富山省吾
表示
略歴
[編集]- 1975年 - 早稲田大学第一文学部卒業後、東宝に入社[出典 6]。宣伝部に配属[出典 7]。
- 1983年 - 東宝映画に出向[出典 7]。企画部に配属[出典 8]。
- 1986年 - 映画『恋する女たち』でプロデューサーとしてデビュー[19]。以後多くの作品にプロデューサーとして参加、その後企画部部長となる。
- 1989年 - 『ゴジラvsビオランテ』から田中友幸を補佐する形でゴジラシリーズのプロデューサーとして参加[出典 9]。
- 1994年 - 『ゴジラvsスペースゴジラ』では「共同製作」とクレジットされる[13][注釈 2]。
- 1995年 - 4月より東宝映画取締役に就任、『ゴジラvsデストロイア』では田中友幸と連名で「製作」。
- 1996年 - 『モスラ』から製作としてクレジット[2]。田中友幸に代わり本格的に東宝特撮映画のプロデューサーとして活動を始める。
- 2004年 - 4月より東宝映画第4代取締役社長に就任[出典 10]。
- 2010年 - 3月31日で社長を退任[15]。
- 2013年 - 日本アカデミー賞協会の事務局長を務める傍ら[出典 11]、ndjcのスーパーバイザーとして若手の育成に尽力している[15]。
- 2018年 - 4月、日本映画大学理事長に就任[出典 12]。「プロデュースワークショップ」を開講しているほか、城戸賞、毎日映画コンクール選考委員、芸術選奨、映画制作適正化機関審議委員も務めている[9]。
エピソード
[編集]最初に観たゴジラ映画は『キングコング対ゴジラ』(1962年)で、これが映画との出会いであったと語っている[20][注釈 3]。中高生時代はSF小説に傾倒していた[5]。
大学在学中には、東宝で特殊美術のアルバイトを務めていた[17][21]。富山の遠縁にカメラマンの唐沢登喜麿がおり、その伝手を頼っての参加であった[17]。背景美術の小島耕司は、当時の富山について覚えが悪かったが素直ないい子であったと評している[21]。また、東宝映画の社長に就任した後も偉ぶらず、重役らに小島を恩人と紹介するなどしていたという[21]。美術の白崎治郎も、富山は先輩を立てて礼儀正しく、裏方を大切にする人物であったと述べている[21]。
自身が宣伝から製作へ異動した理由について、売り手の気持ちや売り手の発想を活かすためであったといい、ゴジラシリーズでは東宝内の各部署とブレーンストーミングを行う全社を挙げての制作体制や、パブリシティと連動した撮影体制などを作り上げていった[22]。
プロデュース作品
[編集]ゴジラシリーズ
[編集]『vsビオランテ』では田中友幸が中心であったが、『vsキングギドラ』以降は田中の体調問題もあり富山に比重が置かれていった[出典 13]。
- ゴジラvsビオランテ(1989年)
- ゴジラvsキングギドラ(1991年)
- ゴジラvsモスラ(1992年)
- ゴジラvsメカゴジラ(1993年)
- ゴジラvsスペースゴジラ(1994年)
- ゴジラvsデストロイア(1995年)
- ゴジラ2000 ミレニアム(1999年)
- ゴジラ×メガギラス G消滅作戦(2000年)
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃(2001年)
- ゴジラ×メカゴジラ(2002年)
- ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS(2003年)
- ゴジラ FINAL WARS(2004年)
その他のプロデュース作品
[編集]- 雪の断章 情熱(1985年)[23]
- 恋する女たち(1986年)[23]
- トットチャンネル(1987年)[23]
- ゴルフ夜明け前(1987年)[23]
- 超少女REIKO(1991年)[23]
- ヤマトタケル(1994年)[17]
- 平成モスラシリーズ
- モスラ(1996年)
- モスラ2 海底の大決戦(1997年)
- モスラ3 キングギドラ来襲(1998年)
- ひみつの花園(1997年)[23]
- 誘拐(1997年)[23]
- 竜馬の妻とその夫と愛人(2002年)[23]
- ロボコン(2003年)[23]
- 赤い月(2003年)[23]
- 春の雪(2005年)[23]
- 単騎、千里を走る。(2006年)[23]
- 愛の流刑地(2006年)[23]
- 椿三十郎(2007年)[23]
- 隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS(2008年)[23]
- ハゲタカ(2009年)[23]
その他の参加作品
[編集]- 日本沈没(1973年) - 特撮美術アルバイト[17][23]
- 流星人間ゾーン(1973年) - 特撮美術アルバイト[17]
- あにいもうと(1976年) - 宣伝[23]
- 岸壁の母(1976年) - 宣伝[23]
