コンテンツにスキップ

ホラー映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
怪奇映画から転送)
ホラー映画のアイコン

ホラー映画(ホラーえいが)または恐怖映画(きょうふえいが)は、映画ジャンルの一つ。観る者が恐怖感(英語でいうところのHorror、Fear、Terrorなど)を味わって楽しむことを想定して制作されているものを広く指す。また、ゾンビ殺人鬼幽霊吸血鬼悪魔怪物精神疾患非行少年性的逸脱など、観客に恐怖感を与えるためにホラー映画で用いられる素材題材を含むものを(それが恐怖感を与えるためのものかにかかわらず)、ホラー映画とする場合もある。ホラー映画は日本韓国イタリアタイなどで特に普及している。

概要

[編集]

ホラーの他に、ジャンルの名前がそのまま感情の名前でもあるものにサスペンス映画スリラー映画があるが、これらはホラーと密接に関連している。あえて分けて呼ぶ場合は、ゾンビやオカルトなど超自然的要素を扱うものをホラー映画として狭義に括り、現実世界の殺人鬼や犯罪者を描くものをサスペンス映画、スリラー映画と呼ぶ場合も多いが、厳密な定義はない。

また、スプラッター映画は、典型的には血しぶきや惨殺死体などの直接的な描写(スラッシャーとも呼ばれる)によって定義されるジャンルだが、これも恐怖感を引き起こす手段として多用されるため、基本的にはホラーのサブジャンルと見なされる。サスペンスと同様、性行為などのエロティシズムなども内包されているものが多い。

また、サブジャンルとして、ホラーとは対照的な存在であるコメディをひとつの要素として取り入れたホラーコメディや、祝祭日を題材としたホリデイ・ホラーなどが挙げられる。

歴史

[編集]

ホラー映画の誕生

[編集]

映画黎明期の19世紀末より、ホラー作品の製作記録は多くある。1891年にエジソンが「キネトスコープ」を発明し、リュミエール兄弟がそれを改良した「シネマトグラフ」を発表した1895年、アメリカのアルフレッド・クラークによって発表された『メアリー女王の処刑』(『The Execution of Mary, Queen of Scots』あるいは『The Execution of Mary Stuart』)は世界初のホラー映画として名を挙げられる。ただし本作は14秒と非常に短いものであり、のぞき窓から映像を見てひとりで楽しむという、現代の「暗所で鑑賞する大衆娯楽」という映画のスタイルとはまるで異なるものであった。

後のホラー映画に大きな影響を与えた始祖的存在としては、1920年ドイツ映画カリガリ博士』が知られている。1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』も著作権者の許可を得ない非公式作ながら、重要な映画と位置づけられている。

1925年のアメリカ映画『オペラの怪人』は、千の顔を持つ男と称された名優ロン・チェイニーが髑髏のような恐ろしいメイクでファントムを演じ、サイレントホラーの伝説的作品となった。ゴシック・ロマンスを題材とし、強力な個性を持った怪奇スターが看板となるホラー映画のスタイルを決定付けた。

トーキー時代のホラー映画

[編集]

トーキーの時代を迎えた1931年、アメリカのユニバーサル映画は『魔人ドラキュラ』と『フランケンシュタイン』を大ヒットさせ、ホラーのリーディングカンパニーとなった。1930年に早世したチェイニーに替わり、ドラキュラ伯爵を演じたベラ・ルゴシと、フランケンシュタイン・モンスターを演じたボリス・カーロフが2大怪奇スターとなった。他社も追随し、吸血鬼ミイラ狼男ら怪物達や、エドガー・アラン・ポー作品、『ジキル博士とハイド氏』等を題材としたホラーの名作が多く作られた。

1940年代に入るとチェイニーの息子で『狼男』を代表作とするロン・チェイニー・ジュニアが怪奇スターとして台頭した。40年代半ばにはユニバーサル・ホラーは一作に複数の怪物が登場するエンターテインメント色の強い作品が主流となるが、結果としてこの路線はホラーの衰退を招いた。

