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山下敬吾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 山下敬吾 九段
名前 山下敬吾
生年月日 (1978-09-06) 1978年9月6日(46歳)
プロ入り年 1993年
出身地 北海道旭川市
所属 日本棋院東京本院
師匠 菊池康郎
段位 九段
概要
タイトル獲得合計 23
七大タイトル
棋聖 5期 (2003・06-09)
名人 2期 (2011-12)
本因坊 2期 (2010-11)
王座 2期 (2006-07)
天元 2期 (2004・09)
碁聖 1期 (2000)
十段 挑戦者 (2006-07・10)
テンプレートを表示

山下 敬吾(やました けいご、1978年9月6日 - )は、日本棋院所属のプロ棋士九段北海道旭川市出身。緑星囲碁学園出身。棋聖名人本因坊などのタイトルを獲得。雅号は「道吾(どうわ)」。

張栩羽根直樹高尾紳路らとともに「平成四天王」と称される。

7大タイトル獲得数歴代9位タイ、3大タイトル獲得数歴代7位タイ、棋聖位獲得数歴代4位。棋道賞最優秀棋士賞を2度・優秀棋士賞を6度受賞。

来歴

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高校の数学教師の囲碁愛好家の父より、兄(1988年に少年少女囲碁大会小学生の部で優勝を経験・元院生)と共に囲碁を習い、碁会所などで腕を磨く。1986年 旭川市立東栄小学校2年時に少年少女囲碁大会小学生の部で歴代最年少記録で優勝し、小学生名人となる。(このときの決勝の相手はのちにプロでタイトル争いをすることとなる高尾紳路)。1987年 旭川市立日章小学校3年で、連覇を掛け少年少女囲碁大会に出場するが、黒滝正憲に敗れ準優勝に終わる。その12月に母、兄とともに上京してアマチュア強豪菊池康郎の主宰する緑星囲碁学園に入園する。

1988年 板橋区立高島第四小学校4年時、東京都代表として少年少女囲碁大会に出場し、初の兄弟決勝戦となるが(2010年度までその後一度もない)、兄に敗れ準優勝に終わる。1989年に日本棋院院生。1993年 4月に入段。1997年週刊碁」1000号記念企画「十代棋士チャンピオン戦」で優勝。

1998年 六段に昇段。新人王戦優勝。以後、同大会に4期連続優勝。

2000年 新鋭トーナメント戦優勝。七段昇段。小林光一を3-2で破り第25期碁聖獲得(初タイトル)21歳11ヶ月での碁聖位獲得は最年少記録[1]

2002年 棋聖戦リーグ入りし、B組で優勝し挑戦者決定戦で勝利。名人リーグ、本因坊リーグ入り。2003年 王立誠を4-1で破って第27期棋聖獲得。新昇段制度により、棋聖在位による九段昇段。名人戦挑戦。2004年 羽根直樹に3-4で敗れ棋聖位失冠。羽根を3-0で降し、第30期天元獲得。賞金ランキングで自己最高の2位。

2005年 第53期王座戦挑戦者、中環杯準決勝戦進出。第31期天元戦で河野臨に2-3で敗れ、タイトルを失う。

2006年 羽根直樹を4-0で破り第30期棋聖に復位。張栩を3-1で破って第54期王座獲得。初の二冠王に。天元戦挑戦権を獲得、河野に挑むが1-3で敗退。賞金ランキングで3年ぶりに2位。

2007年 小林覚の挑戦を4-0で退け第31期棋聖を防衛。タイトル防衛は初。11月、今村俊也の挑戦を3-1で退け、第55期王座を防衛。天元戦挑戦権を獲得、河野に挑むが1-3で敗退。

2008年 趙治勲の挑戦を4-3で退け第32期棋聖を防衛。棋聖3連覇を達成。張栩に1-3で敗れ、王座を陥落。10月 第1回ワールドマインドスポーツゲームズ囲碁男子団体戦に依田紀基、羽根直樹、河野臨、高尾紳路と日本代表チームを組み出場、銅メダルを獲得[2]。賞金ランキングで3年連続の2位。

