弘経寺 (常総市)
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弘経寺(ぐぎょうじ) | |
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所在地 | 茨城県常総市豊岡町甲1 |
位置 | 北緯36度02分36.5秒 東経139度58分34.1秒 / 北緯36.043472度 東経139.976139度座標: 北緯36度02分36.5秒 東経139度58分34.1秒 / 北緯36.043472度 東経139.976139度 |
山号 |
寿亀山 (壽龜山) |
院号 | 天樹院 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
正式名 |
壽龜山天樹院弘經寺 (寿亀山天樹院弘経寺) |
法人番号 | 1050005009353 |
弘経寺(ぐぎょうじ)は、茨城県常総市豊岡町甲にある浄土宗の寺院。山号は寿亀山。院号は天樹院。本尊は阿弥陀如来。
由緒
[編集]応永年間21年(1414年)、名越流北条氏一族の出で、増上寺開山聖聡弟子だった嘆誉良肇(りょうちょう)の開山により下総国岡田郡飯沼村(現在の茨城県常総市)に創建された。
良肇により僧侶の教育に力が入れられ、二世の松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善、弘経寺三世の曜誉酉冏(ゆうげい)、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(ぐてい)、知恩院22世周誉珠琳(しゅりん)、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)などが輩出された[1][2]。
のち、北条氏と争っていた下妻城主多賀谷重経の陣が寺内に置かれ、戦禍により荒廃するが、徳川家康次男結城秀康の開基で、結城弘経寺(茨城県結城市)が再建された[3]。
家康からも信仰されていた10世了学により再興され、江戸期には浄土宗の檀林がおかれた。了学から五重相伝を受けた千姫から本堂の寄進もなされた[2]。