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川端新二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

川端 新二(かわばた しんじ、1929年1月[1] - )は日本鉄道著作家、元機関士福井県出身。

来歴

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映像外部リンク
【語り継ぐ戦争】機関車緊急発車、空襲逃れる 川端新二さん - YouTube朝日新聞デジタル、2019年12月8日)

1929年(昭和4年)1月、福井市に生まれる[1]。1943年(昭和18年)に国民学校高等科を卒業して国鉄に入社[注釈 1]名古屋機関区庫内手を経て機関助士となり、15歳にして関西本線東海道本線蒸気機関車の乗務に従事した[1]。東海道本線では遠州灘を走行中に何度もアメリカ海軍艦砲射撃戦闘機機銃掃射に遭い、炭水車の下に隠れて生き延び終戦を迎えている[2]

1953年(昭和28年)に電気機関車機関助士となった後、1957年(昭和32年)に蒸気機関車へ戻り機関士に就き、名古屋機関区では最後の蒸気機関車乗務経験者となった[1]。蒸気機関車の退役後は電気機関士としてブルートレインを運転し、3年間の指導機関士を経て1984年(昭和59年)に国鉄を定年退職した[1]

退職から20年余りを経た2006年(平成18年)、国鉄入社から定年退職までの半生を記した自伝『ある機関士の回想』をイカロス出版より刊行する[3]。2012年(平成24年)には戦前・戦中の体験を中心とした回想を記した新書『15歳の機関助士』を交通新聞社から刊行した[1]。これ以降もイカロス出版『J・Train』『電気機関車EX』などの専門誌への寄稿や戦争体験に関する講演活動をおこなっている[4]

著書

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  • 『ある機関士の回想』イカロス出版、2006年 ISBN 978-4-87149-861-6
  • 『15歳の機関助士 戦火をくぐり抜けた汽車と少年』交通新聞社交通新聞社新書〉、2012年 ISBN 978-4-330-33812-5

脚注

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注釈

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  1. ^ 当時は鉄道省の直営。日本国有鉄道となったのは1949年である。

出典

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  1. ^ a b c d e f 051 15歳の機関助士 戦火をくぐり抜けた汽車と少年”. 交通新聞社. 2024年2月5日閲覧。
  2. ^ 五十幡将之 (2020年8月16日). “機関助士が見た浜名湖 その夜、戻った灯”. 中日新聞 (中日新聞東海本社). https://www.chunichi.co.jp/article/105464 2024年2月5日閲覧。 
  3. ^ ある機関士の回想”. イカロス出版. 2024年2月5日閲覧。
  4. ^ 林秀雄 (2018年8月16日). “空襲から1000人を救った列車の決断”. 戦跡 -薄れる記憶- (NHK名古屋放送局). https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_79.html 2024年2月5日閲覧。 

関連項目

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