1960年代

[編集]
ホラー映画の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の一場面。
モンスター映画のリメイク
第二次世界大戦後、ファンタジー映画の主流はSFに移り、ホラーは低迷する。それを復興させたのはイギリスハマー・フィルム・プロダクションであった。ユニバーサル・ホラーのカラーフィルムによるリメイクと位置づけられる『フランケンシュタインの逆襲』(1957年)と『吸血鬼ドラキュラ』(1958年)は世界的にヒットし、両作に出演したピーター・カッシングクリストファー・リーが新たなスターとなった。続いてミイラ、狼男らユニバーサル・モンスターズも続々復活した。
ハマーの隆盛に対し、アメリカの映画製作会社AIPは、1960年よりヴィンセント・プライス主演のエドガー・アラン・ポー作品を原作とするホラーの名作を連続ヒットさせた。
スプラッター映画の誕生
一方で、独立プロのハーシェル・ゴードン・ルイス監督が、ストーリー性よりも過激な残酷描写による視覚的衝撃を重視する猟奇的な映画を製作。特殊メイクによる過激な流血描写を強調したスプラッター映画の誕生であった。1963年の『血の祝祭日』(1963年)以降、1970年代までルイスはこの種の「血みどろ映画」を量産するが、それらの作品は俗悪なキワモノ映画としか世間からは認識されなかった。

1970年代

[編集]
スプラッター映画の浸透
しかし、1970年代に入ると、それまで『血ぬられた墓標』(1960年)などの古典的なゴシック怪奇映画で知られていたイタリアのマリオ・バーヴァ監督が、特殊メイクによる過激な残酷描写を取り入れた『血みどろの入江』(1971年)を発表。素人俳優をキャスティングして作りもアマチュア臭ただようH・G・ルイス作品とは異なり国際的な知名度を持つ名優の出演と一流の技術によって制作された初のスプラッター映画として世界に衝撃を与えた。
バーヴァの『血みどろの入江』を皮切りに、当時イタリアで流行していたジャッロとよばれる推理サスペンス映画が、生々しい残酷描写を積極的に取り入れ始める。セルジオ・マルティーノ監督による『影なき淫獣』(1973年)やダリオ・アルジェント監督による『サスペリアPART2』(1975年)といった70年代のイタリア製スリラーでは、犯人捜しの推理ミステリーの体裁を取りながら、血みどろのスプラッター描写を露骨に表現したことで刺激に飢えた若い観客からの支持を得た。
さらに、アメリカのトビー・フーパー監督による『悪魔のいけにえ』(1974年)、イギリスのピート・ウォーカー監督による『フライトメア』(1974年)、カナダのデヴィッド・クローネンバーグ監督による『ラビッド』(1977年)やボブ・クラーク監督による『暗闇にベルが鳴る』(1974年)といった、高い技術と緻密な脚本・演出に支えられた現代的な残酷ホラーが多く製作される。これらの作品はH・G・ルイスが狙ったような単なる表面的な血みどろ描写による刺激だけではなく、残酷シーンの痛々しさを通して人間心理にひそむ狂気や異常性の恐ろしさを描き上げたという点で、当時としてはリアルで現代的な感覚を持った恐怖映画だったと言える。
動物パニック映画ブーム
また、アルフレッド・ヒッチコック監督の『』(1963年)のヒットを経て、70年代中盤には動物パニック映画ブームが巻き起こる。中でも大ヒット作である『ジョーズ』(1975年)を筆頭に、巨大クマの恐怖を描いた『グリズリー』(1976年)、シャチの襲撃を描いた『オルカ』(1977年)、殺人蜂の襲来を描いた『スウォーム』(1978年)など、さまざまな動物や昆虫が人間を襲う作品が次々と公開された。
オカルト映画ブーム
一方で、1970年代には『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)を起源として、ウィリアム・フリードキン監督による『エクソシスト』(1973年)が爆発的なヒット。それを皮切りに、オカルト映画の大ブームが巻き起こる。かねてから注目を集めていた占いや自称超能力者のユリ・ゲラーが仕掛けた超能力ブームに後押しされる形で、悪魔や心霊現象や超能力と言った神秘的な事柄に対する人々の関心が高まり、世界各国の映画会社は積極的にオカルト映画を発表。
ハリウッドは『ヘルハウス』(1973年)、『オーメン』(1976年)、『キャリー』(1976年)、『』(1976年)、『オードリー・ローズ』(1977年)などの心霊現象や悪魔や超能力などを扱ったオカルト映画を量産し、興業面でも批評面でも大いなる成果を得た。
娯楽映画産業に勢いがあったイタリア映画界もブームに乗じて、悪魔や魔女の恐怖を描いたオカルト映画を量産。特にダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1976年)はハリウッドの大作に匹敵するほどの大成功を収めた。
イタリアほど話題作は多くなかったが、スペイン映画界からは『ザ・チャイルド』(1976年)が発表されて話題を呼んだ。オカルト映画の体裁を取りながらも不条理な風刺劇といった趣の映画だが、子供たちが突然大人を殺し始めると言った寓話的でショッキングなストーリーが世界に大きな衝撃を与えた。
スプラッター映画とオカルト映画の流行に押される形で、クラシカルなハマーやAIP作品は衰退していく。ホラー映画も新しい時代を迎えつつあった。

