日本とナイジェリアの関係
日本 |
ナイジェリア |
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日本とナイジェリアの関係(英語: Japan–Nigeria relations)では、日本とナイジェリアの関係について概説する。
両国の比較
[編集]ナイジェリア | 日本 | 両国の差 | |
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人口 | 2億96万人(2014年)[1] | 1億2711万人(2015年)[2] | ナイジェリアは日本の約2.3倍 |
国土面積 | 92万3773 km²[1] | 37万7972 km²[3] | ナイジェリアは日本の約2.5倍 |
首都 | アブジャ | 東京都 | |
最大都市 | ラゴス | 東京都区部 | |
政体 | 共和制 大統領制 連邦制 |
(民主制) 議院内閣制[4] |
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公用語 | 英語 | 日本語(事実上) | |
国教 | なし | なし | |
GDP(名目) | 4481億2043万米ドル(2019年)[5] | 5兆819億6954万米ドル(2019年)[6] | 日本はナイジェリアの約11.3倍 |
歴史
[編集]1960年10月、日本はナイジェリアを独立と同時に国家承認した[1]。同年12月、日本は在ナイジェリア大使館を開設した。ナイジェリアは、1964年7月に東京に大使館を開設した。しかし20世紀中は、クーデターや軍事政権、ビアフラ共和国独立宣言に端を発するビアフラ内戦などのナイジェリアの政治的混乱があり、両国関係はさほど進展しなかった。交流が活発になったのは、21世紀に入ってからである。
要人の往来としては、2001年に当時総理大臣であった森喜朗がナイジェリアを訪問し、一方でナイジェリア側は2001年と2004年にオルシェグン・オバサンジョ大統領が、2009年にグッドラック・ジョナサン大統領が日本を訪れており、いずれも経済的な関係強化を目的としたものであった[1]。現職大統領ムハンマド・ブハリは、2019年に日本を訪れている。
21世紀以降、日本とナイジェリアは要人往来が活発になり、またナイジェリアが国際社会で影響力を発揮する場面も増えた。ナイジェリアは、アフリカ、特に西アフリカでの指導的責務を自認しており、リベリアやシエラレオネ和平の実現に指導力を発揮したほか、アフリカ連合(AU)、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)等を通じて積極的なアフリカ外交を展開している(ECOWASの本部はアブジャに所在)。加えて、これまで国連安保理非常任理事国を5回にわたり務めており、国連PKOにも積極的に貢献している。自他共に認めるアフリカのリーダー国の1つであり、日本を含むG7諸国のみならず新興諸国と政治・外交で連携する場面も多い[1]。
経済貿易関係
[編集]経済的な交流も活発になりつつある。2020年、ナイジェリアの対日輸出額は約733.25億円、主な輸出品は原油、石油製品、ココア、カシューナッツなど。対日輸入額は約305.21億円で、主な輸入品は機械、車両、化学製品。これはヨーロッパ諸国と比較するとまだまだ小さいが、アジア諸国の中ではインドや中国、韓国に次いで大きい。2018年には、日本貿易振興機構がナイジェリアとの貿易関係を強め日本製品の注目を集める為、30を超える日本のブランドが製品が紹介された[7]。続く2019年には横浜市で第七回アフリカ開発会議が開催されたが、その際に日本とナイジェリアは二国間の関係を深め、両国間のビジネスを円滑にするための協議会「Japan Nigeria Business Facilitation Council (JNBFC)」が新たに設置されている[8]。
人的交流
[編集]民間人の往来もアフリカ諸国の中では活発であり、法務省の在留外国人統計によると、2015年末の時点で2,638人のナイジェリア人が正規に日本に在留登録している[9]。ナイジェリアに所縁がある著名人としては、代表的な人物にボビー・オロゴンがタレントとして活躍しているほか[10]、ピーター・ウタカがサッカー選手として活躍、アメリカ生まれのナイジェリアと日本のハーフである関口メンディーはEXILEのメンバーとして[11]、同じくナイジェリアと日本のハーフであるオコエ瑠偉はプロ野球選手として日本で活躍し[12]、日本の文化面に影響を与えている。
外交使節
[編集]駐ナイジェリア日本大使
[編集]駐日ナイジェリア大使
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 官職名 | 備考 |
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※1954/7/7 大使館開設[13] | ||||
オディリ・オビ | 1964年 - 1964年[13] | 臨時代理大使 | ||
ウスマン・ヨラ | 1964年 - 1965年[13] | 臨時代理大使 | ||
1 | アッバ・アンナス・ババ・ガナ[14] | 1965年 - 1968年[13] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は10月8日[15] 初代 |
2 | ジョージ・ダヴ・エドウィン[16] | 1968年 - 1973年[13] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は7月2日[17] |
3 | イグナティアス・ジュリアス・ダワー・ダーロング | 1973年 - 1976年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は10月30日[18] |
4 | ピーター・ルイス・ウドー | 1976年 - 1984年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は4月27日[19] |
5 | ユスフ・ワキリ・サダ | 1984年 - 1987年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は9月13日[20] |
6 | マイブカール・ガルバ・ドゴンニャロ | 1987年[21][22] - 1993年[23] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は10月27日[24] |
ティティロラ・オルセグン・オデグビレ | 1993年以降 - 1999年[25] | 臨時代理大使 | ||
7 | オセイミエガ・エマニュエル・オティオティオ | 1999年 - 2003年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は12月27日[26][27] |
グラント・オケチュク・エヒオブチェ | 2003年 - 2004年[28] | 臨時代理大使 | ||
8 | アダム・アリュー | 2004年 - 2007年[29] | 特命全権大使 | 信任状捧呈は7月15日[30] |
ヤハヤ・ダバリ・ザリア | 2007年 - 2008年[31] | 臨時代理大使 | ||
