林大幹
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林 大幹 はやし たいかん | |
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生年月日 | 1922年2月23日 |
出生地 | 千葉県香取郡東庄町 |
没年月日 | 2004年7月11日(82歳没) |
出身校 | 小見川農学校 |
所属政党 | 自由民主党(福田派→石原G→渡辺派) |
第27代
環境庁長官 | |
内閣 | 宮沢改造内閣 |
在任期間 | 1992年12月12日 - 1993年8月9日 |
選挙区 | 旧千葉2区 |
在任期間 |
1972年12月11日 - 1979年9月7日 1980年6月23日 - 1993年6月12日 |
林 大幹(はやし たいかん、1922年2月23日 - 2004年7月11日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(6期)、環境庁長官。長男は自民党衆議院議員の林幹雄。
来歴・人物
[編集]千葉県香取郡笹川町(現・東庄町)出身。本来の名前の読み仮名は「ひろもと」だが、「たいかん」の読みが定着した。小見川農学校[1]を経て安岡正篤の主宰する金鶏学院に学ぶ。
戦後は一時期笹川町議を務めた後、自民党本部事務局入り。1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧千葉2区から無所属で出馬し初当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・三塚博・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)、自民党の追加公認を受けた。
党内では1973年に中川一郎・石原慎太郎らが結成した「青嵐会」に加わり、その後清和会(福田派)に入会。中川の総裁選出馬に際しては「預け」の形で中川派に入るも、中川の死後に中曽根→渡辺派に属した。1992年、宮澤改造内閣の環境庁長官として初入閣。
翌1993年に行われた衆院選には出馬せず、長男・幹雄に地盤を譲り政界を引退。1999年に勲一等瑞宝章を受章[2]し、2004年7月11日に腎不全のため千葉県旭市の病院で死去。享年82。
回想記『四十にして志を立つ 安岡正篤先生に学ぶ』(竹井出版、1988年)がある。
脚注
[編集]- ^ 毎日新聞千葉支局・編『ちば人国記Ⅱ』p.137 毎日新聞社 ISBN 4620306665
- ^ 「99年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』1999年11月3日朝刊
議会 | ||
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先代 水平豊彦 |
衆議院環境委員長 1986年 - 1987年 |
次代 吹田愰 |
先代 渡辺栄一 |
衆議院懲罰委員長 1988年 - 1989年 |
次代 松野幸泰 |
公職 | ||
先代 中村正三郎 |
環境庁長官 第27代:1992年 - 1993年 |
次代 広中和歌子 |