17枚目 2–5 |
東幕下31枚目 3–4 |
東幕下35枚目 4–3 |
1961年 (昭和36年) |
東幕下33枚目 2–5 |
東幕下45枚目 2–5 |
西幕下65枚目 6–1 |
東幕下38枚目 3–4 |
西幕下45枚目 3–4 |
西幕下50枚目 3–4 |
1962年 (昭和37年) |
東幕下57枚目 6–1 |
東幕下33枚目 4–3 |
東幕下30枚目 4–3 |
東幕下25枚目 4–3 |
西幕下23枚目 4–3 |
西幕下19枚目 5–2 |
1963年 (昭和38年) |
東幕下9枚目 3–4 |
西幕下11枚目 5–2 |
東幕下6枚目 優勝 7–0 |
西十両15枚目 9–6 |
東十両10枚目 8–7 |
東十両7枚目 6–9 |
1964年 (昭和39年) |
西十両9枚目 7–8 |
東十両10枚目 8–7 |
東十両8枚目 7–8 |
西十両9枚目 5–10 |
東十両16枚目 9–6 |
東十両7枚目 7–8 |
1965年 (昭和40年) |
東十両8枚目 11–4 |
西十両4枚目 優勝 12–3 |
東前頭14枚目 8–7 |
西前頭10枚目 2–13 |
西十両4枚目 6–9 |
西十両7枚目 7–8 |
1966年 (昭和41年) |
西十両8枚目 9–6 |
西十両2枚目 6–9 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両4枚目 5–10 |
西十両8枚目 8–7 |
西十両4枚目 6–9 |
1967年 (昭和42年) |
東十両7枚目 8–7 |
東十両6枚目 8–7 |
東十両7枚目 優勝 12–3 |
西前頭10枚目 7–8 |
東十両筆頭 8–7 |
東前頭11枚目 6–9 |
1968年 (昭和43年) |
東十両2枚目 5–10 |
西十両7枚目 7–8 |
西十両9枚目 7–8 |
西十両11枚目 4–11 |
西幕下4枚目 引退 1–4–2 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||
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青ノ里 | 3 | 0 | 荒波 | 0 | 2 | 岩風 | 1 | 0 | 宇多川 | 0 | 2 | |||
小城ノ花 | 0 | 1 | 海乃山 | 0 | 1 | 金乃花 | 0 | 1 | 君錦 | 0 | 2 | |||
高鉄山 | 2 | 0 | 大心 | 0 | 1 | 大雄 | 0 | 2 | 鶴ヶ嶺 | 1 | 0 | |||
戸田 | 0 | 2 | 栃東 | 0 | 1 | 豊國 | 1 | 0 | 花光 | 1 | 1 | |||
廣川 | 0 | 2 | 福の花 | 0 | 1 | 房錦 | 1 | 1 | 富士錦 | 2 | 1 | |||
前田川 | 1 | 1 | 前の山 | 0 | 1 | 禊鳳 | 1 | 1 | 義ノ花 | 0 | 3 | |||
若杉山 | 1 | 1 | 若秩父 | 0 | 1 | 若天龍 | 0 | 2 | 若浪 | 1 | 3 | |||
若鳴門 | 0 | 1 | 若乃洲 | 2 | 0 | 若見山 | 2 | 1 | 若吉葉 | 1 | 1 |
改名歴
[編集]- 天水山 正則(てんすいやま まさのり、1956年9月場所-1963年1月場所・1963年7月場所-1968年9月場所)
- 池田 正則(いけだ -、1963年3月場所-1963年5月場所)
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第3巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1991年)p22-p25