1980年代

[編集]
スラッシャー映画の黄金期
1980年代 にはビデオレンタル・バブルを追い風に、ホラー映画の需要は増加した。中でもジョン・カーペンターの『ハロウィン』(1978年)が大ヒットしたことで、殺人鬼が若者を襲うというフォーマットを模倣したスラッシャー映画が黄金時代を迎えることになる。『13日の金曜日』(1980)、『エルム街の悪夢』(1984)、『チャイルド・プレイ』(1988)、『キャンディマン』(1992)など様々な形のスラッシャー映画が量産された。
特に『13日の金曜日』は1980年代の映画シリーズの中では最も影響力の大きいシリーズの一つと言われており、11本の映画、ノベライズコミカライズそして様々な収集価値の高いグッズの生産で伝説的なシリーズであった。
SFホラーの確立
1979年にはリドリー・スコット監督による『エイリアン』が大ヒットし、SFホラーという新たなジャンルを確立する。続いて『遊星からの物体X』(1982年)や『グレムリン』(1984年)、ホラー要素も強かった[1]ジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター』(1984年)、『クリッター』(1986年)などがヒットした。また『スキャナーズ』(1981年)や『ヴィデオドローム』(1982年)『ザ・フライ』(1986年)などデヴィッド・クローネンバーグ作品がカルト的な人気を博すも、『エイリアン』の続編である『エイリアン2』(1986年)ではホラー要素が薄れてアクション要素が大幅に強まり、その後も『プレデター』(1987年)などのヒットでSFホラーはすぐにSFアクションへと吸収され、衰退していくことになる。
一方で、1997年には後に「バイオハザードシリーズ」を手掛けるポール・W・S・アンダーソン監督作で、「宇宙船内の恐怖」を描いたSFホラー映画『イベント・ホライゾン』が公開される。興行的には失敗したが、ビデオソフトがリリースされるとカルト的な人気を博し、以降同じく宇宙船が舞台のSFホラー映画である『サンシャイン 2057』(2007年)と『ライフ』(2017年)が10年毎に公開されるという現象も起こった。
ファウンド・フッテージの登場
1980年にはセクスプロイテーション映画であり、モキュメンタリー映画の先駆けでもある『食人族』が公開される。本作は、本物の殺人映像(スナッフフィルム)のように見せかけた宣伝方法などで注目を浴び、動物虐待人肉食強姦シーンが盛り込まれた映画でありながら、10億円近い配給収入を上げる大ヒットを記録した。第三者によって映像が流出した設定で展開されるファウンド・フッテージと呼ばれる手法は、後に『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)で再び注目されることとなる。

