山崎正純
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山﨑 正純(やまさき まさずみ、男性、1960年 - )は、日本近代文学研究者、大阪公立大学教授。「山崎」と表記されることがあるが、正しくは「山﨑」(やまさき)である。
- 現代日本文学の考古学:言語空間の読み方, 知の新書010, 2022年01月, 単著, 山崎正純
- 文学的身体と歴史,文化科学高等研究院出版局,2013年02月,単著,山崎正純
- 哲学的文学論ー太宰治,文化科学高等研究院,2009年07月,共著,山崎正純・中村三春・山本哲士
- 表象の現代,翰林書房,2008年10月,共著,
- 丸山眞男と文学の光景,洋々社,2008年04月,単著,山﨑正純
- 戦後〈在日〉文学論─アジア論批評の射程,洋々社,2003年02月,単著,山﨑正純
- 転形期の太宰治,洋々社,1998年01月,単著,山﨑正純
- 昭和作家のクロノトポス 井伏鱒二,双文社出版,1996年06月,共著,
- 原民喜「夏の花」論ー灰色の文学,言語文化学研究,2018年03月,山﨑正純
- 堀田善衛の詩文ー戦中と戦後の間,言語文化学研究,2017年03月,山﨑正純
- 漱石「心」私論ーゲームと贖罪,季刊 iichiko,2015年07月,山﨑正純
- 記憶と忘却の文学論-漱石の圏域,言語文化学研究,2015年03月,山﨑正純
- 外部の思考・再論,季刊 iichiko,2015年01月,山﨑正純
- 太宰治・敗戦・田辺元,論潮,2013年06月,山﨑正純
- 与謝野晶子と太宰治ー家父長制をめぐって,与謝野晶子の世界,2011年11月,山崎正純
- 在日ディアスポラ文学の脱近代的想像力,日本学報,2011年08月,キムファンギ・山崎正純
- 文脈形成行為と公私の再編成,日本文学,2011年08月,山崎正純
- 月と日時計(1)ー吉本隆明の対偶的思考,論潮,2011年06月,山崎正純
- 疎開する太宰治─疎開者小説の可能性,言語文化学研究,2009年03月,山﨑正純
- 痕跡の所有─作者表象の発生論的考察,言語文化学研究,2008年03月,山﨑正純
- 「ヴィヨンの妻」─「妻」は語ることができるか,解釈と鑑賞,2007年10月,山﨑正純
- 木下順二と丸山眞男─近代日本の二つの光源─,千年紀文学,2007年10月,山﨑正純
- ミメーシス論─丸山眞男と敗戦後文学─,言語文化学研究,2007年03月,山﨑正純
- 歴史体験が過去に内閉するとき─呉英珍氏に問う─,社会文学,2007年02月,山﨑正純
- 町田康と中上健次─〈個人のテロル〉,国文学,2006年11月,山﨑正純
- 江藤淳と〈転向〉論の帰趨,語文研究,2006年06月,山﨑正純
- 〈悪意〉が転移する従順な〈僕〉の身体─大江健三郎「奇妙な仕事」論,言語文化学研究,2006年03月,山﨑正純
- 丸山眞男と森鷗外─明治30年代の〈政治〉思想─,女子大文学 国文篇,2005年03月,山﨑正純
- 森鴎外「舞姫」試論─背理としての〈忠誠〉─,國學院雑誌,2004年11月,山﨑正純
- 恋闕と死と革命,解釈と鑑賞,2004年09月,山﨑正純
- 未熟な完成─〈空洞〉としての天皇制,敍説Ⅱ,2004年08月,山﨑正純
- 李良枝と樋口一葉─〈母〉の背理,国文学,2004年08月,山﨑正純
- 〈敗戦〉後文学論(2)─〈電車〉表象と戦後思想─,女子大文学 国文篇,2004年03月,山﨑正純
- 戦後文学と〈私刑〉─思想課題としての「規範的自由」─,語文研究,2003年12月,山﨑正純
- 〈敗戦〉後文学論(1)─武田泰淳と上海,百舌鳥国文,2003年03月,山﨑正純
- 「斜陽」─敗戦後思想と〈革命〉のエスキス,国文学,2002年12月,山﨑正純
- 在日文学と日本文学─実存から普遍へ─,女子大文学 国文篇,2002年03月,山﨑正純
- 戦後〈在日〉文学論(2)─抑圧と想像力、あるいは『つぶやきの政治思想』─,百舌鳥国文,2001年03月,山﨑正純
- ロマン主義と〈書記〉の欲望─初期保田與重郎論─,敍説Ⅱ,2001年01月,山﨑正純
- 太宰治と日本浪曼派,季刊 iichiko,2000年07月,山﨑正純
- 流れを遡る─「城の崎にて」論─,文学批評 敍説,2000年06月,山﨑正純
