コンテンツにスキップ

岸福治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 岸 福治
生誕 1891年(明治24年)4月30日
日本の旗 日本群馬県
死没 1949年(昭和24年)7月10日
所属組織 日本海軍
軍歴 1912年(明治45年) - 1945年(昭和20年)
最終階級 海軍中将
テンプレートを表示

岸 福治(きし ふくじ、1891年4月30日 - 1949年7月10日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

[編集]

群馬県出身。岸保五郎の三男として生れる。1912年7月、海軍兵学校40期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。「満州分隊長などを経て、海軍大学校航海学生となる。「野島」「長良」の各航海長などを歴任し、1925年11月、海軍大学校(甲種23期)を卒業した。

鬼怒」航海長、軍令部第1班第1課参謀、「春日」教官、「八雲」副長、「室戸」「名取」の各艦長海軍航海学校教頭、「扶桑」艦長などを経て、1939年11月、海軍少将に進級。第4艦隊参謀長軍令部出仕などを務めた。

太平洋戦争には第9戦隊司令官として出征。第8戦隊司令官を経て、1943年5月、海軍中将となった。以後、海上護衛参謀長、第1海上護衛隊司令官、第1護衛艦隊司令長官、第7艦隊司令長官兼第1護衛艦隊司令長官、軍令部出仕を歴任し、1945年9月、予備役に編入された。

1947年11月28日、公職追放の仮指定を受けた[1]。1949年に死去した。

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「正規海軍将校並びに海軍特別志願予備将校 昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」28頁。
  2. ^ 『官報』第451号「叙任及辞令」1914年1月31日。
  3. ^ 『官報』第1040号「叙任及辞令」1916年1月22日。
  4. ^ 『官報』第1930号「叙任及辞令」1919年01月11日。
  5. ^ 『官報』第846号「叙任及辞令」1929年10月24日。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。