- 霧の旗(1977年) - 製作宣伝[23]
- トラブルマン 笑うと殺すゾ(1979年) - 製作宣伝[13]
- 影武者(1980年) - 製作宣伝[17][23]
- 復活の日(1980年) - 宣伝[17][23]
- 典子は、今(1981年) - 宣伝プロデューサー[17]
- 海峡(1982年) - 宣伝プロデューサー[17]
- 小説吉田学校(1983年) - 宣伝プロデューサー[17]
- 積木くずし(1983年) - 宣伝プロデューサー[17][23]
- おはん(1984年) - 製作補佐[23]
著書
[編集]- 富山省吾『ゴジラのマネジメント プロデューサーとスタッフ25人の証言』KADOKAWA/アスキー・メディアワークス、2015年3月7日。ISBN 4048690000。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b FCGMG 2002, pp. 68–69, 「SPECIAL INTERVIEW SP 富山省吾」
- ^ a b c d e FCGMMG 2003, p. 70, 「スタッフインタビュー INTERVIEW 07 富山省吾」
- ^ a b c d e 未発表資料アーカイヴ 2010, p. 455, 「執筆者プロフィール」
- ^ a b c VSビオランテコンプリーション 2015, pp. 65–67, 「スペシャルインタビュー 富山省吾」、3式機龍コンプリーション 2016, pp. 84–85, 「スペシャルインタビュー 富山省吾」、VSデストロイアコンプリーション 2017, pp. 84–87, 「スタッフインタビュー 富山省吾」、VSギドラコンプリーション 2020, pp. 65–67, 「富山省吾インタビュー」、VSスペースゴジラコンプリーション 2021, pp. 74–77, 「富山省吾インタビュー」、GMKコンプリーション 2022, pp. 70–71, 「富山省吾インタビュー」、FWコンプリーション 2023, pp. 86–88, 「富山省吾インタビュー」
- ^ a b c d e f g h 平成ゴジラ大全 2003, pp. 140–142, 「破之弐『ゴジラVSキングギドラ』 プロデューサー・富山省吾」
- ^ a b c d e 3式機龍コンプリーション 2016, pp. 84–85, 「スペシャルインタビュー 富山省吾」
- ^ a b c d e f VSギドラコンプリーション 2020, pp. 65–67, 「富山省吾インタビュー」
- ^ a b c GMKコンプリーション 2022, pp. 70–71, 「富山省吾インタビュー」
- ^ a b c d e f FWコンプリーション 2023, pp. 86–88, 「富山省吾インタビュー」
- ^ a b c d ゴジラ大百科 1990, p. 99, 「ゴジラ・スタッフ名鑑」、最新ゴジラ大百科 1991, p. 97, 「ゴジラスタッフ名鑑」
- ^ a b c d e f g h 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 222–225, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 富山省吾」
- ^ a b c d e VSビオランテコンプリーション 2015, pp. 65–67, 「スペシャルインタビュー 富山省吾」
- ^ a b c d e f g h i VSスペースゴジラコンプリーション 2021, pp. 74–77, 「富山省吾インタビュー」
- ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「2月27日」『ゴジラ365日』洋泉社〈映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、60頁。ISBN 978-4-8003-1074-3。
- ^ a b c d e f g h 若狭新一 2017, p. 273, 「関係者インタビュー プロデューサー 富山省吾」
- ^ a b c 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2000, pp. 10–12, 「MAIN STAFF INTERVIEW 富山省吾(製作)」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 未発表資料アーカイヴ 2010, pp. 134–139, 富山省吾(聞き手・清水俊文)「プロデューサー・田中友幸の想い出」
- ^ a b c d VSデストロイアコンプリーション 2017, pp. 84–87, 「スタッフインタビュー 富山省吾」
- ^ a b ゴジラ大全集 1994, p. 76, 「ゴジラVSシリーズとは 富山省吾」
