日本ムスリム協会
日本ムスリム協会の本部 | |
設立 | 1952年 |
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種類 | 宗教法人 |
法人番号 | 8011005001446 |
本部 |
東京都品川区東五反田 3-17-23[1] |
所在地 | 北緯35度37分35.19秒 東経139度43分40.09秒 / 北緯35.6264417度 東経139.7278028度 |
会員数 | 約500人[2] |
会長 | 遠藤利夫 |
ウェブサイト | http://www.muslim.or.jp/ |
宗教法人日本ムスリム協会(英語: Japan Muslim Association ; JMA)は、日本最初のムスリムの信徒団体である[3]。1952年に47名のメンバーによって設立され[4]、1968年6月に宗教法人として認可された[3][5]。
「少数派のムスリムが日本社会と協調しながら、イスラームの教義を実践していく道筋をつくること」を目的としている[3]。
歴史
[編集]日本ムスリム協会は、1952年に戦時中にアジア各国で情報収取などに従事していた47名の日本人ムスリムや学者によって結成された「イスラーム友の会」を前身とする[6][7]。1953年には現在の名称である日本ムスリム協会に改称した。1957年からはエジプトのアズハル大学などのイスラーム圏の大学へムスリムを送り[4]、1959年には協会機関紙である『イスラームの声』が発行された[6]。
1968年に協会は宗教法人として登録された。この時代の会員数は『イスラームの声』によると約60名である。1961年にはムスリム留学生を中心として「ムスリム学生協会」が発足し、また、1963年には学術団体として「日本イスラーム協会」が発足した[8]。
協会は2009年に東京都の在日クウェート大使館で開かれたイフタール(断食打破夕食会)に招かれ、その中でクウェートによる協会への支援を絶賛した[9]。また、2018年にはトルコの国際協力調整庁が日本で初めて主催したイフタールに会長である徳増公明が参加した[10]。
協会は2015年、名古屋モスクが日本のマスメディアに対して行った、ISILを「イスラム国」と呼称して報道していることについての名称変更要望に、国内の他のイスラーム組織やモスクと共に参加した[11]。
2020年、COVID-19の流行を受けて、協会はイスラミックセンタージャパンや北海道イスラミックソサエティーなど30以上のイスラーム組織・団体と共同でラマダンの集会を回避し、イマームはムスリムのためのオンライン教室を開くように声明を出した[12]。2024年にサウジアラビアのキング・ファイサル国際賞イスラーム奉仕部門を受賞。
活動
[編集]出版
[編集]クルアーン、タフスィールほかの書籍を各種出版しているが、送料負担の上で問い合わせると入手可能である。
ムスリム向け霊園の運営
[編集]協会は1963年、地元の仏教寺院である文殊院の土地を購入し[13]、1969年、山梨県の認可を受けて9区画2400坪に及ぶ日本初のムスリム専用墓地を塩山市に設立し、現在までこれを運営している。2000年には国内のムスリム増加を受けて埋葬区画を増設した。当初、この霊園は「世界各国のムスリムのための霊園」として開設されたが、協会は「日本人ムスリムのための霊園」と名目を変更した[14]。
ハラール認証
[編集]協会は、国際的なハラール認証機関であるマレーシアのマレーシア・イスラム開発庁とインドネシアのウラマー評議会食料・薬品・化粧品検査機関 (JAKIM) [15]、シンガポールのウラマー評議会から認証されており[16][17]、このうちインドネシアのウラマー評議会が認証している食品部門の国内のハラール認証機関は2014年時点で日本ムスリム協会のみである[18][注釈 1]。
また、協会は、京都市の地元ハラール認証機関である京都ハラール協議会と提携している[19]。
歴代会長
[編集]- 初代会長 サディーク・今泉義雄 1953年‐1960年
- 二代会長 ウマル・三田了一 1960年-1962年
- 三代会長 アブドルカリーム・斎藤積平 1962年‐1971年
- 四代会長 アブーバクル・森本武夫 1971年‐1974年
- 五代会長 アブドルムニール・渡辺正治 1974年‐1977年
- 六代会長 オマル・五百旗頭陽二郎 1977年‐1984年
- 七代会長 アブドルサラーム・有見次郎 1984年‐1986年
- 八代会長 ズベイル・鈴木珀郎 1986年‐1990年
- 九代会長 ハーリド樋口美作 1990年-2003年[20]
- 十代会長 アミーン徳増公明 2003年-2021年
- 十一代会長 ヤヒヤ遠藤利夫 2021年‐現在[3]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “アクセス”. 日本ムスリム協会. 2020年10月16日閲覧。
- ^ 「3人の日本人ムスリム(その1) 細い糸を太い綱に」『毎日新聞』毎日新聞社、2016年5月15日。2020年10月17日閲覧。
- ^ a b c d “日本ムスリム協会とは”. 日本ムスリム協会. 2020年10月16日閲覧。
- ^ a b 店田, p. 10.
