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工藤甲人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

工藤 甲人(くどう こうじん、本名:工藤 儀助(くどう ぎすけ)[1]1915年7月30日[1] - 2011年7月29日[1][2][3])は、日本の画家日本画家創画会会員。東京芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授。

来歴

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青森県弘前市出身[1]。1934年に上京し[1]、翌年から川端画学校日本画科に入学[1]岡村葵園福田豊四郎に師事した[1]。1962年、弘前市から神奈川県平塚市に転居[1]。1971年東京芸術大学助教授[1]、1978年同教授[1]。1983年定年退官後、名誉教授[1]。1988年、沖縄県立芸術大学客員教授[1]2002年神奈川県庁に飾られていた工藤の作品が盗難の被害に遭った[4]。2011年7月29日、老衰のため神奈川県平塚市で死去[3]。95歳没[2]

自然の昆虫や小動物、植物の葉などを繊細な描線で描き、その周りを群青などの単色の岩絵具で色面を大きく取り、装飾的に感じるような構図が特徴とされる。郷愁や宗教感を感じさせる鮮麗で夢幻的な心象世界を描き出し、現代日本画に新生面を切り拓いたと評される[1]

賞詞

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代表的な作品

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  • 『示現』 紙本・彩色・額(1面)116.5×79.9cm 1976年
  • 『目屋の渓流』など。

主な作品収蔵先

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など。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 工藤甲人 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所. 2022年8月23日閲覧。
  2. ^ a b “訃報:工藤甲人さん95歳=日本画に新境地、毎日芸術賞”. 毎日新聞. (2011年7月30日). http://mainichi.jp/enta/art/news/20110731k0000m040053000c.html 2011年7月31日閲覧。 
  3. ^ a b “日本画家の工藤甲人さんが死去 幻想的な作風”. 47NEWS (共同通信社). (2011年7月30日). http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011073001000773.html 2011年7月31日閲覧。 
  4. ^ すり替え、15年前にも日本画で 県庁内、現在も見つからず | 社会”. カナロコ by 神奈川新聞. 2022年8月23日閲覧。
  5. ^ a b 工藤甲人展 〜夢と覚醒のはざまに〜”. 青森県立美術館. 2022年8月23日閲覧。

関連項目

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