- ^ ゴジラ大百科 1990, p. 99, 「ゴジラ・スタッフ名鑑」
- ^ a b c d 東宝ゴジラ会 2010, p. 157, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW11 青木利郎、白井宏昌、白崎治郎、小島耕司、安丸信行」
- ^ 平成ゴジラ大全 2003, p. 171, 「破之参『ゴジラVSモスラ』 エキストラをイベントに」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x VSビオランテコンプリーション 2015, p. 67, 「富山省吾フィルモグラフィー」
出典(リンク)
[編集]- ^ [1][2][3][4]
- ^ [2][5][3][6][7][8][9]
- ^ [10][11][12][13][14][15]
- ^ [2][5][11]
- ^ [16][5][11][4][15]
- ^ [10][16][2][5][11][17][12][6][18][7][15]
- ^ a b [10][11][17][12][18][7][13][9][15]
- ^ [10][12][6][18][7][13][9]
- ^ [19][16][1][5][11][3][6][13][8][9][14][15]
- ^ [11][4][15]
- ^ [12][6][18][7][13]
- ^ [7][13][8][9]
- ^ [5][11][17]
参考文献
[編集]- Gakken MOOK(Gakken)
- 田中文雄『神を放った男 映画製作者田中友幸とその時代』キネマ旬報社、1993年。ISBN 4-87376-070-4。
- 『テレビマガジン特別編集 誕生40周年記念 ゴジラ大全集』構成・執筆:岩畠寿明(エープロダクション)、赤井政尚、講談社、1994年9月1日。ISBN 4-06-178417-X。
- 『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』東宝 出版・商品事業室〈東宝SF特撮映画シリーズ SPECIAL EDITION〉、2000年12月16日。
- ファンタスティックコレクション(朝日ソノラマ)
- 『ゴジラ×メカゴジラ』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション〉、2002年12月30日。ISBN 4-257-03668-0。
- 『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション〉、2003年12月30日。ISBN 4-257-03688-5。
- 『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾、双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日。ISBN 4-575-29505-1。
- 『平成ゴジラ クロニクル』川北紘一 特別監修、キネマ旬報社、2009年11月30日。ISBN 978-4-87376-319-4。
- 木原浩勝、清水俊文、中村哲 編『「ゴジラ」東宝特撮未発表資料アーカイヴ プロデューサー・田中友幸とその時代』角川書店、2010年3月31日。ISBN 978-4-04-854465-8。
- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。
- コンプリーションシリーズ(ホビージャパン)
- 『ゴジラVSビオランテ コンプリーション』ホビージャパン、2015年12月16日。ISBN 978-4-7986-1137-2。
- 『ゴジラ×3式機龍〈メカゴジラ〉コンプリーション』ホビージャパン、2016年12月21日。ISBN 978-4-7986-1353-6。
- 『ゴジラVSデストロイア コンプリーション』ホビージャパン、2017年12月9日。ISBN 978-4-7986-1581-3。
- 『ゴジラVSキングギドラ コンプリーション』ホビージャパン、2020年3月31日。ISBN 978-4-7986-2176-0。
- 『ゴジラVSスペースゴジラ コンプリーション』ホビージャパン、2021年3月31日。ISBN 978-4-7986-2463-1。
- 『ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 コンプリーション』ホビージャパン、2022年3月31日。ISBN 978-4-7986-2779-3。
- 『ゴジラ FINAL WARS コンプリーション』ホビージャパン、2023年4月4日。ISBN 978-4-7986-3135-6。
- 若狭新一『ゴジラの工房 若狭新一造形写真集』洋泉社、2017年10月21日。ISBN 978-4-8003-1343-0。