1990年代

[編集]
サイコスリラーの流行
1990年代には『危険な情事』(1987年)のヒットを皮切りに、『ミザリー』(1990年)や『セブン』(1995年)といったサイコスリラーへと流行が移り変わる。1991年には、ジョディ・フォスターアンソニー・ホプキンスが主演のホラー映画『羊たちの沈黙』が、第64回アカデミー賞主要5部門を受賞し、ホラー映画史上初のアカデミー作品賞という快挙を果たした。
青春学園ホラー
青春・学園物とホラーをミックスさせた映画は、古くは『キャリー』(1976年)や『プロムナイト』(1980年)、『フライトナイト』(1985年)などが挙げられる。
同ジャンルから暫くはヒット作が出なかったが、1996年に『エルム街の悪夢』で知られるウェス・クレイヴン監督の青春学園ホラー『スクリーム』が公開。ホラー映画のお決まりパターンを風刺しながら若者が殺されていくという斬新な設定が話題を呼び、当時のスラッシャー映画として最高の興行収入を記録。これによりマンネリ化していたスラッシャー映画に新たな風が吹く。派生作品として『ラストサマー』(1997年)や『ルール』(1998年)『バレンタイン』(2001年)など『スクリーム』同様にミステリー要素の強いものや、エイリアンによる寄生を描いたSF要素の強い『パラサイト』(1998年)、「死の運命」という目に見えない存在に襲われる『ファイナル・デスティネーション』(2000年)などが人気を博した。
ホラーアクションの確立
1990年代後半に入るとホラーとアクションを融合させた映画が多く製作されるようになり、1996年にはロバート・ロドリゲスクエンティン・タランティーノが手掛けた『フロム・ダスク・ティル・ドーン』がヒットし、ホラーアクションという新たなジャンルを開拓させた。その後もアメコミ実写映画化した『スポーン』(1997年)や『ブレイド』(1998年)や『コンスタンティン』(2005年)、『エンド・オブ・デイズ』(1999年)、同名ホラーゲームを映画化した『バイオハザード』(2001年)、『アンダーワールド』(2003年)、『ヴァン・ヘルシング』(2004年)、『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)などが公開された。一般的なアクション映画と同様に、怖さよりもアクションの迫力を見せ場としている点が特徴。

