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本村和喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本村 和喜
もとむら かずき
生年月日 1935年11月12日
出生地 福岡県北九州市八幡東区
没年月日 (1991-08-17) 1991年8月17日(55歳没)
死没地 大分県別府市 新別府病院
出身校 立命館大学
前職 福岡県議会議員
所属政党 自由民主党
称号 正五位
勲三等旭日中綬章
親族本村賢太郎

選挙区 福岡県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1986年7月8日 - 1991年8月17日
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本村 和喜(もとむら かずき、1935年11月12日[1] - 1991年8月17日[2])は、日本政治家参議院議員(1期)。位階は正五位勲等は勲三等。派閥は三塚派に所属した[3]

経歴

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福岡県北九州市八幡東区生まれ。福岡県立八幡高等学校を経て、立命館大学法学部卒業。大学在学中は、ボクシング部と弁論部に所属し、大学代表として弁論大会に出場することもあった[4]

1964年、自民党衆議院議員小峰柳多の秘書。のちに参議院議員鬼丸勝之の秘書を経験[5]

1971年福岡県議会議員選挙初当選。以後2期務める。

1980年第12回参議院議員通常選挙1983年第13回参議院議員通常選挙福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補するも次点落選[6][7]。1980年、衆議院議員福田赳夫の秘書となる[5]

1986年第14回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選[8]1990年第2次海部改造内閣科学技術政務次官に就任[9]

1991年8月、参議院議員及び科学技術政務次官在任中に、大分県別府市新別府病院で急性心筋梗塞のため死去、55歳[4]。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙された[10]。同年9月、補欠選挙が行われ、自由民主党公認の元防衛施設庁官房審議官重富吉之助が当選した。

親族

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脚注

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  1. ^ 「政官要覧平成3年前期号」 政策時報社 1991年平成3年) ISBN 4-915324-16-8 p. 448.
  2. ^ 『おくやみ』 読売新聞夕刊 1991年(平成3年)8月17日 4版3面
  3. ^ 「FOCUS」 新潮社 1992年7月10日 p. 7.
  4. ^ a b 第121回国会 参議院 本会議 第5号 平成3年9月11日
  5. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』参議院、1990年11月、P.425
  6. ^ 『参院選地方区確定得票』 読売新聞 1980年昭和55年)6月24日 15版4面
  7. ^ 『即日分開票結果』 読売新聞 1983年(昭和58年)6月27日 16版2面
  8. ^ 『参院選挙区選確定得票』 読売新聞 1986年(昭和61年)7月8日 16版4面
  9. ^ 『政務次官も決まる』 朝日新聞 1990年(平成2年)12月30日 8面
  10. ^ 『官報』第717号10-11頁 平成3年8月26日号