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森好之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森 好之(もり よしゆき、永正16年〈1519年〉 - 天正9年〈1581年〉?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将筒井氏の家臣。志摩守[1]。妻は筒井順昭の妹[2]。嫡子に森好高(九兵衛、縫殿助)[3]、従弟に森伝介好久[4]

生涯

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大和国山辺郡森(奈良県天理市守目堂町[5])の領主で[3]、筒井家の家老[1]嶋左近松倉右近と共に「筒井家三老臣」に数えられ[6][7]、7,000石を領したとされる[4]

天文23年(1554年)1月5日、筒井藤勝(順慶)が初めて春日社に参詣するのにあたり、福住順弘やその他麾下の諸士2,000人余りと共にそれに付き従った[8]

天正9年(1581年)2月29日、63歳で死去したとされる[3]。この他、好之は順慶の跡を継いだ筒井定次に仕え[1]、天正13年(1585年)の伊賀転封[9]に従った後、大和に戻って帰農したともいわれる[10](帰農したのは好之の子孫であるとも[11])。好之の子孫は北柳生(大和郡山市[12])に居を構えたといい[11]近世初期の有力農民として南柳生(天理市[13])にも森氏の姿が見える[14]

脚注

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  1. ^ a b c 籔 1985, p. 72.
  2. ^ 籔 1985, p. 37.
  3. ^ a b c 山辺郡教育会 1973, p. 175.
  4. ^ a b 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 146; 籔 1985, p. 155.
  5. ^ 山辺郡教育会 1973, p. 175; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1101.
  6. ^ 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 146; 籔 1985, p. 72.
  7. ^ 奈良県 編『大和志料 上巻』奈良県教育会、1914年、501頁。全国書誌番号:43018601https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950813/272 
  8. ^ 山辺郡教育会 1973, p. 167.
  9. ^ 籔 1985, p. 202.
  10. ^ 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 188; 籔 1985, p. 210.
  11. ^ a b 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 91.
  12. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 382.
  13. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1066.
  14. ^ 天理市史編さん委員会 編『改訂 天理市史 上巻』天理市役所、1976年、172頁。全国書誌番号:73014889 

参考文献

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関連項目

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