2009年 依田の挑戦を4-2で退け、第33期棋聖を防衛、4連覇達成。天元戦にて張を3-2で破り、4年ぶりに天元を奪還。

2010年 第34期棋聖戦にて張栩に1-4で敗れ棋聖位を失冠。5連覇による名誉棋聖獲得はならなかった。第65期本因坊戦において、羽根直樹を4-1で破り、自身初となる本因坊位を奪取。第19期竜星戦にて優勝。全棋士参加の早碁棋戦での初タイトルとなる。第17期 阿含桐山杯優勝。賞金ランキングで2年ぶりの2位。

2011年 第66期本因坊戦において羽根直樹の挑戦を4-3で退け、本因坊位を初防衛。自身8年ぶりの名人挑戦となった第36期名人戦では井山裕太を4-2で破り、初の名人位を獲得すると共に史上7人目の名人本因坊となった。棋聖戦4連覇・本因坊襲位などが評価され、小林光一に続く囲碁界では2人目の北海道民栄誉賞受賞。

2012年 井山裕太の挑戦を受けた第67期本因坊戦は3-4で敗れ失冠。3連覇はならなかった。第37期名人戦は羽根直樹を4-3で退け、名人位を初防衛。

2013年 第22期竜星戦で河野臨を下し優勝。三コウ無勝負打ち直しの末の勝利であった。第38期名人戦で井山裕太棋聖に4-1で敗れ、無冠となる。第38期棋聖戦で井山裕太棋聖に挑戦が決定。

2014年3月13日、第38期棋聖戦で井山裕太棋聖に4-2で敗れ、タイトル奪取には至らず。11月13日、第39期棋聖戦挑戦者決定戦で村川大介七段に勝利し2期連続で棋聖戦挑戦権を得る。

2015年3月20日、第39期棋聖戦で井山裕太棋聖に3連敗の後3連勝するが敗退。8月7日、第40期碁聖戦で井山裕太碁聖に挑戦するが1勝3敗で敗退。11月9日、900勝達成。プロ入りから22年7ヶ月、37歳2ヶ月での到達は高尾紳路を抜いて最年少記録[3] 賞金ランキングで5年ぶりの2位。

2016年、第40期棋聖戦で3年連続で挑戦するも井山裕太棋聖(六冠)の前のストレート負け。9月、第41期棋聖戦Sリーグ2位で挑戦者決定トーナメントに進出するも10月に張栩九段に敗れ4年連続の挑戦とはならなかった。

2017年、第42期碁聖戦で2年ぶりに挑戦するも井山裕太碁聖(六冠)の前にストレート負け。11月、第42期棋聖戦Sリーグ2位で挑戦者決定トーナメントに進出するも決勝で一力遼七段に敗れた[4]

2018年 4月5日第73期本因坊リーグで2敗同士の黄翊祖八段に勝利し、同じく2敗の伊田篤史八段が芝野虎丸七段に敗れたため、山下が5勝2敗で3年ぶりに本因坊への挑戦権を獲得した[5]。7月1日、第73期本因坊挑戦手合で井山裕太七冠に1-3で敗退した[6]。9月3日、第44期天元戦挑戦者決定戦で許家元碁聖に中押し勝ちし井山裕太天元への挑戦権獲得[7]

2019年、前年11月8日の第43期棋聖戦挑戦者決定変則三番勝負で勝利した山下は、井山裕太棋聖とのタイトル戦に臨んだ。七大タイトル17年連続出場は歴代2位の記録[8]。同時に史上24人目の通算1000勝を達成。25年7ヶ月での達成は史上最速記録[9]。井山と山下が七大タイトル戦の挑戦手合で対戦するのは、通算12回目で歴代最多記録となる(当時)[注釈 1][10]。しかし番勝負では敗れて、通算成績は1勝11敗となった。

2019-20年、第44期棋聖戦Sリーグでは2勝3敗で5位となり陥落[11]

