武田秀一
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武田 秀一 たけだ ひでいち | |
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1919年、旧東プロイセンティルジットにて(右端) | |
生誕 |
1878年9月3日 高知県 |
死没 | 1939年5月6日(60歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
最終階級 | 中将 |
武田 秀一(たけだ ひでいち、1878年(明治11年)9月3日 - 1939年(昭和14年)5月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。正四位勲三等功四級。字は魯男。[1]
履歴
[編集]1878年(明治11年)9月、高知県香美郡野市村(現在の野市町)に武田秀山の長男として生まれる。1900年(明治33年)11月、陸軍士官学校(12期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官。
千葉陸軍歩兵学校教官などを経て、1923年(大正12年)8月、歩兵大佐に昇進し青森連隊区司令官に就任。1924年(大正13年)8月、歩兵学校教導連隊長となり、豊橋陸軍教導学校長に転じ、1929年(昭和4年)8月、陸軍少将に進級。
1930年(昭和5年)8月、歩兵第37旅団長となり、近衛師団司令部付を経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍中将に進んだ。同年12月、第3独立守備隊司令官に発令され、1934年(昭和9年)8月に待命、同年9月、予備役に編入となった。1939年(昭和14年)5月に死去。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『第一期ニ於ケル初年兵ノ各個教練』兵書出版社、1935年
- 『歩兵教練の思出』成武堂、1921年
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典』高知市民図書館、1970年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。