日本赤十字社長崎原爆病院
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長崎原爆病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 日本赤十字社長崎原爆病院 |
英語名称 | The Japanese Red Cross Nagasaki Genbaku Hospital |
標榜診療科 |
内科 外科 整形外科 皮膚科 泌尿器科 眼科 耳鼻咽喉科 婦人科 放射線科 麻酔科 リハビリテーション科 |
許可病床数 |
315床 一般病床:315床 |
職員数 | 807人(医師96、看護師354など) |
開設者 | 日本赤十字社 長崎県支部(長崎県知事) |
管理者 | 谷口 英樹(院長) |
開設年月日 | 1958年5月20日 |
所在地 |
〒852-8511 長崎県長崎市茂里町3-15 |
位置 | 北緯32度45分54.5秒 東経129度51分45.8秒 / 北緯32.765139度 東経129.862722度 |
二次医療圏 | 長崎 |
特記事項 | ホームページ |
PJ 医療機関 |
日本赤十字社長崎原爆病院(にほんせきじゅうじしゃながさきげんばくびょういん)は、長崎県長崎市にある日本赤十字社長崎県支部が設置する医療機関である。通称、(日赤)長崎原爆病院。
1945年(昭和20年)8月9日に原爆が投下された長崎市における原爆症に関する治療と研究を主たる使命とするが、原爆症以外の病気に関する診察・治療も行っており、長崎市及び長崎県南部における拠点病院の一つでもあり、他県における赤十字病院と同等の役割も果たしている。長崎県災害拠点病院にも指定されている。
沿革
[編集]- 1958年(昭和33年)5月20日 - 長崎市片淵町に開設される。
- 当時の日赤名誉副総裁高松宮妃を迎え、長崎県立長崎東高等学校(当時・西山校舎/現長崎市立上長崎小学校の隣接地)体育館で開院式を挙行[1]。
- お年玉付き年賀はがきの付加金1億4,600万円で建設された。鉄筋コンクリート造5階建て(延965坪)。内科・外科・放射線科・産婦人科・耳鼻咽喉科・皮膚泌尿器科・眼科・小児科を備え、病床数81床、各科にはそれぞれ長崎大学医学部附属病院の専門医が置かれた[1]。
- 初代院長は横田素一郎(長崎大学医学部教授)[1]。
- 1961年(昭和36年)
- 1980年(昭和55年)12月 - 片淵の建物が手狭で老朽化が進んだため、茂里町の旧三菱製鋼所跡地(現在地)への新築移転が決定し、新病院の建設着工[1]。
- 1982年(昭和57年)
- 1990年(平成2年)5月18日 - 天皇・日赤名誉総裁でもある皇后が当病院を訪問。
- 1998年(平成10年)12月22日 - 別館の増築落成。
- 2003年(平成15年)9月30日 ‐ 大韓赤十字社大邱赤十字病院と姉妹病院の提携をはじめる[2]。
- 2008年(平成20年)5月20日 ‐ 開院50周年祝賀祭を開催[2]。
- 2014年(平成26年)10月1日 ‐ 地域包括ケア病棟開設(39床)に伴い病床数を350床とする[2]。
- 2020年(令和2年)4月1日 ‐ 新別館竣工に伴い病床数を315床とする[2]。
診療科
[編集]診療協働部門
医療機関の指定等
[編集]- 地域がん診療拠点病院
- 原子爆弾被爆者医療指定病院
- 二次救急告示病院
- 7対1看護配置基準
- 電子カルテ導入病院
- DPC対象病院
- 健康保険療養取扱医療機関
- 国民健康保険療養取扱医療機関
- 労災指定病院
- エイズ協力病院
- 救急告示指定病院
- 地域医療支援病院
- 原子力災害医療協力機関[3]
- 災害拠点病院(地域)[4]
交通アクセス
[編集]- JR浦上駅より徒歩約2分。
- 長崎電気軌道茂里町電停より徒歩約7分。
- 県営バス原爆病院前バス停下車すぐ。1日5~6便運行。
- 県営バス・長崎バスココウォーク茂里町バス停下車、徒歩約5分。
- 長崎駅より車で約10分。
その他
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]- 広島赤十字・原爆病院
- 長崎みなとメディカルセンター
- 長崎市への原子爆弾投下
- 長崎サラダ - 1階にあった食堂(現存せず)が発祥の麺料理