9 | ゴッドウィン・ンスデ・アボ | 2008年 - 2015年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は4月30日[32] |
イナレグ・ビクター・オガ | 2015年 - 2016年[33] | 臨時代理大使 | ||
ベロ・カザウレ・フセイニ | 2016年 - 2017年[34] | 臨時代理大使 | ||
チンウェ・ソフィー・ンケム‐ンワイグウェ | 2017年[35] | 臨時代理大使 | ||
10 | モハンメド・ガナ・イサ | 2017年 - 2020年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は11月15日[36] 旭日重光章受章[37] |
ティワトペ・アデレイェ・エリアスーファティレ | 2020年 - 2021年[38] | 臨時代理大使 | ||
11 | アブバカ・モリキ・フセイニ | 2021年 - 2024年 | 特命全権大使 | 信任状捧呈は8月27日[39] |
ショバンデ・フォラシャデ・オルワトイン | 2024年 - [40] | 臨時代理大使 |
脚注
[編集]- ^ a b c d e ナイジェリア連邦共和国(Federal Republic of Nigeria)基礎データ 外務省
- ^ 平成27年国勢調査人口速報集計 結果の概要 - 2016年2月26日
- ^ 日本の統計2016 第1章~第29章 | 総務省統計局
- ^ 日本国憲法で明確に定められている。
- ^ The World Bank GDP (current US$) - Nigeria
- ^ The World Bank GDP (current US$) - Japan
- ^ adekoya, fema (25 October 2018). "Nigeria: Japan to Leverage LITF for Improved Trade Ties With Nigeria". allafrica.com.
- ^ "Nigeria, Japan deepen trade relations". guardian.ng. Retrieved 15 February 2020.
- ^ 在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表 法務省
- ^ “プロフィール”. AREMCO PRODUCTION.
- ^ “音痴で優勝関口メンディー/気になリスト”. 日刊スポーツ (2014年3月28日).
- ^ 日米11球団が絶賛!関東第一・オコエ、ラモス由来の名前で甲子園目指す/東東京サンケイスポーツ 2015年7月16日
- ^ a b c d e 鹿島守之助 (1974年). “『日本外交史 別巻3』”. 鹿島研究所出版会. 2024年10月7日閲覧。、p.701
- ^ “わが外交の近況(第10号) 昭和41年8月 中近東アフリカ地域”. 外務省 (1966年8月). 2024年10月7日閲覧。
- ^ 『官報』第11650号(昭和40年10月11日付)21頁
- ^ George Dove-Edwin | Nigeria | The Guardian
- ^ 『官報』第12465号(昭和43年7月4日付)13頁
- ^ 『官報』第14057号(昭和48年11月2日付)9頁
- ^ 『官報』第14794号(昭和51年5月1日付)10頁
- ^ 『官報』第17285号(昭和59年9月17日付)15頁
- ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989
- ^ Foreign Representatives, Heads of Missions and Accompanying Persons at the Ceremony of the Enthronement of the Emperor at the Seiden | Diplomatic Bluebook 1991
- ^ “ご引見(平成5年)”. 宮内庁. 2024年10月7日閲覧。
- ^ 『官報』第18209号(昭和62年10月29日付)8頁
- ^ “アフリカ”. Internet Archive. 外務省 (1998年11月15日). 1998年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “信任状捧呈式(平成11年)”. 宮内庁. 2024年10月7日閲覧。
- ^ 『官報』第2782号(平成12年1月6日付)11頁
- ^ “在日ナイジェリア連邦共和国大使館・総領事館”. Internet Archive. 外務省. 2003年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “ご引見(平成19年)”. 宮内庁. 2024年10月7日閲覧。
- ^ “報道発表”. 外務省 (2004年7月14日). 2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日外国公館リスト アフリカ”. Internet Archive. 外務省. 2007年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “新任駐日ナイジェリア連邦共和国大使の信任状捧呈”. 外務省 (2008年4月30日). 2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2015年11月11日). 2015年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2016年4月21日). 2016年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2017年8月21日). 2017年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日ナイジェリア大使の信任状捧呈”. 外務省 (2017年11月15日). 2024年10月7日閲覧。
- ^ “令和3年秋の外国人叙勲 受章者名簿” (PDF). 外務省. 内閣府 (2021年11月3日). 2024年10月7日閲覧。、p.6
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2020年10月6日). 2020年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日ナイジェリア大使の信任状捧呈”. 外務省 (2021年8月27日). 2024年10月7日閲覧。
- ^ “駐日各国大使リスト”. Internet Archive. 外務省 (2024年9月26日). 2024年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年10月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 島田秀平著『物語 ナイジェリアの歴史 「アフリカの巨人」の実像』中央公論新社(2019)
- ナイジェリア連邦共和国(Federal Republic of Nigeria)基礎データ 外務省