- 戦後〈在日〉文学論(1)─李恢成の出発─,女子大文学 国文篇,2000年03月,山﨑正純
- 沈黙する志賀直哉─個と反復─,文学批評 敍説,1999年08月,山﨑正純
- ヴェルレーヌと太宰治─畏怖する〈文学〉─,太宰治研究,1999年06月,山﨑正純
- 太宰治と中国─「惜別」を中心として─,国文学,1999年06月,山﨑正純
- 太宰治研究のアジア論的構築について─没後50年に寄せて,館報 池田文庫,1998年10月,山﨑正純
- 〈中国〉を迂回する日本の近代─十五年戦争下の批評的言説─,国語と国文学,1998年06月,山﨑正純
- 志賀直哉論(2)─犯罪小説をめぐって─,女子大文学 国文篇,1998年03月,山﨑正純
- 志賀直哉論(1)─喪失のかたち─,百舌鳥国文,1997年12月,山﨑正純
- 言語・ジャンル・ディスクールの文学研究,日本近代文学を学ぶ人のために,1997年07月,山﨑正純
- 小林秀雄・小説の形而上学─初期作品をめぐって─,女子大文学 国文篇,1996年03月,山﨑正純
- 『虚構の春』論,太宰治研究,1996年01月,山﨑正純
- 表層論・『道化の華』─語りの変容─,女子大文学 国文篇,1995年03月,山﨑正純
- 太宰治のディスクール(5)─「めくら草紙」と〈小説の小説〉─,文学批評 敍説,1995年01月,山﨑正純
- 太宰治における〈通俗性〉の問題─『ロマネスク』論の試み─,昭和文学研究,1994年07月,山﨑正純
- 太宰治のディスクール(4)─文芸復興・批評との契点─,文学批評 敍説,1994年07月,山﨑正純
- 越境する文学・自意識の処方─或る『猿面冠者』論─,女子大文学 国文篇,1994年03月,山﨑正純
- 太宰治のディスクール(3)─『玩具』の系譜学─,文学批評 敍説,1993年07月,山﨑正純
- 昭和十二年,解釈と鑑賞,1993年06月,山﨑正純
- 太宰治における転形期の問題─転向と主体─,女子大文学 国文篇,1993年03月,山﨑正純
- 太宰治のディスクール(2)─『陰火』を読む─,文学批評 敍説,1993年01月,山﨑正純
- 太宰治のディスクール(1)─方法としての〈逆行〉─,文学批評 敍説,1992年07月,山﨑正純
- 太宰治における〈他者性〉の問題について─その言語的省察と初期作品─,国語と国文学,1992年04月,山﨑正純
- 現代文学のディスクール─ミスリーディングとしての対話─,文学批評 敍説,1992年01月,山﨑正純
- 小林秀雄と太宰治─ジイド受容をめぐる接点─,語文研究,1991年12月,山﨑正純
- ディスクール論序説(2)─蓮實重彦その言語的唯物論─,文学批評 敍説,1991年08月,山﨑正純
- 《作品》その可能性の中心─〈語る主体〉論の再検討─,純真紀要,1990年12月,山﨑正純
- ディスクール論序説─認識論批判からディスクールの〈空位〉へ,文学批評 敍説,1990年08月,山﨑正純
- 〈外部の思考〉あるいは他者性に関する覚え書,文学批評 敍説,1990年01月,山﨑正純
- 《作品》その可能性の中心─脱構築批評と〈語る主体〉─,純真紀要,1989年12月,山﨑正純
- 小林秀雄「おふえりあ遺文」論─その語りの構造─,国語と国文学,1988年09月,山﨑正純
- 小林秀雄論ノート(3)─「眠られぬ夜」の夢と現実─,近代文学論集,1987年11月,山﨑正純
- 小林秀雄論ノート(2)─文芸の科学性について─,文献探究,1987年09月,山﨑正純
- 小林秀雄論ノート(1)─ヴァレリー的知性の呪縛─,文献探究,1987年03月,山﨑正純
- 「新ハムレット」論─表現の虚妄を見据える眼─,近代文学論集,1986年11月,山﨑正純
- 太宰治と自意識の時代─「ドストエフスキイ論」をめぐって─,文献探究,1986年09月,山﨑正純
- 「盲人独笑」─単一表現の試み─,太宰治,1985年07月,山﨑正純
- 太宰治におけるロシア文学の問題─プーシキンとチェーホフの持つ意味,語文研究,1984年12月,山﨑正純
脚注
[編集]- ^ “教員情報詳細 - 山﨑 正純”. kyoindb.osakafu-u.ac.jp. 2019年1月20日閲覧。
- ^ “教員情報詳細 - 山﨑 正純”. kyoindb.osakafu-u.ac.jp. 2019年1月20日閲覧。