2000年代

[編集]
ソリッド・シチュエーション・ホラー
1997年の『キューブ』のヒットを経て、2000年代には限られた空間でストーリーが展開するソリッド・シチュエーション・ホラーが大きなブームとなる。中でも『ソウ』がホラー映画界において異例の大ヒットを記録した。人間による人間の恐怖を徹底的に表現し、残酷なシーンの多様化、究極の苦痛を求めた映画として話題を呼んだ。また 『ホステル』(2005年)や『ウルフクリーク/猟奇殺人谷』(2005年)などを皮切りに、トーチャーポルノ(拷問ポルノ)と呼ばれる残酷シーンに特化したジャンルのホラー映画が勢いを付けた。
フレンチ・ホラー
また21世紀に入るまではホラー映画のイメージが薄かったフランス映画界だったが[2]、1990年代後期からフランスを中心に過剰な性描写や暴力表現などを使用したニューエクストリミティ英語版と呼ばれる映画運動が起きたことで、2003年にその意図を汲んだ『ハイテンション』(2003年)が公開される。本作のヒットを皮切りに、過激なゴア描写やスタイリッシュさを基調としたフレンチ・ホラーというジャンルが確立し、後に公開される『屋敷女』(2007年)『フロンティア』(2007年)『マーターズ』(2008年)の3作品を含めて、4大フレンチホラー(フレンチホラー四天王)と呼ばれるようになった。これらの一連のブームを総称して、ニュー・ウェイブ・オブ・フレンチ・ホラー(New Wave of French Horror)[3]、またはフランス新過激主義(New French Extremity)と言う。
ホーム・インベージョン
また『ファニーゲーム』(1998年)の登場、そしてフレンチ・ホラーとソリッド・シチュエーション・ホラーの流行によって、自宅に何者かが侵入、もしくは襲撃されるホーム・インベージョンと呼ばれるジャンルも定着する。上記のフレンチホラー四天王と呼ばれる作品から、『正体不明 THEM -ゼム‐』(2006年)や『ゴーストランドの惨劇』(2015年)など、多くのフレンチ・ホラーはホーム・インベージョンの形式をとっている。アメリカ映画では『ワナオトコ』(2009年)や『サプライズ』(2011年)『アス』(2019年)などが該当する。
ジャパニーズホラーの大ブーム
1998年に『リング』がヒットすると後に続くジャパニーズホラーブームの火付け役となり、以降『仄暗い水の底から』(2002年)や『呪怨』(2003年)、『着信アリ』(2003年)なども立て続けに成功した。Jホラーブームが世界中で巻き起こると、その後も『ザ・リング』(2002年)や『THE JUON 呪怨』(2004年)、『ダーク・ウォーター』(2005年)、『ワン・ミス・コール』(2008年)などのJホラーのリメイク作品がアメリカで次々に製作された。『ザ・リング』は4800万ドルの低予算の制作費に対して興行成績が約1億2900万ドルと予想以上の高回収率で成功を収め、『THE JUON 呪怨』も1,000万ドルの制作費に対して興行収入が1億1000万ドルと、低予算であることを考慮するとビジネス的には成功した。また、『ザ・リング』のDVDはアメリカでは初日のみで200万枚売れたことも話題になった。
『リング』をはじめとするジャパニーズホラーは香港を席巻したが[4]、その理由として、日本と香港の文化的同一性があげられており、登場人物が黒髪ではなく金髪で、アーモンド色の目をしていたら、「信憑性がない」「私たちが彼らに夢中になるのは難しい」という意見がある[4]
日本映画研究者でハーバード大学准教授のアレクサンダー・ザルテンは、こうしたJホラーが誕生した背景には1989年に発覚した東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の影響が大きいと分析している[5]。1980年代当時の日本では、『死霊の罠』(1988年)や『スウィートホーム』(1989年)、オリジナルビデオ作品の『ギニーピッグ』(1985年)、テレビドラマ『魔夏少女』(1987年)など、海外のスプラッター映画と同様のグロテスクな残酷描写を描いた作品が徐々に製作され始めていた時代であったが、前述の事件をマスメディアが「犯人はオタク・ホラーマニアで現実と空想の区別が付かずに犯行に及んだ」「ホラー映画を犯行の手本にした」などと盛んに報道したことで残酷描写がタブー視されるようになり、自主規制が強化されメジャーシーンではスプラッター作品が製作されなくなってしまい、直接的な残酷描写ではなく雰囲気や心理的に怖がらせるJホラーが副産物的、偶発的に誕生したとされる。このため、Jホラーというジャンルは日本人の感性から生まれたというよりも、そうした歴史的な背景の基に生まれたのものだと指摘している。
モキュメンタリー作品の流行
一方、1999年に公開された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のヒットを経て、2000年代には全編ビデオカメラを用いたP.O.V方式によるモキュメンタリー、もしくはファウンド・フッテージ作品が増える。2007年には『パラノーマル・アクティビティ』が超低予算ながらも口コミで話題となり、社会現象とも言える大ヒットを記録した。他に『REC/レック』(2007年)、『クローバーフィールド/HAKAISHA』(2008年)、『THE 4TH KIND フォース・カインド』(2009年)、『グレイヴ・エンカウンターズ』(2011年)などがある。
クロスオーバー作品のヒット
2003年には『フレディvsジェイソン』のようなクロスオーバー作品も登場し、世界中で反響を呼んだ。この作品は映画界において一つの新しい型を生み出し、本作を皮切に以降『エイリアンVSプレデター』(2004年)のような他の作品同士のキャラクターを対決させるという映画会社の垣根を超えた作品が製作されている。また2012年に公開された『キャビン』は、ある種その最終形態的な作品とも言える。
往年の名作のリメイク
洋画においては『悪魔のいけにえ』、『ハロウィン』、『13日の金曜日』、『エルム街の悪夢』など、70年代~80年代にかけての有名なホラー作品が相次いでリメイクされ、いずれの作品もおおむね好意的な評価を得た。
特に、『IT』(1990年)のリメイクである『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』(2017年)は、ホラー映画史上No.1の興行収入を記録する大ヒットとなった。

