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永島勝司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

永島 勝司(ながしま かつじ、1943年1月6日[1] - )は、日本の元新聞記者島根県出身。東京スポーツ整理部長、新日本プロレスで取締役、WJプロレスで専務取締役を務めた。

永島 勝司
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活動期間 2020年4月1日 -
ジャンル エンターテイメント
登録者数 1.41万人
総再生回数 2,924,795 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年7月30日時点。
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来歴

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専修大学卒業後、毎夕新聞社を経て東京スポーツ新聞社に入社。東スポ在籍時からガッツ石松藤原敏男の実現に向けて暗躍するなど、後の「仕掛け人」としての片鱗を見せていた。その後新日本プロレス担当記者となり、その後の盟友でかつ専修大学では後輩にあたる長州力と懇意になる[2]

1984年9月20日に開催された新日本プロレス大阪府立体育会館大会の取材の翌日に、乗車していた東海道新幹線列車電話で東スポからジャパンプロレスの設立を知らされ、会社の指示で東スポ本社へ向かい、直後にジャパンプロレス設立会見へ向かった。永島の長州に対する質問において、長州は「先輩、すいません」と開口一番で発言した。その際、永島の落胆ぶりは大きかったという[2]

1988年、新日本プロレスに入社。渉外担当・企画宣伝部長としてUWFインターナショナルとの対抗戦などヒット企画を生み、「平成のプロレス仕掛人」あるいは「背広レスラー」の異名を取るに至る。 取締役時代には長州(当時の役職は現場監督)と共に新日本プロレスにおいて大きな発言力を誇った。

しかし新日本プロレス内での派閥抗争に破れ、2002年に新日本プロレスを退団した。退団後、他団体のアングルを企画するなどの目的でナガシマ企画を設立した。ナガシマ企画は後に新日本プロレスを退団した長州が合流し、名称をリキ・ナガシマ企画と変更した。永島は長州が合流したことにより、リキ・ナガシマ企画で長州力のプロデュースも行う予定でいた。

その後、長州のタニマチであった北海道を中心に活動する企業家・福田政二の資金協力が得られることとなり、福田を社長としたWJプロレスを設立し自らは専務取締役に就任した。永島はリキ・ナガシマ企画をWJプロレスのアングルなどを企画する会社として活用する予定であったが、「WJプロレスに専念してほしい」という福田社長の意向によりリキ・ナガシマ企画は事実上の活動停止となった。

WJプロレスの設立に伴い、大森隆男佐々木健介らを次々と引き抜いた。このとき健介の新日本退団に対して永田裕志から「裏で手を引いている奴がいる。背広着て、煙草吸って、頭からごま塩をかけたやつだ」と永島を非難するコメントが出された[注 1]。上記の一件から、永島がネット上で「ゴマシオ」と呼ばれることがある。

2003年3月に旗揚げされたWJプロレスであったが、2004年7月、経営の悪化により活動休止。永島は残存レスラーによって立ち上げられたリキプロには関与せず、長州と袂を分かちWJの内情を綴った「地獄のアングル」を出版。内外タイムスの格闘技記事の責任編集者としてマスコミ界に復帰したが、一身上の都合により2006年秋に退職。総合格闘情報フリーマガジン「VIVA FIGHT(ビバファイト)」編集人としても活躍する。

2008年5月には後楽園ホールで昭和の名レスラーを集めた「昭和プロレス」を主催した。

2009年6月、古巣となる内外タイムスに編集統括プロデューサー(実質的には編集長)として復帰。しかし紙面の全面リニューアルや「リアルスポーツ」への改名も部数回復には繋がらず、同年11月の内外タイムス社の倒産により廃刊となった。

2012年6月、DDT高木三四郎が率いる「nWj」の最高顧問に就任した[3]

2016年1月、「バトル・ニュース」編集長就任[4]

2020年4月1日、YouTubeに「永島オヤジの格闘チャンネル」を開設し第一回の動画を公開した。アシスタントに元週刊ゴング編集長の金沢克彦を起用している[5]。8月には登録者数が1万人を突破した。

著書

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ラジオ

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  • 雪崩式ブレーンバスターラジオ(2011年6月~2012年1月、Shinjuku-NET station)中田ちさととともにメインパーソナリティ

キャラクターグッズ

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  • LINEスタンプ「劇画ゴマシオ親父の迷言」 - 永島K2プロダクション[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 名指しはしていないにせよ、風貌と退社した時期から暗に永島の存在を仄めかしたものと言われている。

出典

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  1. ^ 【ゴマシオ親父からの告知】私の最後の本が出版される。大親友のガッツ石松と公開ファントークを開催するよ”. バトル・ニュース. 2022年12月9日閲覧。
  2. ^ a b 「先輩、すいません」長州力が謝った1984年新日プロ離脱劇の舞台裏東京スポーツ 2022年9月25日
  3. ^ 飯伏が奥の手で火野を下してKO-D無差別級王座奪取!いざ武道館大会のメインへ。三四郎は永島nWJ顧問が連れてきた藤原に弟子入り! - バトル・ニュース 2012年6月24日
  4. ^ 永島勝司編集長就任のお知らせ”. バトル・ニュース (2016年1月16日). 2016年4月30日閲覧。
  5. ^ YouTube”. www.youtube.com. 2020年6月28日閲覧。
  6. ^ “ゴマシオ親父”永島勝司がLINEスタンプに!”. バトル・ニュース (2016年4月29日). 2016年4月30日閲覧。

外部リンク

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