2020-21年、第45期棋聖戦Aリーグでは5勝2敗で1位となりSリーグ昇格。挑戦者決定トーナメントでは高尾紳路九段に敗北[12]

2021-22年、第46期棋聖戦Sリーグでは0勝5敗で6位となり陥落。挑戦手合1局目では立会人を務めた[13]

2022-23年、第47期棋聖戦Aリーグでは6勝1敗で1位となりSリーグ昇格[14]。挑戦者決定変則三番勝負に進出。勝てば2019年以来4年ぶりの挑戦手合進出であったが、芝野虎丸名人に敗れて挑戦を逃す。

2023年2月12日、プロ棋士ペア碁選手権2023では鈴木歩七段とペアを組み、初優勝。初戦から決勝までの4局すべてで逆転勝ちであった。

2023-24年、第48期棋聖戦Sリーグでは5位となり陥落。

2024-25年、第49期棋聖戦Aリーグで1位となりSリーグ昇格。挑戦者決定変則三番勝負に進出。勝てば2019年以来6年ぶりの挑戦手合進出であったが、井山裕太王座に敗れて挑戦を逃す。

棋戦決勝進出結果

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棋戦
三大タイトル
他七大タイトル
国際タイトル
他大会
棋戦 期・回 対局日 相手
優勝 1 新人王戦 23期 1998年10月 高尾紳路六段 2-1
優勝 2 新人王戦 24期 1999年10月 羽根直樹七段 2-0
優勝 3 NEC俊英トーナメント 14期 1999年 蘇耀国五段 1-0
優勝 4 新鋭トーナメント 30期 2000年 高尾紳路六段 1-0
優勝 5 新人王戦 25期 2000年9月 羽根直樹八段 2-0
奪取 6 碁聖戦 25期 2000年 小林光一碁聖 3-2
優勝 7 新人王戦 26期 2001年9月 久保秀夫五段 2-0
奪取 8 棋聖戦 27期 2003年3月 王立誠棋聖 4-1
奪取 9 天元戦 30期 2004年12月 羽根直樹天元 3-0
奪取 10 棋聖戦 30期 2006年2月 羽根直樹棋聖 4-0
奪取 11 王座戦 54期 2006年12月 張栩王座 3-1
防衛 12 棋聖戦 31期 2007年2月 小林覚九段 4-0
防衛 13 王座戦 55期 2007年11月 今村俊也九段 3-1
防衛 14 棋聖戦 32期 2008年3月 趙治勲十段 4-3
防衛 15 棋聖戦 33期 2009年3月 依田紀基九段 4-2
奪取 16 天元戦 35期 2009年12月 張栩天元 3-2
奪取 17 本因坊戦 65期 2010年6月 羽根直樹本因坊 4-1
優勝 18 竜星戦 19期 2010年9月 中野寛也九段 1-0
優勝 19 阿含桐山杯 17期 2010年10月 二十五世本因坊治勲 1-0
防衛 20 本因坊戦 66期 2011年7月 羽根直樹九段 4-3
奪取 21 名人戦 36期 2011年10月 井山裕太名人 4-2
防衛 22 名人戦 37期 2012年11月 羽根直樹九段 4-3
優勝 23 竜星戦 22期 2013年9月 河野臨九段 1-0

獲得タイトル

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色付きは現在在位。

他の棋士との比較は、囲碁のタイトル在位者一覧 を参照。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇
棋聖 七番勝負
1-3月
2003(第27期)、06-09 11 5期
(歴代4位)
4
(歴代3位タイ)
名人 七番勝負
9-11月
2011(第36期)-12 4 2期 2
本因坊 七番勝負
5-7月
2010(第65期)-11 5 2期 2
王座 五番勝負
10-12月
2006(第54期)-07 5 2期 2
天元 五番勝負
10-12月
2004(第30期)、09 8 2期
碁聖 五番勝負
6-8月
2000(第25期) 5 1期
十段 五番勝負
3-4月
3
登場回数合計41回、獲得合計14期=歴代9位タイ、
3大タイトル獲得数合計9期=歴代7位タイ

