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松原秀一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松原 秀一
人物情報
生誕 (1930-03-07) 1930年3月7日
フランスの旗 フランス グルノーブル
死没 2014年6月5日(2014-06-05)(84歳没)
日本の旗 日本 東京都
学問
研究分野 文学(フランス文学)
研究機関 慶應義塾大学
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松原 秀一(まつばら ひでいち、1930年昭和5年)3月7日[1] - 2014年平成26年)6月5日[2])は、日本のフランス文学者慶應義塾大学名誉教授。

経歴

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外交官・言語学者松原秀治の長男としてフランスのグルノーブルに生まれる[3]慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾大学経済学部予科を経て[4]1952年昭和27年)慶應義塾大学経済学部卒業。1954年昭和29年)同大学院仏文学修士。慶應義塾大学文学部教授、1993年平成5年)定年退職、名誉教授。フランス国立ポワティエ大学名誉博士。高等実習学院(第四部)客員教授も勤めた[4]。専攻はフランス中世文献学[5]1985年昭和60年)、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。国際アーサー王学会会員、国際七賢人協会会員、日仏会館常務理事[6]を長く務めた。2014年(平成26年)6月5日午後6時37分、老衰のため東京都港区の病院で84歳で死去。

家族・親族

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  • 父方祖父:松原重栄
  • 母方祖父:川崎友之介
  • 父:松原秀治は外交官・言語学者
  • 妹:松原治子は作家。菅原治子あるいは小山七々子の筆名で童話集や随筆集を出版している。
  • 妻:松原文子は翻訳家。橋本文夫の娘。『ちっちゃな淑女たち カミーユとマドレーヌの愛の物語』(セギュール夫人原作、平岡瑤子と共訳、小学館、1970年)を出版している。序文は三島由紀夫が寄稿している(共訳者が三島夫人で友人のため)。

著書

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共著

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  • 『すなおなフランス語 正・続・3』 ルネ・ラガッシュ、ルイ・ヴァリニー 第三書房 1961-66年
  • 『仏作文の考え方』 松原秀治 第三書房 1967年
  • 『フランス語らしく書く 仏作文の考え方』 松原秀治、白水社 1995年。ISBN 4-560-00224-X
  • 『死の発見 ヨーロッパの古層を訪ねて』 養老孟司荻野アンナ岩波書店 1997年。ISBN 4000233165

共編著

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翻訳

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西本晃二共訳。監修渡辺一夫新倉俊一 
大岡信日高敏隆と編集委員。抄訳版

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.542
  2. ^ 慶応大名誉教授、フランス中世文学の松原秀一さん死去 有名人の葬儀 2014年6月9日閲覧
  3. ^ 松原秀一『中世の説話』東京書籍、1979年、著者紹介頁。 
  4. ^ a b 松原秀一「松原秀一教授自筆略年譜・著作一覧」『藝文研究』第63巻、慶應義塾大学藝文学会、1993年3月、I-XVI、CRID 1050845763878897792ISSN 0435-16302021年1月19日閲覧 
  5. ^ 松原秀一; 養老孟司;  荻野アンナ『死の発見』岩波書店、1997年、奥付頁。 
  6. ^ 松原秀一『中世の説話』東京書籍、1979年、著者紹介頁。