2010年代~現在

[編集]
超自然的ホラーの復権
1970年代から1980年代にかけて、『』(1976年)や『チェンジリング』(1980年)、特に『悪魔の棲む家』(1979年)や『ポルターガイスト』(1982年)はシリーズ化もされるなど、「一軒家での超常現象心霊現象」を描いた超自然的ホラー映画が人気を博したが、1990年代以降はサイコスリラーやシチュエーションスリラー等の人気に押されて製作本数が激減していた。
しかし、2010年代に入ると、2010年の『インシディアス』と2013年の『死霊館』の二作が久々にヒットしたことで、衰退していた超自然的ホラーが復権し始めた。その二作に続けとばかりに『オキュラス/怨霊鏡』(2013年)、『MAMA』(2013年)、『呪い襲い殺す』(2014年)、『死霊館』のスピンオフである『アナベル 死霊館の人形』(2014年)、『ババドック 暗闇の魔物』(2014年)、『ラリー スマホの中に棲むモノ』(2020年)、『ブギーマン』(2023年)など、多数の超自然的ホラー映画が公開されるようになった。
新感覚ホラー
2010年代には『ドント・ブリーズ』(2016年)や『クワイエット・プレイス』(2018年)といった“音を立ててはいけない”や、『ライト/オフ』(2016年)の“電気を消してはいけない”、『バイバイマン』(2017年)の“名前を口にしたり考えてはいけない”など、これまでにない斬新なアイデアに着目し、全く新しい手法やアプローチを用いる新感覚ホラーと称される作品が多くなる。
また、“誰かと性行為をしなければいけない”という新感覚ホラーでありながら、一種の甘酸っぱい青春映画でもある『イット・フォローズ』(2014年)や、新感覚ホラーにしてブラックムービーと高い評価を得た『ゲット・アウト』(2017年)、ミステリー要素とスタイリッシュ・アクションを融合した『マリグナント 狂暴な悪夢』(2021年)など、ワンアイデアをプラスしたことでホラー映画の域を超えたジャンルレスな作品も多く現れた。特に遺伝性による恐怖を描いた『ヘレディタリー/継承』(2018年)は「直近50年のホラー映画の中の最高傑作[6]」「21世紀最高のホラー映画[7]」と評されている。
このようなホラー映画郡が台頭したきっかけとして、ブラムハウス・プロダクションズA24のように、ホラー映画の製作に力を入れる新興スタジオの登場が挙げられる。これらのスタジオは新人、もしくは無名の映画監督を発掘することで、冒険的な作品を生み出すことが可能となった。
村ホラーと北欧ホラー
ウィッチ』(2016年)と『ミッドサマー』(2019年)の高評価を皮切りに、世間と隔絶された村で異様宗教民間伝承土着信仰カルト集団による恐怖を描く村ホラーが人気を博す。 アジア圏では『哭声/コクソン』(2016年)や『女神の継承』(2021年)『呪詛』(2022年)などがヒットし、日本でも『犬鳴村』(2020年)や『樹海村』(2021年)『牛首村』(2022年)など恐怖の村シリーズとしてシリーズ化された。
また、異国の文化や風習、宗教に対する恐怖は北欧ホラーへと転じ、スウェーデンデンマークフィンランドノルウェーなどのホラー映画が多く作られるようになる。北欧の美しい景色と不気味な雰囲気が混在した作風のものが多く、『LAMB/ラム』(2021年)や『イノセンツ』(2021年)、『ハッチング -孵化-』(2022年)『理想郷』(2022年)『胸騒ぎ』(2022年)などがある。

代表的なホラー映画

[編集]

海外

[編集]
1900年代前半
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

日本

[編集]
1900年代
2000年代

ホラー映画研究書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 『ターミネーター』はなぜ古びない?時代を超越する「恐怖」と「構成力」”. CINEMORE. 2023年10月27日閲覧。
  2. ^ トラウマ必至!不快指数120%のフレンチ・ホラー映画の旗手たちによる3選!”. CINEMAS+. 2023年7月25日閲覧。
  3. ^ BEYOND BLOOD (字幕版)”. Amazon prime video. 2023年7月25日閲覧。
  4. ^ a b “Cute Power!”. ニューズウィーク. (1999年11月7日). オリジナルの2019年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190509023151/https://www.newsweek.com/cute-power-164150 
  5. ^ 『世界サブカルチャー史 欲望の系譜』2023年10月24日放送回
  6. ^ ‘Hereditary’ Is A Game Changing Horror Masterpiece”. 2018年6月8日閲覧。
  7. ^ Hereditary review: Toni Collette dazzles in horror movie masterpiece”. 2018年6月8日閲覧。

関連項目

[編集]