天元戦トーナメントに強く、2002年(第29期)以降では22連勝を含む34勝3敗(勝率92%)、5度の挑戦権獲得(挑決敗退1回)という圧倒的な成績を残している。7大タイトル戦挑戦手合では井山裕太に1勝11敗、張栩に2勝6敗と獲得を阻まれることが多かった。

囲碁七大タイトル獲得記録
順位 獲得回数 棋士名
1位 62期 二十六世本因坊文裕*
2位 42期 趙治勲名誉二冠*
3位 35期 小林光一名誉三冠*
4位 31期 加藤正夫名誉王座
5位 24期 張栩九段*
6位タイ 21期 二十三世本因坊栄寿 | 林海峰名誉天元*
8位 17期 大竹英雄名誉碁聖
9位タイ 14期 藤沢秀行名誉棋聖| 山下敬吾九段*
*は現役棋士
2024年12月6日時点

他棋戦優勝記録

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棋聖戦挑戦者決定リーグ戦

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※新制度より(第40期から)

  • タイトル保持者は桃色
  • Sリーグは緑色
  • Aリーグは紫色
  • Bリーグは黄色
  • Cリーグは水色
  • FTはファーストトーナメント
新・棋聖戦リーグ
開催年 所属リーグ 結果
1 40 2015-16 Sリーグ 1位 挑戦者
2 41 2016-17 Sリーグ 2位
3 42 2017-18 Sリーグ 2位
4 43 2018-19 Sリーグ 1位 挑戦者
5 44 2019-20 Sリーグ 5位 降格
6 45 2020-21 Aリーグ 2位 昇格
7 46 2021-22 Sリーグ 6位 降格
8 47 2022-23 Aリーグ 1位 昇格
9 48 2023-24 Sリーグ 5位 降格
49 2024–25 Aリーグ 1位 昇格

人物

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かつては、対局の際には「朝ご飯をしっかり食べるので、昼は食べなくても差し支えない」として、基本的に昼食を食べない主義であった。本人曰く「食べると頭が働かなくなる」うえに「対局中は食べる気にもなりません」とのこと[15]。タイトル戦では昼食に当地の名物料理が用意されるのが常だが、それすらも注文しないのが恒例。そのため対局中に昼食を食べると、それだけで囲碁界では「大事件」として話題になるほどだった[16]。対局中のおやつも日によっては注文せず、飲み物のみで済ませている[17]。これについて、2013年の本因坊戦で解説を務めた際に「アメチョコレートなどを食べて糖分は補給しているのでには影響しない」と話している。ただ2015年の本因坊戦では普通に昼食を注文しており[18][19]、方針に変化が生じている。

なお「棋士は体が資本」ということで、食べること自体は好き。酒も20代前半の頃はよく飲んでいたが、結婚してからは「対局にプラスにならない」として全く飲まなくなった[15]

第33期棋聖戦第3局、第38期名人戦第2局は広島県尾道市で行われた。この地は本因坊秀策の故郷であり、対局前日に挑戦者と共に秀策記念館を見学している。翌日の対局ではいずれも小目を3隅先占する秀策流を目指している。名人戦挑戦者だった井山は秀策流を回避する打ち方をした。これについて井山は「僕にはそんな勇気はない」と答えた。

棋風

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深い読みに裏打ちされた好戦的なスタイル。接近戦を得意とし、序盤は位の高い碁を志向する。近年では、よりオーソドックスな布石で地に辛くなりつつある。

かつては初手天元5の五など意欲的な手を打つことも多く、特に2000年の碁聖戦では、挑戦者決定トーナメントから挑戦手合五番勝負まで5の五を多用して注目を集めた。その後はトーナメント上位での対局が増え、そのような大胆な布石はあまり見られなくなった。

しかし2020年のNHK杯二回戦では、白番にもかかわらず5の五を打ち、見事に伊田八段に勝利した。その日の「今日の私の一手」で「二手目(5の五)です」と言って話題をさらった。この他にも、NHK杯では白番でタスキ星から天元を打つ「斜め三連星」や白番で初手天元など、ユニークな布石を披露している。

