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島田安夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島田 安夫
しまだ やすお
生年月日 (1920-02-10) 1920年2月10日
出生地 日本の旗 日本 鳥取県東伯郡浅津村(現・湯梨浜町上浅津)
没年月日 (1984-04-11) 1984年4月11日(64歳没)
死没地 日本の旗 日本 東京都新宿区
出身校 吉沢法律研修学舘
前職 鳥取県議会議員
所属政党無所属→)
自由民主党中曽根派
称号 正五位
勲三等

選挙区 鳥取県全県区
当選回数 2回
在任期間 1972年12月10日 - 1976年12月9日
1983年12月18日 - 1984年4月11日
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島田 安夫(しまだ やすお、1920年大正9年〉2月10日[1] - 1984年昭和59年〉4月11日[1][2])は、日本政治家衆議院議員(2期)、鳥取県議会議員(4期)。正五位勲三等[3]

経歴

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鳥取県東伯郡浅津村上浅津[3]羽合町を経て現湯梨浜町上浅津)で、島田兼治の長男として生まれた[3]。1933年(昭和8年)浅津高等小学校卒業を経て、1934年(昭和9年)大阪吉沢法律研修館を卒業した[3]。1941年(昭和16年)鳥取歩兵第四十連隊入隊しバレテ峠の戦闘に参加。戦傷を受け1945年(昭和20年)1月に復員し3年間入院生活を送った[3]

1951年(昭和26年)浅津村議会議員となる同議長を務め、1953年(昭和28年)羽合町議会議員に当選し同議長も務めた。1959年(昭和34年)鳥取県議会議員に当選し4期在任し、1964年(昭和39年)同議長となり、議会開会時間の厳守の確立に貢献した[3]

1972年(昭和47年)第33回衆議院議員総選挙鳥取県全県区から無所属で出馬して当選[1][2][4]。1973年(昭和48年)青嵐会の結成に参加する[1]。1983年(昭和58年)第37回総選挙で再選されたが[1][2][4]、1984年4月、衆議院議員在任中に、東京医科大学病院において急性腎不全のため死去した。この間、自民党農林水産局次長、同国民生活局次長、同鳥取県連相談役などを務めた[2]

また、鳥取県農業共済組合連合会長、同県身体障害者福祉協会長、同県傷痍軍人会長、同県農政振興審議会長、同県農業会議会長、全国内水面漁業協同組合連合会長、山陰商工信用協同組合理事長などを務めた[1][2][3]

公職選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『現代政治家人名事典』225頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』312頁。
  3. ^ a b c d e f g 『鳥取県大百科事典』411頁。
  4. ^ a b c d e f g 『国政選挙総覧:1947-2016』300頁。

参考文献

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  • 『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。
  • 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。