密田良太郎
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密田 良太郎(みつだ りょうたろう[1]、1885年3月19日[1][2][3] - 1974年10月13日[1][2])は、日本の電気工学者。
人物
[編集]富山県出身[1]。1911年に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、同年逓信省電気試験所に入所した[1][2]。1913年に逓信局の技師となった[1][2]。1914年にアメリカとイギリスに留学した[1][2]。1917年12月6日に「水銀避雷器」の特許が発明者を密田、特許権者を逓信大臣(田健治郎)として出願されている[4]。
1919年に電気試験所の第三部長となり、1920年に工学博士となった[1][2]。同年には、宮内省内匠寮嘱託員となった[1][2]。1921年から早稲田大学教授を兼務した[1][2]。1931年には宮内省御用掛を務め、1935年には電気試験所の所長を務めた[1][2]。1939年に照明学会の会長を務めた[1][2]。
受賞など
[編集]- 帝国学士院賞(第16回、1926年)[1][2] - 「水銀避雷器の研究」
- 帝国発明協会恩賜記念賞及び大賞(1926年)[1][2]
- 日本の十大発明家(1930年)
- 勲三等旭日中綬章(1940年)[1][2]
- 名誉工学博士(ドレスデン工業大学、1941年)[2]
- 従三位(1941年)[2]
- 前島密賞(昭和37年度)
- 藍綬褒章(1964年)[1][2]
- 銀杯(1965年)[2]