雅号

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2010年8月20日、本因坊位初獲得の就位式において、雅号を「道吾」とすることを発表した。雅号の由来は、歴代本因坊の1人本因坊道策と、自身の出身地である北海道から「道」を取り[20]、本名の敬吾から「吾」の1文字を取って合わせたものである。

2手目天元

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2000年の新鋭トーナメント戦決勝。高尾紳路と対戦。第一着に自分が得意とする5の五を打たれると、山下はほとんど例のない白2手目での天元打ちで対抗。さらに高尾が3手目に5の五を打つという冒頭から激しい空中戦を繰り広げた一局として話題になった(山下勝ち)。この碁はその後マンガ「ヒカルの碁」でも進藤ヒカル-社清春戦の棋譜として用いられた。

年表

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  • タイトル戦の欄の氏名は対戦相手。うち、色付きのマス目は獲得(奪取または防衛)。青色は挑戦者または失冠。黄色はリーグ入り。
  • 棋道賞は、 : 最優秀棋士賞、 優 : 優秀棋士賞、 特別 : 特別賞、
    率 : 勝率一位賞、 勝 : 最多勝利賞、 対 : 最多対局賞、 連 : 連勝賞、
    国際 : 国際賞、 新人 : 新人賞、 哉 : 秀哉賞
  • 賞金&対局料は、年度区切りではなく1月 - 12月の集計。単位は万円。色付きの年は全棋士中1位。
棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 棋道賞 賞金対局料 備考
棋聖戦
1-3月
十段戦
3-4月
本因坊戦
5-7月
碁聖戦
6-8月
名人戦
9-11月
王座戦
10-12月
天元戦
10-12月
1997 率 多
新人
1998 勝 多
1999 本戦決勝進出 2177 (10位)
2000 本戦決勝進出 小林光一
ooxxo
優 勝 多 2178(8位)
2001 3位 小林光一
xoxox
1866(12位)
2002 2位 3位 本戦決勝進出 2549(11位)
2003 王立誠
ooxoo
本戦決勝進出 3位 依田紀基
xxoxx
羽根直樹
oxxox
7787(2位)
2004 羽根直樹
xxxooox
陥落 4位 張栩
xxox
羽根直樹
ooo
優 多 5710(3位)
2005 1位 プレーオフ 張栩
xxx
河野臨
oxxox
2824(6位)
2006 羽根直樹
oooo
趙治勲
xxox
本戦決勝進出 2位 張栩
xooo
河野臨
xoxx
 多 8224(2位)
2007 小林覚
oooo
趙治勲
xxoox
陥落 今村俊也
oxoo
河野臨
oxxx
7832(2位)
2008 趙治勲
oxooxxo
3位 張栩
oxxx
張栩
xxox
6064 (2位)
2009 依田紀基
ooxxoo
3位 張栩
oxoxo
7049(3位)
2010 張栩
xxxox
張栩
xxx
羽根直樹
xoooo
本戦決勝進出 結城聡
xxx
優 勝
連 多
8617(2位)
2011 1位 本戦決勝進出 羽根直樹
oooxxxo
井山裕太
oxooxo
8970(2位)
2012 2位 井山裕太
xxooxox
本戦決勝進出 羽根直樹
oxxooxo
5799(3位)
2013 2位 2位 井山裕太
oxxxx
本戦決勝進出 3063(4位)
2014 井山裕太
xxxoox
プレーオフ プレーオフ 3077(4位)
2015 井山裕太
xxxooox
井山裕太
xxxox
井山裕太
xoxx
プレーオフ 4212(2位)
2016 井山裕太
xxxx
3位 本戦
決勝進出
3位 本戦
決勝進出
2969(6位)
2017 Sリーグ
2位
ベスト4 3位 井山裕太
xxx
2位 本戦
決勝進出
2181(5位)
2018 Sリーグ
2位
井山裕太
oxxxx
3位 井山裕太
xoxox
(4位)
2019 井山裕太
xoxxoox
ベスト4 陥落 5位 (6位)
2020 Sリーグ
5位降格
6位 (6位)
2021 Aリーグ
2位昇格
ベスト8 4位
2022 Sリーグ
6位降格
3位 (8位)
2023 Aリーグ
1位挑決進出
4位
2024 Sリーグ
5位降格
ベスト4 5位
2025 Aリーグ
1位挑決進出
リーグ
棋聖 十段 本因坊 碁聖 名人 王座 天元 棋道賞 賞金 備考

