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渡辺釟吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡辺 釟吉
わたなべ はつきち
生年月日 1879年10月5日
出生地 愛知県豊田市
没年月日 (1967-12-04) 1967年12月4日(88歳没)
出身校 愛知県立医学専門学校本科(現・名古屋大学医学部
所属政党 無所属
称号 勲四等瑞宝章
親族 父・渡辺良策(挙母町長)

当選回数 1回
在任期間 1951年3月1日 - 1955年4月29日

挙母町長
当選回数 2回
在任期間 1946年7月22日 - 1951年2月28日
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渡辺 釟吉(わたなべ はつきち[注 1]1879年明治12年)10月5日[2] - 1967年昭和42年)12月4日)は、日本の政治家医師愛知県挙母市の初代市長(1期、挙母市は豊田市の旧市名)。その他、挙母町長(2期)、愛知県会議員(2期)、挙母町会議員などを歴任した。

来歴

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現在の愛知県豊田市常盤町2丁目に、医師で挙母町長を務めた渡辺良策[3]の三男として生まれる。1897年(明治30年)、愛知県立医学専門学校(現・名古屋大学医学部)の予科を卒業。1901年(明治34年)、同校本科を卒業。1905年(明治38年)から自宅で父とともに医師として自宅で開業[4]

医師会においては、地方の医療体制の確立を念願し、辺地の医師派遣などに力を注いだ。1919年(大正8年)、西加茂郡医師会長に就任。1937年(昭和12年)、愛知県医師会副会長に就任[4]

地方行政にも積極的に参画し、挙母町会議員や西加茂郡会議員のほか、1924年(大正13年)から愛知県会議員を2期歴任した。議員時代は矢作川の堤防改修事業および治水事業、三河鉄道(現・名古屋鉄道)三河線の建設に貢献した。国鉄岡多線の建設促進に力を尽くし、これが契機となり、1930年(昭和5年)12月20日、日本で初めての国鉄バスとなる省営自動車岡多線岡崎駅 - 多治見駅瀬戸記念橋駅 - 高蔵寺駅)の運行が開始した[4][5]

1946年(昭和21年)5月17日に挙母町長の中村寿一が辞職。同年7月10日、挙母町会の全員協議会が作案した町長選挙が行われる。この選挙は準公選とも言うべきもので、立候補者は定めず、各自が自由にこれはと思う人物に投票するというものであった。最高票数は渡辺、2位は辞職した中村であった。渡辺はすぐに受諾せず7月22日にようやくこれを受け、町長に就任した[6]

1947年(昭和22年)4月5日に行われた挙母町の第1回公選町長選挙に立候補。倉知桂太郎4,533票、渡辺釟吉4,070票、田口管次郎4,040票で、倉知が当選に必要な有効投票者数の8分の3を獲得できなかったことから、4月15日に倉知と渡辺の決選投票が行われる。結果は渡辺7,017票、倉知5,554票と順位が逆転し、町長に再選した[6]

挙母市役所(1951年)

1951年(昭和26年)3月1日、挙母町は市制施行し挙母市となり[7]、初代市長に就任。同年4月23日に行われた任期満了に伴う市長選で宇野辰雄を破り当選[8]

1955年(昭和30年)4月30日に行われた市長選で元町長の中村寿一に破れ落選(中村寿一8,202票、渡辺7,813票、中村武男1,439票)。投票率は95.20%であった[9][10]

1958年(昭和33年)1月29日、挙母商工会議所の有志が、挙母市を豊田市に変更する旨の請願書を市議会議長に提出。市議会が5月に請願書を正式に採択することを決議すると、渡辺は「挙母愛市同志会」を結成し反対活動を行った[11]長坂貞一市長、浦野幸男県議に対して激しい批判をした[12]

1961年(昭和36年)3月1日、豊田市名誉市民に推挙される[1]

1967年(昭和42年)12月4日、死去。88歳没。同年12月12日、勲四等瑞宝章を受章。

脚注

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注釈

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  1. ^ 名前の読みがなは「豊田市公式ホームページ」の記載どおり「はきち」とした[1]。ただし『豊田市史 人物編』には「はきち」とある。

出典

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  1. ^ a b 豊田市名誉市民”. 豊田市役所 (2019年1月1日). 2019年3月31日閲覧。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、249頁。
  3. ^ 『日本の歴代市長 第二巻』歴代知事編纂会、1984年11月10日、501頁。 
  4. ^ a b c 豊田市教育委員会、豊田市史編さん専門委員会編『豊田市史 人物編』豊田市役所、1987年3月、720-721頁。 
  5. ^ 「鉄道省告示第354号」『官報』1930年12月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b 『豊田市史 四巻』豊田市役所、1977年3月1日、32-36頁。 
  7. ^ 「挙母市誕生」No.CFSK-0293”. 中日映画社 (2021年3月17日). 2021年5月12日閲覧。
  8. ^ 新修豊田市史編さん専門委員会編『新修豊田市史 資料編 現代Ⅰ』豊田市役所、2015年3月、106頁。 
  9. ^ 『豊田市史 四巻』豊田市役所、1977年3月1日、42頁。 
  10. ^ 新修豊田市史編さん専門委員会編『新修豊田市史 資料編 現代Ⅰ』豊田市役所、2015年3月、107頁。 
  11. ^ 『豊田市史 四巻』豊田市役所、1977年3月1日、343-351頁。 
  12. ^ 東海タイムズ』1965年3月1日、3月11日、3月21日。