- ^ 佐藤茂「イスラム教徒200人、渋谷区内のモスクで邦人人質事件に祈りと憤り」『Bloomberg』2015年1月23日。2015年1月24日閲覧。
- ^ a b 樋口 2001, p. 2.
- ^ 平畑玄洋「日本初のムスリム霊園、実は山梨だった! 建設の裏、奇跡のお告げ」『withnews』朝日新聞社、2018年7月18日。2020年10月16日閲覧。
- ^ 樋口 2001, p. 3.
- ^ “東京、9月11日 駐日クウェート大使、IFTAR(イフタール)断食打破夕食会を主催する。”. 在日クウェート大使館. 2020年10月16日閲覧。
- ^ “【ラマザン2018】 トルコ国際協力調整庁が初めて日本でイフタルを提供”. TRT日本語. トルコ国営放送 (2018年6月15日). 2020年10月17日閲覧。
- ^ “連名による要望:「イスラム国」という名称の変更を希望します”. 名古屋モスク (2015年2月1日). 2020年10月16日閲覧。
- ^ カルドン・アズハリ「日本のムスリムがラマダンの集会を回避へ」『Arab News Japan』Saudi Research and Publishing Company、2020年4月23日。2020年10月16日閲覧。
- ^ 「日本のイスラム教徒永眠の地は 土葬の墓、住民ら反発」『朝日新聞』朝日新聞社、2010年10月18日。2020年10月16日閲覧。
- ^ 樋口 2005, p. 54-55.
- ^ 村上, p. 729.
- ^ ワールドエコノミー, p. 123.
- ^ “主なハラル(ハラール)認証団体”. 日本フードバリアフリー協会. 2020年10月16日閲覧。
- ^ a b 耕野, p. 39.
- ^ “よくある質問”. 京都ハラール協議会. 2020年10月16日閲覧。
- ^ 『創立50周年記念 協会小史』日本ムスリム協会、2004年3月28日、3-11頁。
参考文献
[編集]書籍
[編集]- 店田廣文『日本のモスク―滞日ムスリムの社会的活動』 14巻、山川出版社〈イスラームを知る〉、2015年。ISBN 978-4-634-47474-1。
- ワールドエコノミー研究会『「いま」の日本が知っておくべきアジア情勢』PHP研究所、2015年。ISBN 978-4-569-82431-4。
論文
[編集]- 樋口裕二「埋葬状況からみた在日ムスリムコミュニティ」『常民文化』第28号、2005年3月、43-69頁、NAID 120005156923。
- 村上雄哉「輸出に向けたイスラーム食品市場の概観:~醸造食品におけるハラール対応の留意点を踏まえて~」『日本醸造協会誌』第111巻第11号、日本醸造協会、2016年、728-735頁、doi:10.6013/jbrewsocjapan.111.728、ISSN 0914-7314、NAID 130007431180。
- 耕野拓一「ハラール認証と日本の食品企業・地域農業の付加価値戦略」『フロンティア農業経済研究』第20巻第1号、北海道農業経済学会、2017年2月、33-44頁、ISSN 2185-1220、NAID 120006360144。
- 樋口美作「日本におけるイスラーム50年の歩み」(PDF 261KB)、アラブ・イスラーム学院、2001年、 オリジナルの2001年5月8日時点におけるアーカイブ。
外部リンク
[編集]- 宗教法人日本ムスリム協会
- 日本ムスリム協会(Japan Muslim Association) (muslim.or.jp) - Facebook