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東竹院

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東竹院
所在地 埼玉県熊谷市久下1834
山号 梅籠山
院号 東竹院
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 鎌倉時代初期
開山 月担承水
開基 久下重光
札所等 忍領三十四所4番
法人番号 3030005013248 ウィキデータを編集
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東竹院(とうちくいん)は、埼玉県熊谷市にある曹洞宗寺院

歴史

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鎌倉時代初期、久下重光の開基である。石橋山の戦いで惨敗し、7騎で落ち延びる源頼朝に久下重光は300騎で駆け付けた。この功績により頼朝より「一番」の文字を授かり、久下氏は「○に一」を家紋とした。久下重光は所領で苗字の由来となっている久下に寺を設けた[1]

近隣の熊谷氏とは、所領争いを繰り広げ、犬猿の仲であった[1]熊谷直実が逐電するきっかけとなった訴訟の相手が久下氏である。後に久下氏は承久の乱の功績により丹波国(現・兵庫県)の所領が与えられ、丹波国に本拠地を移している。

だるま石

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境内には「だるま石」と呼ばれる巨石がある。寛文年間(1661年 - 1673年)、忍藩藩主阿部忠秋達磨大師に似た巨石が秩父にあることを知り、忍の城下に運ばせようとした。ところが、運搬の途中に川に落としてしまい、その後の洪水で行方不明となった。1925年大正14年)、半ば伝説と化した「だるま石」が、当院前の荒川で発見された。そして川底から掘り出されて、当院に置かれることになった[2]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 編『埼玉県の歴史散歩(歴史散歩11)』山川出版社、2005年、192p
  2. ^ 中山道をめぐる熊谷の歴史と文化財 6.東竹院のだるま石熊谷デジタルミュージアム

参考文献

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  • 埼玉県高等学校社会科教育研究会歴史部会 編『埼玉県の歴史散歩(歴史散歩11)』山川出版社、2005年