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正教の離散

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

正教の離散(せいきょうのりさん、英語: Orthodox diaspora, Orthodox schism)は、「ギリシャ正教」・「東方正教会」とも呼ばれる正教会において、20世紀中盤から起きている教会分立・管轄権上の諸問題の総称である。現代に入って、正教が土地ではなく各民族教会ごとに管轄を保持する傾向が強まり、教区を巡る争いが複数発生している問題を指す。

アメリカでの教会分立

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正教会は、旧大陸では一カ国に一つの教会組織を具えることが原則である(ロシア正教会ブルガリア正教会ギリシャ正教会など)が、アメリカ大陸など移民の国々では、移民たちがそれぞれの母国の正教会に連なる教会を立てるケースが多発し、この原則が成り立っていない。

ロシア革命以後、アメリカ合衆国カナダメキシコなどの米州には民族別に教区・教会組織が分離形成されてきた結果、21世紀初頭現在、上記原則(一カ国に一つの教会組織)の例外が際立つ地域の一つとなっている。ロシア正教会が基となったアメリカ正教会1970年独立正教会となった後も、在外ロシア正教会のアメリカ東部メトロポリア、またはアメリカ西部メトロポリアに留まっている教区もあり、またこれらよりも信徒規模の大きなギリシャ系移民で主に構成される在米国ギリシャ正教会や、中東系移民に基盤のあるアンティオキア総主教庁系の教区なども存在している。このような民族別教区が分離された状態のまま設立されている現状は「正教の離散問題」とも呼ばれる[1]

1960年、米国においてこうした分離状態にある相互の教区同士で、正教会としての一致を図ることを目的として、米州カノン的合法正教会常設主教会議が設立され、各教会・教区の主教が定期的に会合を持った[2][3]。同会議は、北中米カノン的合法正教会主教会議に承継された。

しかし、アメリカ正教会には最近はアルバニア、ブルガリア、ルーマニア正教会系の大教区ができているので、離散問題も徐々に解決の方向へ行くという見方もできる。

日本における教会の並立

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日本では、日本ハリストス正教会以外に、

ウクライナの正教会の活動は日本正教会と連絡をとりながら円満に行われており、日本正教会の東京神学校の卒業者で米空軍横田基地のチャプレンとして3年間奉仕したイヴァン金田一豊氏が、2015年、日本人として始めてキエフ総主教庁より輔祭として叙聖をうけ、ウクライナ正教会の在日教会である「聖ユダミッション」で奉職している[8]

いっぽう、ルーマニア正教会の日本支部は在日ルーマニア人の要望をうけてルーマニア総主教座により2008年に設置された。ふたつの小教区があり、司祭2名が常駐しているが、日本正教会といかなる連絡もとることなく勝手に設置されたので、紛争となっている[9]

脚注

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  1. ^ 長屋房夫長司祭). “世界正教会”. 正教会を紹介するページ. 2010年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  2. ^ 訳語:「御茶ノ水の泉通信」の正教会関連リンク集”. 御茶ノ水の泉通信. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  3. ^ Standing Conference of the Canonical Orthodox Bishops in the Americas” (英語). SCOBA. 2004年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  4. ^ Православна Церква України в Японiї”. 東方正教会 ST. JUDE MISSION - Tokyo, Japan - Orthodox Church of Ukraine. 2021年8月18日閲覧。
  5. ^ ルーマニア正教会”. ルーマニア正教会. 2021年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月18日閲覧。
  6. ^ 田中雅一「米軍チャプレンの研究」『国際安全保障』第35巻第3号、国際安全保障学会、2007年12月、95-112頁、CRID 1390854882570990080doi:10.57292/kokusaianzenhosho.35.3_95hdl:2433/85406ISSN 13467573 
  7. ^ 関連研究:東アジアと東南アジアを中心とする軍隊の歴史人類学的研究”. KAKEN. 2024年2月28日閲覧。
  8. ^ キエフ総主教庁の在日ウクライナ正教会で初の日本人聖職者誕生”. CHRISTISN TODAY (2015年10月29日). 2022年6月27日閲覧。
  9. ^ 松里公孝「エッセイ日本正教会見聞録」『スラブ研究センターニュース』第129号、2012年、2022年6月27日閲覧 

関連項目

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