森好之
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森 好之(もり よしゆき、永正16年〈1519年〉 - 天正9年〈1581年〉?)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。筒井氏の家臣。志摩守[1]。妻は筒井順昭の妹[2]。嫡子に森好高(九兵衛、縫殿助)[3]、従弟に森伝介好久[4]。
生涯
[編集]大和国山辺郡森(奈良県天理市守目堂町[5])の領主で[3]、筒井家の家老[1]。嶋左近・松倉右近と共に「筒井家三老臣」に数えられ[6][7]、7,000石を領したとされる[4]。
天文23年(1554年)1月5日、筒井藤勝(順慶)が初めて春日社に参詣するのにあたり、福住順弘やその他麾下の諸士2,000人余りと共にそれに付き従った[8]。
天正9年(1581年)2月29日、63歳で死去したとされる[3]。この他、好之は順慶の跡を継いだ筒井定次に仕え[1]、天正13年(1585年)の伊賀転封[9]に従った後、大和に戻って帰農したともいわれる[10](帰農したのは好之の子孫であるとも[11])。好之の子孫は北柳生(大和郡山市[12])に居を構えたといい[11]、近世初期の有力農民として南柳生(天理市[13])にも森氏の姿が見える[14]。
脚注
[編集]- ^ a b c 籔 1985, p. 72.
- ^ 籔 1985, p. 37.
- ^ a b c 山辺郡教育会 1973, p. 175.
- ^ a b 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 146; 籔 1985, p. 155.
- ^ 山辺郡教育会 1973, p. 175; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1101.
- ^ 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 146; 籔 1985, p. 72.
- ^ 奈良県 編『大和志料 上巻』奈良県教育会、1914年、501頁。全国書誌番号:43018601 。
- ^ 山辺郡教育会 1973, p. 167.
- ^ 籔 1985, p. 202.
- ^ 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 188; 籔 1985, p. 210.
- ^ a b 柳沢文庫専門委員会 1966, p. 91.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 382.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1990, p. 1066.
- ^ 天理市史編さん委員会 編『改訂 天理市史 上巻』天理市役所、1976年、172頁。全国書誌番号:73014889。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 29 奈良県』角川書店、1990年。ISBN 4-04-001290-9。
- 柳沢文庫専門委員会 編『大和郡山市史』大和郡山市役所、1966年。全国書誌番号:66009027。
- 籔景三『筒井順慶とその一族』新人物往来社、1985年。ISBN 4-404-01281-0。
- 山辺郡教育会 編『奈良県山辺郡誌 上巻』名著出版、1973年(原著1913–1916年)。全国書誌番号:73009643。