表彰

[編集]
  • 1986年8月7日 旭川市栄誉をたたえて[21]
  • 1998年 第32回旭川市新人奨励賞[22]
  • 2000年10月27日 北海道栄誉をたたえて[23]
  • 2003年3月22日 旭川市民栄誉賞[24]
  • 2011年2月8日 北海道栄誉賞[25]

著書

[編集]
  • 山下流攻めの突破力(2004年2月、日本棋院)
  • 山下敬吾の「実戦」初段の手筋(2005年6月、成美堂出版)
  • 山下敬吾 戦いのベクトル(2005年9月、毎日コミュニケーションズ)
  • 山下敬吾の初段の実戦詰碁(2006年2月、成美堂出版)
  • 至高の決断 依田、山下、井山の頭脳(2007年3月、毎日コミュニケーションズ)
  • 世界一わかりやすい打碁シリーズ 山下敬吾の碁(2011年4月、毎日コミュニケーションズ)
  • 基本手筋事典(2011年6月、日本棋院)

脚注

[編集]
注釈
  1. ^ これまでの最多記録は趙治勲名誉名人と小林光一名誉棋聖、小林と加藤正夫名誉王座の10回
出典
  1. ^ 21歳の山下、最年少の碁聖に 初の公式タイトル
  2. ^ 日本棋院 第1回ワールドマインドスポーツゲームズ(WMSG)
  3. ^ 山下が3年連続棋聖戦挑戦者に【第40期棋聖戦挑戦者決定トーナメント】・ 山下敬吾九段 最年少900勝
  4. ^ 第42期 棋聖戦
  5. ^ 山下敬吾九段が挑戦者に!【第73期本因坊戦挑戦者決定リーグ最終一斉対局】”. 2018年5月3日閲覧。
  6. ^ 第73期 本因坊戦
  7. ^ 第44期 天元戦
  8. ^ 山下敬吾九段が囲碁棋聖戦の挑戦権獲得、通算1000勝達成
  9. ^ 山下棋聖戦挑戦者に! 同時に通算1000勝を達成【第43期棋聖戦挑戦者決定変則三番勝負】
  10. ^ 井山天元挑戦者に山下九段 7大タイトル戦歴代最多
  11. ^ 第44期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
  12. ^ 第45期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
  13. ^ 第46期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
  14. ^ 第47期 棋聖戦”. 2022年9月28日閲覧。
  15. ^ a b 今週の本棚:好きなもの=山下敬吾 - 毎日jp・2012年4月8日
  16. ^ 囲碁名人戦七番勝負 第5局1日目ダイジェスト - 朝日新聞デジタル・2013年10月16日
  17. ^ 囲碁名人戦7番勝負 第1局2日目 - 朝日新聞デジタル・2011年9月2日
  18. ^ 本因坊戦:先番・山下で第70期開幕 - 毎日jp・2015年5月13日
  19. ^ https://twitter.com/migodojo/status/603026706551558144
  20. ^ 就位式で山下本因坊 「道吾」の号を披露”. asahi.com(朝日新聞社) (2010年8月26日). 2012年1月21日閲覧。
  21. ^ 旭川市「栄誉をたたえて表彰者一覧」
  22. ^ 旭川市「旭川市新人奨励賞受賞者一覧」
  23. ^ 北海道「栄誉をたたえて受賞者」
  24. ^ 旭川市「こうほう旭川市民」平成15年5月号
  25. ^ 北海道「栄誉賞受賞者」

外部リンク

[編集]