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森田健作の熱血テレビ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
森田健作の熱血テレビ
ジャンル ワイドショー
出演者 森田健作
藤岡久美子
田中訓子
ほか
製作
制作 テレビ朝日
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
森田健作の熱血テレビ
放送期間1991年4月1日 - 1991年9月27日
放送時間平日 12:00 - 12:55
放送枠テレビ朝日系列平日昼の情報番組枠
放送分55分
女38歳気になるテレビ
放送期間1991年9月30日 - 1992年3月27日
放送時間平日 12:00 - 12:55
放送枠テレビ朝日系列平日昼の情報番組枠
放送分55分
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森田健作の熱血テレビ』(もりたけんさくのねっけつテレビ)は、1991年4月1日から同年9月27日までテレビ朝日系列局生放送されたテレビ朝日製作の昼のワイドショー

ここでは、1991年9月30日から1992年3月27日まで同系列局で生放送された後継番組『女38歳気になるテレビ』(おんなさんじゅうはっさいきになるテレビ)についても記載する。

概要

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森田健作の熱血テレビ

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前番組の『ホットライン110番』の内容が暗く、それを一転したワイドショーで、同タイトルを冠していた当時は森田健作藤岡久美子が司会を務めていた。同年秋の改編を機に衣替え(森田・藤岡コンビはそのまま)、『女38歳気になるテレビ』にタイトル改題した。

女38歳気になるテレビ

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『森田健作の熱血テレビ』を38歳以降の女性層にターゲットを変えて、一部をリニューアルしたワイドショーである。司会陣は、森田のメイン司会配置はそのままで、新たにオペラ歌手の田中訓子(後の田中方子)をパートナーに起用。これに伴い、藤岡は熱血テレビからの芸能リポーター・福岡翼とともにメイン出演からサブ出演へ降格した。わずか半年で打ち切られ、森田もわずか1年で降板する。同時に北日本放送が本番組終了を以って平日正午枠の遅れネットを打ち切ったため、平日正午枠の未ネット地域は1県増え、岩手・山梨・富山・徳島・佐賀の5県となった。その直後、森田は第16回参議院議員通常選挙に立候補し当選している(その後千葉県知事選挙に当選)。

ネット局

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系列は放送当時のもの。遅れネット局では14:00から、もしくは15:00から放送開始。

放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 全国朝日放送 テレビ朝日系列 制作局 現:テレビ朝日
北海道 北海道テレビ 同時ネット
青森県 青森放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
遅れネット 1991年9月27日まで[1]
青森朝日放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1991年10月1日から
宮城県 東日本放送
秋田県 秋田放送 日本テレビ系列 遅れネット
山形県 山形放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
福島県 福島放送 テレビ朝日系列 同時ネット
新潟県 新潟テレビ21
長野県 長野朝日放送 [2]
静岡県 静岡県民放送 愛称:静岡けんみんテレビ
現:静岡朝日テレビ
富山県 北日本放送 日本テレビ系列 遅れネット [3]
石川県 北陸放送 TBS系列 1991年9月27日まで[5]
北陸朝日放送 テレビ朝日系列 同時ネット 1991年10月1日から
福井県 福井放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
遅れネット
中京広域圏 名古屋テレビ テレビ朝日系列 同時ネット
近畿広域圏 朝日放送 現:朝日放送テレビ
鳥取県島根県 山陰放送 TBS系列 遅れネット
広島県 広島ホームテレビ テレビ朝日系列 同時ネット
山口県 山口放送 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
遅れネット
香川県・岡山県 瀬戸内海放送 テレビ朝日系列 同時ネット
愛媛県 南海放送 日本テレビ系列 遅れネット
高知県 高知放送
福岡県 九州朝日放送 テレビ朝日系列 同時ネット
長崎県 長崎文化放送
熊本県 熊本朝日放送
大分県 テレビ大分 日本テレビ系列
フジテレビ系列
テレビ朝日系列
宮崎県 宮崎放送 TBS系列 遅れネット
鹿児島県 鹿児島放送 テレビ朝日系列 同時ネット
沖縄県 琉球放送 TBS系列 遅れネット

脚注

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  1. ^ 『女38歳気になるテレビ』初回放送は青森朝日放送の開局が翌日に控えていたために放送されず、9月30日は、単発番組を放送し、10月1日から本来のネット番組である『2時のワイドショー』の同時ネットに切り替えた。サービス放送期間中の青森朝日放送も9月30日放送分は放送しなかった。
  2. ^ 『長野朝日放送の20年』(2011年4月1日発行)144ページ
  3. ^ 『女38歳気になるテレビ』の終了と同時に、北日本放送はテレビ朝日系平日正午枠の時差ネットを打ち切った。テレビ朝日系新局開局を伴わずに平日正午枠のネットを打ち切ったのは1979年9月のテレビ岩手(当時日本テレビ系・テレビ朝日系とのクロスネット局)の『アフタヌーンショー』の打ち切り並びにメイン系列の番組である『お昼のワイドショー』への切り替え以来となった。打ち切り後の当該枠は『2時のワイドショー』はネットせずにドラマ放送枠となったのち、1994年4月からは『ザ・ワイド』の同時ネット枠となった。
  4. ^ 『北國新聞』1991年9月30日付朝刊、テレビ欄。
  5. ^ 『女38歳気になるテレビ』初回放送は北陸朝日放送の開局が翌日に控えていたために放送されず(該当日は『アドベンチャー・スペシャル』に差し替え[4])、翌10月1日をもって『3時にあいましょう』の同時ネットに切り替えた。
テレビ朝日 平日昼のワイドショー枠・12時台
前番組 番組名 次番組
森田健作の熱血テレビ

女38歳気になるテレビ